マイルス・デイビス・コーナー

三澤洋史 

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カインド・オブ・ブルー   Kind of Blue    SME RECORDS SRCS9701

マイルスのピークは1960年
 モダン・ジャズはマイルス・デイビスが作ったものではないが、その後の潮流となっていくクール・ジャズやモード・ジャズ、そしてエレクトリック楽器とロック・リズムの導入などは、みんなマイルスが先駆者となっている。
 それでも、こうしてジャズという芸術が遠い昔にActuelleな意味を失っている現代から振り返ってみるならば、70年代以降のジャズ(それはフュージョンなどと呼ばれたが)は、すでに音楽史的な意味でその使命を終わりつつあり、緩慢な死を迎えていく。1991年に亡くなるまでの晩年のマイルスの孤軍奮闘ぶりは、延命装置をつけられて無理矢理寿命を延ばさせられたジャズの末期状態の痛々しさを感じさせる。
 マイルスの活動は、それよりずっと先の1960年をピークに考えられるべきだと思う。同時にそれは、モダン・ジャズの歴史そのものとシンクロしている。天才ドラマーのトニー・ウィリアムスを中心としたプログレッシブ・ジャズを考慮して、1965年くらいまでピークを伸ばしてもいいのではないかという反論もあるだろう。だが、ジョン・コルトレーンのいた時期を第一の黄金時代、トニー・ウィリアムスとの時代を第二の黄金期として、その真ん中といえば1960年だ。
 トニーとの時代は衰退の始まりか?長い目で見ればその通りだ。その理由は後で述べよう。それにマイルスのソロ自体に限って言えば、何といっても50年代後半が光っている。1960年にはキャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンが相次いで辞めたからね。この時にひとつの時代は終わりを告げたのだ。
 それ故、1959年に「カインド・オブ・ブルー」が生まれたことは、ジャズ史全体からもとても大きな意味を持つというわけだ。

マイルスとモード
 マイルスがモード・ジャズを編み出した時、彼の頭の中にあったイメージは、現在我々が抱いているモード・ジャズに対するものと随分違っていたようだ。マイルスが最初にモード手法を使って演奏を行ったのはマイルストーンズ(1958年)という曲だが、その曲について彼はこんなことを言っている。

  オレはモード手法を、ギニアのアフリカ・バレエ団の公演を見ていて考えはじめた。

「カインド・オブ・ブルー」に関しては、こう言っている。

  「カインド・オブ・ブルー」も、「マイルストーンズ」から始めたモード手法に基づいて作ったが、そこにオレの記憶に残っている異なった数種のサウンドを付け加えようとした。子供の頃アーカンサスで、教会から家に帰る途中で聴いた、あのすばらしいゴスペルなんかをだ。(中略)
六歳のオレが、暗いアーカンサスの道をいとこと歩いていた時に接したフィーリングを思い起こそうとして、「オール・ブルース」を書いたんだ。
 
なんてのどかなイメージを持ちながら、マイルスはモード・ジャズを作り始めたのか、と思うと笑えてくる。

モードとは
 ジャズのアドリブは、元来はテーマ曲の背景にあるコード進行を元に行っていた。モダン・ジャズの時代になると、そのコード進行はどんどん複雑になっていった。和音自体が、ナインス、イレブンス、サーティーンスなどの音を積み重ねたり、テンションと呼ばれる様々な付加音を付け加え、あるいは省略するといった複雑化を進めていくのみならず、一小節の中にいくつもの和音転換を行い、アドリブもそれにしたがって行うようになる。
 プレイヤーはそれにがんじがらめにされた。めまぐるしく変わる和音転換に合うアドリブは、とてもその場だけの即興では対処出来なくなってくる。だから家でじっくり考え、書き留め、練習する。それはジャズの最大の魅力である即興性を奪うこととなる。
 だからマイルスの編み出した「旋法を元にして、和音連結を一切放棄した」モード手法にジャズメン達は飛びついたわけだ。でも、当のマイルスが最初描いていたアーカンサスのゴスペルなどのイメージは全く無視された。
 むしろモード・ジャズは、一切のエモーショナルな要素を排除された「抽象的な」音楽という風にジャズメンからも聴衆からも受容されたのだ。

