マイルス・デイビス・コーナー

三澤洋史 

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マイルス・デイビス・コーナー
 ついにマイルスについて書く気になった。マイルスは基本的に僕のi-Podに何かしら入っているので、特定のアルバムについて語るのが難しい。だから今まで書けないでいたのだが、こうしてマイルス・コーナーを設けて、その時その時、特に書きたいものを中に加えていけばいいことに気がついた。

マイルスの魅力
 こう言うと意外に聞こえるだろうが、僕はトランペッターとしてのマイルスが上手だから彼を聴き続けているのではない。ジャズ・トランペッターとしての純粋なテクニックという面から言うと、マイルスと同時代で彼より上手だったトランペッターは、ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウンに始まり、フレディー・ハバード、ケニー・ドーハム、ブルー・ミッチェル、リー・モーガンなどいくらでもいる。
 マイルス自身、ディジー・ガレスピーと一緒にチャーリー・パーカーのバンドにいた時から、どう頑張ってもガレスピーのようには吹けないことでコンプレックスを持っていた。ある時マイルスはガレスピーにこう言った。
「どうやったら、あんたのように吹けるようになるんだ。」
するとガレスピーはこう答えたという。
「ちゃんと吹いてるじゃないか。ただ俺より一オクターヴ低いだけだ。」
 だから僕も、マイルスを聴いていると、いつもテクニック的な欲求不満になって、もっときちんと吹いてくれるトランペットを聴きたいなと思ってしまう。ところが、それらのトランペットを聴いていると、また逆の意味で欲求不満に陥ってしまい、気がついてみるといつしかマイルスに戻ってしまっているのだ。マイルスとは、僕にとってそういう存在。

 じゃあ、一体マイルスのどこがそんなに魅力的なのか、みんな知りたいだろうね。彼は、ガレスピーのような派手な奏法に見切りをつけて、独自の道を歩み始めた時から、彼の本当のキャリアを始めたといえる。その独自の奏法とは、一言で言うと、空間性の確保だ。
 
 チャーリー・パーカーというアルト・サックス奏者は、鳥のように素早く音譜を演奏するのでバードというあだ名がついた。彼のアドリブ・ソロはとにかく音符が多く、バカ・テクを駆使した華々しいパッセージが魅力だった。それがビ・バップというスタイルとなった。
 ところがパーカーは、同じようなテクニシャンのガレスピーと組むと、自分の持ち味がかすむので、もっとクールな奏法のマイルスを自分の脇に置くことを好んだ。マイルスのソロは、ある意味、徹底的に省エネで、プーッと吹くとしばらく休んだりしている。必要最低限の音を選び抜いて使っている。そうかと思うと、いきなり音符の数が多くなり、一気に最高音まで駆け上がる。彼は、空間を確保することで音楽のダイナミズムを高めることを知っていたのだ。特に、“沈黙”の持つ緊張感を知っている。

 マイルスはしだいに認められ、いよいよ自分がリーダーとして独り立ちする。すると、かつてパーカーがマイルスをそう扱ったように、マイルスは、自分の省エネ奏法を引き立てるべく、彼の周りに音の多いテクニシャン達を配した。特に、トランペットより音域的に低いサックスの人選は大事だった。50年代後半にマイルスのバンドが最も輝かしい時代を築けた要因として、キャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンという二人のテクニシャンを得てた事実は無視出来ない。

 ジャズでは、まず全員がテーマを演奏し、それから、そのテーマの持つ和音進行の上に、各楽器奏者が交代でアドリブを披露する。そして最後にもう一度テーマを演奏し、ただいまの曲はこれが元になっていましたよと告げて終わるのだ。だから、基本的にジャズとは個人芸であり、前の奏者がどうプレイしようと、自分は自分のインプロヴィゼーションを展開すればいいのだ。
 面白いのは、同時に演奏していながら、たとえば、ベース奏者は自分のラインだけ追っているし、ピアニストにとってベースはリズムさえ守ってくれていればOKという感じなのだ。トランペットやサックスなどのホーン奏者に至っては、自分のアドリブを構築するのに手一杯で、リズム楽器のバッキングなど、気にもしていないというところだ。