 モード手法とプレイヤーとの関係において、マイルスとジョン・コルトレーンとでは全く正反対のアプローチが見られる。マイルスは、もともと省エネ奏法であまり音を使わないプレイをしていたので、モードの曲でなくても、たとえば「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のようなバラードでは、和音が変わろうが同じ音を長く伸ばしていたり、和音連結を無視するような演奏をしていた。
 具体的に言うとこういう事だ。Cのコードの上に彼はシの音をロングトーンで吹く。ピアニストは、それをCメージャー・セブンスとしてサポートする。その間に和音が変わってFになるが、彼はシのまま。するとシの音はファラドのドとぶつかるので、ピアニストは、Fのイレブンスにするか第5音下方変異にするかバッキングを考えなければならない。そこに緊張感が生まれる。後でモードになって、ファソラシドレミのどの音でも任意に組み合わせて和声が作れるようになると、話はとても簡単になる。

 マイルスはずっと後でこんな風に言う。
「オレは『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』なんかでは、モードになるずっと前からスケールでプレイしていたよ。」
 そんなマイルスがモード手法でプレイする時、彼は獲得した自由な空間を、他のプレイヤー達ともっとインターラクティブなプレイをするために使おうと思っただろうし、またアーカンサスのゴスペルのように旋法の作り出すムードを大切に出来るとも思っただろう。とにかくマイルスには空間が必要だったのだ。

コルトレーンとモード
 コルトレーンは違う。彼はある時からチャーリー・パーカー風のリズムに乗ったアドリブを放棄し、拍とは無関係な超高速の、いわゆるシーツ・オブ・サウンドと言われるプレイを行うことで彼ならではの独創性を発揮するようになるが、その時期とモード・ジャズが始まった時期がダブるのだ。
 モード・ジャズはコルトレーンに二つの大きな可能性の扉を開いた。ひとつは、和音連結のくびきが解かれ、永遠に広がるモードという空間の中で超高速のプレイを自由に行うことで、彼は“音の洪水の真っ直中の瞑想性”を手にするのだ。それが彼をして「至上の愛」などの宗教性に向かわせた一つの要因だ。
 もうひとつは、オーネット・コールマンとは違った意味で、彼にフリー・ジャズへの扉を開いたということだ。ひとつの旋法の中で、高速で別の旋法を吹いてしまうのも良し、12音のようにぐちゃぐちゃに吹いてしまうのも良し、何食わぬ顔で元の旋法に戻っていればいいのだ。ついでに小節数の制約も取ってみれば何という自由!最終的に彼はモードを通り越して、フリー・ジャズに突入し、そこで彼の人生を終える。

60年代のマイルスとロックへの傾倒
 モード・ジャズの潮流は、マイルスが最初思った方向ではなく、むしろコルトレーンの受け取った方向へと進んでいく。そして当のマイルス自身も、いつしかアーカンサスのゴスペルなど隅に追いやって、モード・ジャズの抽象性に気づき、フリー・ジャズとは一線を画しながらも、アブストラクティブなジャズを進めていく。
 トニー・ウィリアムスという天才ドラマーを得たマイルスは、演奏中の主導権をむしろトニーに渡し、プレイヤー同士の密なコミュニケーションによるインターラクティブなプレイを極限まで行う。それは、従来のジャズにはなかったすこぶるエキサイティングな演奏効果を生みだしたが、マイルスのソロに限って言えば、より攻撃的になり、他のプレイヤー達の反応を誘発する“挑発的プレイ”を行うようになっていった。そこには、もはや50年代のフレージングの美しさや暖かみはない。
 そしてそのプログレッシブ・ジャズは、様々な独創的な実験の末、自らを解体していく。リズムやメロディーは引き裂かれ、一般のフリー・ジャズとは一線を画しながらも、いわゆるルールの中でのフリー・ジャズとなっていった。それはジャズの袋小路を意味していた。

 マイルスもそれには気づいていた。彼がエレクトリックやロックのリズムを取り入れた背景には、複合する要因がある。マイルスは、プログレッシブ・ジャズに一種の閉塞感を感じていたに違いない。そうしたジャズの漂流を感じながら、彼はロックという筏にしがみついた。そしてそこに生き残りを賭けたのである。
 その最大の武器としてモードがあった。彼のロックは、通常のロック・バンドがやっていたような、いわゆる普通の「うた」をロックのリズムに乗せてというのとは決定的に違っていた。彼はジャズマンだからインプロヴィゼーションを音楽の中心に置く姿勢を決して変えない。
 彼がしたことは、一曲を全てひとつのコード(まあモードだが)で行い、その上にアドリブを無限に繰り広げることだった。これに他のロック・ミュージシャン達は驚いた。そして彼等は、それをワン・コードと呼んで逆に真似し始めた。つまり、モードなしでは、マイルスのロックはあり得なかったのだ。

Kind of Blue
 さて、話を「カインド・オブ・ブルー」に戻さなくては。そんなわけで常にモード・ジャズと関連して語られるこのアルバムであるが、勘違いしないで欲しいことがある。このアルバムは“全てモード手法で作られている曲”という迷信がある。これは嘘である。このアルバム中、純粋のモード手法で書かれているのは冒頭のSo Whatと最後のFlamenco Sketchesだけだ。

 第一曲目のSo Whatは、レミファソラシドレの、いわゆるDドリア旋法を使った典型的モード・ジャズ。Dドリアが16小節。その後半音上がってEbドリアが8小節。また戻ってDドリア8小節。
 モードの場合、一番違うのがピアノのバッキングだ。通常のコードのようにレファラという三度構成の和音から離れている。たとえばレミソラなどの四度和声を好んで使うことによってより教会っぽい雰囲気が出る。レミファソラシドの全ての旋法構成音をいっぺんに弾くと全音階クラスターになってビル・エヴァンスのような響きが出来る。これがモードっぽい響きの秘密だ。
 第二曲目のFreddie Freeloaderは伝統的な12小節のブルースだ。これはモード手法のSo Whatとわざと並べられ、テンポもほぼ同じで、So Whatと意図的に同じような雰囲気に仕上げられている。でもこの曲だけピアニストに、モード奏法の上手なビル・エヴァンスではなく、伝統的なブルースのうまいウィントン・ケリーを採用している。後年ビル・エヴァンスはこのマイルスの処遇に不満を漏らしているが、むしろこのアルバムのためには素晴らしいプロデュース感覚だと思う。
 第三曲目のBlue in Greenも、いつものマイルスのリリカルなバラード。これをモードと言ったら、50年代のマイルスの全てのバラードもモードということになってしまう。
 第四曲目のAll Bluesは微妙。何故微妙なのかと聞かれると、これも12小節のブルースで、和声は通常のブルースとちょっと違っているが、モードではなくコードでも捉えることが出来る曲だ。でも、プレイヤー達がなんとなく“モード的に”演奏している。So Whatで説明したバッキングの和声は分かりやすいとは思うが、ホーンのアドリブのどこがコード的でどこがモード的かと言われると、僕自身返答に困る。こんな風に、モードをめぐる状況は曖昧なものなのだ。
 第五曲目のFlamenco Sketchesは、そもそもテーマがなく、5種類の旋法だけ定められて各プレイヤーが勝手に演奏するという点でモード・ジャズなのだ。つまりテーマは旋法なのだ。

 マイルスは、モード・ジャズに完全移行したと言われる60年代だって、ブルースの「ウォーキン」も演奏すれば、バラードの「ステラ・バイ・スターライト」もやり、「枯葉」も好んでやった。それらの曲をモードの曲と勘違いしていた人達も少なくない。
 こうしたスタンダード・ナンバーの曲自体はコードで作られていて、他のプレイヤーが演奏すれば完全にコードの曲なのだ。でもマイルス・バンドが演奏すると、50年代の演奏の仕方とは明らかに違う。コード・チェンジが甘いというか、意図的に和音連結をぼかしていることもあるし、ハービー・ハンコックなどのピアノのバッキングは、明らかにモード風だ。
 モード・ジャズは、こうして演奏する者のアイデアの中に入り込み、なんとなくモード風演奏というわけの分からない状態を作りだしてしまった。だから・・・とどのつまり・・・・まあ、あんまり気にしないで聴いて下さい(笑)!