 ところがマイルスだけは違う。彼は、自分がソロを取っている時のバッキングにとても神経質だった。かつて、ピアニストのセロニアス・モンクのバッキングが気にくわなくて、自分が吹いている時には弾くのを止めるようにとモンクに言って、喧嘩になったこともある。こんな事を言うのはマイルスくらいだ。
 彼は、自分がリーダーになると、今度は自分でピアノを弾きながら、こんな時はこんな風にバッキングをつけるのだと団員達に教えながら、個人芸を超えたバンドのトータル・サウンドというものを作っていった。
 彼はバンド全体のトータル・サウンドにとても興味を持っていたのだ。それだけではない。彼は自分が吹くことで、あるいは吹かないことで、バンドのリズム隊(ピアノ、ドラムス、ベース)を刺激し、彼等のリアクションを上手に引き出す術を心得ていた。そのことによって、基本的に個人主義のジャズに、インターラクティヴなアンサンブルという概念を持ち込んだ。

 演奏に関しても、彼はいろんな要素をジャズに持ち込んだ。ただテーマが最初と最後に全く同じように演奏されるのでは面白くないというので、後半のテーマを半コーラスだけにしてメロディーを変化したり、いろいろな種類のアレンジを施したり、とても工夫しているのだ。
 暇な時は、ストラヴィンスキー、バルトーク、ドビュッシー、ラベルなどの近代クラシックばかりを聴いていた彼にとっては、月並みのジャズでは飽き足りなかったのだろう。
 僕なんかは、他の人のジャズを聴く時には、お目当てのプレイヤーのソロを聴き終わったり、最後のテーマが出てくると、さっさと次のトラックに先送りしてしまうのが常だが、マイルスだけは、最後まで聴かされてしまうのだ。なんていうか、バンド全体のサウンドが常にちょっと洒落ているので、聴き逃せないのだ。

 バラードを吹くマイルスの右に出るものはいない。彼のバラードは、ここまでがテーマですというのがなくて、最初のフレーズで「ああ、この曲だな。」と聴衆に分からせると、もう次の瞬間からアドリブが始まっている。
 しかし彼のバラードのアドリブは、テーマから離れ過ぎてしまわない。テーマの持つ雰囲気を壊さないように配慮しながら、そこに全く新しい世界を構築する。彼のバラードのどの瞬間にも、“都会の憂愁”が漂っている。これまでに、彼のバラードを聴いて、僕は何度涙したことだろう。

 音色の多様さもマイルスの魅力。彼の基本的な音色は、ほの暗い独特なリリシズムを持っているが、そこに加えて、息の混じった音や、わざと詰まった音、反対に鋭く突いた音、微分音やポルタメントを伴った音、さまざまな種類の音を彼は使う。
 今ではマイルスの代名詞のようになっている、あの有名なハーマン・ミュートの音色も、マイルス以降いろんなプレイヤーが真似して使うようになったけれど、彼ほどマッチする人はいない。

 彼は、よく吹き損なってミス・プレイをするけれど、ここまでくると、それも彼の音色の魅力の一種となってしまうなあ。彼は、自分で言っているよ。
「吹き損なうだろ。そんな時は、もう一度その音を吹くんだ。すると、それが必然性を持ってくる。」

 マイルスのリズム感、マイルスとモード・ジャズ、芸術における理想的なリーダーとしてのマイルスなど、まだまだ語りたいことは山ほどあるが、だんだん書いていこう。とにかくマイルスの魅力は、語り尽くせるものではない。僕が音楽家で心から尊敬する人は多くはないのだけれど、その中でマイルスはトップ・クラスの位置を占めている。

2008.9.21



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