タイトルの意味
 Kind of Blueという、このアルバムのタイトルには、英語に親しんだ人でも惑わされるだろう。勿論これは「青の種類」ではない。種類と言いたいのならA Kind of Blueと言わなければならない。冠詞のないkind ofは、俗語で「ある程度」「いくらか」「どちらかといえば」というような意味だ。つまり「ちょっとブルーな気分」あるいは「なんとなく憂鬱」というような感じ。だからこのアルバムに漂っているのはブルーな気分なのだ。
 でも、僕流に訳すと「ブルーな風景」。これは完全な意訳だが、このアルバムを聴いているとそう思えて仕方がない。つまりそれぞれの曲が、モード、コードを問わず様々な種類のブルーな風景を見せてくれるのだ。そういう意味では「ブルーの種類」でも当たらずしも遠からずだよ。

演奏の実際

So What
 マイルスの口癖である「それが、いったいどうしたっていうんだい?」というのが聞こえてくるようなタイトル。僕がSo Whatを初めて聴いたのは、高校一年生くらいの頃。1964年に来日した時の実況録音であるMiles in Tokyoというアルバムだった。もの凄く速いテンポで、メロディを弾くベーシストのロン・カーターが何をやってるかさっぱり分からなかった。マイルスのソロも速すぎてついていけなかった。

 だからずっと後になって聴いたKind of blueのSo Whatはゆっくりで拍子抜けした。同時に、
「ああ、これだったらよく分かるわ。」
と思った。さっき説明したように、左手でレミソラという四度和音を押さえながら、レミファソラシドレの任意の音をでたらめに弾いてメロディを作れば、即座にDドリアのモード・ジャズが出来る。こんな簡単でいいのか?本当はもっと高尚な理論があるのだろう?ないのである。それでモード・ジャズはOKなのだ。
 でも、その簡単なモード・ジャズを、こんな風にセンス良くブルーな感じで演奏出来るのはマイルス・バンドだけだな。テーマが始まる前のポール・チェンバースのベースとビル・エヴァンスのピアノとの対話がいい。それからベースがメロディーを弾き始め、ホーンが答える。
 Kind of Blueのマイルスのソロは、モード・ジャズという言葉が連想させる冷たさから遠いところにある。むしろ暖かくメロディックで美しい。
 コルトレーンのテナー・サックスの後にキャノンボール・アダレイが入ってくると、同じ旋法からこれだけ違ったソロが作り出せるのかと驚く。コルトレーンの求道者のような緊張感溢れるソロも素晴らしければ、キャノンボールのスイング感も爽快。
 ブンブンブンとうなりを立てて弾くポール・チェンバースのベースのラインが美しい。ジミー・コブのドラムは、フィリー・ジョー・ジョーンズのように華やかではないが、このアルバムがこれだけ傑作となった背景に、彼の抑制されてはいるが必要な音は決してはずさない確かなプレイが不可欠だったことが分かる。トップ・シンバルがポールのブンブンブンと一緒になって、心地良いビートを紡ぎ出していく。

Freddie Freeloader
 マイルスの伝記によると、この曲名は、いつもジャズ・シーンをうろつきまわって、何かタダで手に入らないかと探していた、知り合いのフレディという黒人に因んだものだという。
 この伝統的なブルースはウィントン・ケリーを引き立たせている。ウィントンのバッキングは完全にコード奏法で、そのことが、この演奏にこれまでの50年代コード時代のマイルスの総決算という印象を与えることとなる。
 “これからのマイルス”であるSo Whatと、“これまでのマイルス”であるFreddie Freeloaderを同じテンポで演奏させるところに、このアルバムの歴史的意味がある。
 
 コルトレーンのプレイは本当に変わっている。まるでブルースに聞こえない。昔初めて聴いた時、彼のプレイはスイングしないので嫌いだった。でも今は、チャーリー・パーカーの影響から全く脱皮したこの独創的なプレイこそが、この頃のマイルス・バンドを支えていたのだとよく理解出来る。
 マイルスは、このアルバムでは、基本的にコルトレーンを先に吹かせて、それからキャノンボールに演奏させる。その前の「マイルストーンズ」というアルバムでは逆だった。キャノンボールを先に吹かせて、彼の華やかなプレイでまずバンド全体に活気を与え、ホットな演奏を作り出していた。
 今回は、ブルーがテーマなので、意図的にキャノンボールの存在をやや後方に追いやり、沈んだ雰囲気を漂わせる。キャノンボールのようなキャラクターを上手に使うマイルスの手腕には、本当に頭が下がる。これこそ究極のリーダーだ。マイルスとは反対の資質を持っているから対比的に使うのだ。マイルスの元では、彼の持ち前の楽天さでコルトレーンの真面目一本槍なソロの緊張をほぐしてくれる大事な役回りを演じている。なんてったってうまいのはうまいからね。ここでもブルースの本道を行く演奏に舌を巻く。

Blue in Green
 マイルスのバラードは、どれを聴いてもいいなあ。ここでマイルスはコルトレーンにだけソロを吹かせている。キャノンボールに吹かせると、Somethin' Elseのバラードのようにヴィブラートをいっぱいに効かせて演奏し、すっかり周りから浮いてしまうからね。
 コルトレーンは、マイルスの元では、いつも音をいっぱい使わせられるが、ここのソロは落ち着いていて叙情的でいい。マイルスが先に吹いて作った雰囲気を受け継いでいる。ビル・エヴァンスのピアノが新鮮な響きを伴ってたとえようもなく美しい。

All Blues
 この8分の6拍子のブルースを、マイルスはかなり気に入っていたと見えて、その後もいろんな所で演奏している。ここではマイルスのソロに続いて、珍しくキャノンボールを先に登場させている。キャノンボールの奔放なソロに続いて、コルトレーンが入ってくるが、最初からシーツ・オブ・サウンドを連発させないで、控えめにソロを始め、だんだん発展していくのがいい。マイルスのソロは、コードとかモードとか気にならないほど、いつものブルーなマイルスだ。マイルスはコードもモードも本質的には変わらないのだ。
 アーカンサスのゴスペルがどこに流れているのか僕には分からない。最も、マイルスは、それを表現したかったのだけれど、みんなが自分の思い描いているイメージと違うものを作ってしまったので、これは失敗だなんて言っているのだから・・・・結局、それはマイルスの心の中にだけ鳴っていたのか。

Flamenco Sketches
 5種類の旋法がゆっくりなテンポの中で交差し、プレイヤー達が自由なアドリブを繰り広げていく。ソロはマイルス、コルトレーン、キャノンボール、ビル・エヴァンスへと続き、マイルスがもう一度引き取って終わる。
 フラメンコ・スケッチとは言っても、途中にフリギア旋法が現れる場所の他は、とりたててスペイン風という風にも感じられない。スケッチ・オブ・スペインのSoleaのような息詰まるような緊張感もなく、代わりに親密でくつろいだ雰囲気が支配している。スパニッシュのスパイスが効いたブルーというわけだね。

 コルトレーンのソロが叙情的でいい。ビル・エヴァンスのピアノは、クリスタル・グラスのような抽象的な美しさで聴く者の心を捉える。最後にもう一度マイルスが戻ってくるが、そのソロの美しさが、このアルバムを聴き終わった者にいつまでも余韻を残す。

アーカンサスに行ってみたい
 これは個人的な意見だけれど、ビル・エヴァンスの都会的な洗練さが、モード演奏からアーカンサスのゴスペルを奪ってしまったのではないかな。モード・ジャズは、ビル・エヴァンスというピアニストの感性なしでは始まらなかったのは事実だ。あの素晴らしいレッド・ガーランドは、「マイルストーンズ」を演奏はしたものの、結局マイルスのやりたかった新しいジャズについて行けずに彼の元を去った。そこにすっぽりとビルが入った。
 けれど、ビル・エヴァンスのピアノには、反対に、レッドの持っていたようなジャズ本来の持つ泥臭い生命力というものがない。彼のピアノはいつも美しすぎる。フランス近代の和声をマイルスに伝授したのもビルだ。Kind of Blueというアルバムに、アップ・テンポでホットな曲がなく、都会的なクールさで統一されているのも、ビルに配慮したせいかも知れないのだ。
 ドビュッシー、ラベルのソフィスティケートされた世界は、どう考えてもアーカンサスのゴスペルとは対極にあるものな。さらにフィリー・ジョー・ジョーンズの代わりに、やはり都会的に抑制されたジミー・コブがドラムを叩く。みんな素晴らしいんだよ。だけど、ある意味、マイルスの感じていた世界からどんどん離れていってしまった。

そう思っていたら、一度モードの原点を探りにアーカンサスに行ってみたくなった。

2008.10.2




Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA