「創造主への賛歌」の作曲

三澤洋史 

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「創造主への賛歌」の作曲
 昨日(3月26日日曜日)は、新国立劇場の「アイーダ」の立ち稽古が急に休みになったため、珍しく丸一日空いたので、ほぼ一日かけて聖フランシスコの「創造主への賛歌(俗に太陽の賛歌)」の作曲をしていた。

 長女の志保もオフ日だったので、彼女は朝から娘の杏樹を連れて、美術館に行ったり、東京の春音楽祭の子供オペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を観に行ったりしていたし、妻も教会に行ったりで居なかったため、誰にも邪魔されることなく、たっぷりある時間を最大限に使うことが出来た。
 お昼を食べる事も忘れて作曲に没頭していて、気が付いたらもう1時半。忘れていたけど、そういえばめっちゃお腹がすいている。自転車を飛ばして行けば、ちょっと遠いけれど美味しいところに行けるんだけど、残念ながら雨が降っている。急いで傘さして、歩きで近くのガストに行って、当てずっぽうで鶏肉料理を選び、ドリンクバーのカフェラッテやカプチーノをおかわりして、帰って来て少しお昼寝して、また作曲。

 作曲って、進む時はどんどん進むのだけれど、少しでも違和感があると、また自分で積み上げた積み木をガラガラガッシャーン!と壊す。で、また振り出しに戻る。ひとつの和音の第5音を上方変位や下方変位させるだけで表情はガラッと変わる。ドッペルドミナントを1音変えてディミニッシュコードにしてみたり、また戻してみたり・・・・。
 和声進行は微妙な心理状態や表情の変化を映し出す。最初は良いと思っても、何度もピアノで弾いたり、譜面作成ソフトの自動演奏で客観的に聴いたりすると、ちょっとした表情に違和感を感じる。それで、そこを変えるだけではなく、3つ前の和音にまで戻ったりする。これはねえ、苦渋の選択で、面倒くさくて辛いんだけど、それでいてね・・・結構ハマるんだよ。
 ドンピシャリの和音が見つかって意図した心理状態を表現できた時なんか、バンザーイって、椅子から立ち上がって、まるで大谷翔平がホームランをかっ飛ばした時の応援団のような動作をしている自分に気付く。作曲って、地味なようでいて、めっちゃエキサイティングな行為なんだ。少なくとも頭の中では、アドレナリン出まくりなんだよ。

 で、夕方、とにかく最後まで行った。ふうっ、もうクタクタ。っていうか、頭の中がほとんど膿んでいる。でもね、これで終わりではない。むしろここからが出発点で、今は、最初の発酵を終えた新酒の状態。
 まず僕は、この曲に近づきすぎているので、ちょっと寝かせて、膿んでいる頭を治し、日にちを置いて、次に樽を開ける時には、今度は人の曲のような冷めた視線で向かい合い、とことん突っつきまくる。まあ、最初から振り出しに戻ることはないだろうけれど、場合によっては、かなり大胆な変更を施すこともある。
どこかで読んだけれど、ある人が村上春樹氏に、
「推敲って、いつまでやるんですか?」
と訊いていた。村上氏は、
「やっている時には分からないんだけど、やっていて、『あ、終わったな』って思う時があるんだよ。その時が終わり。あとは一字一句変えない」
と答えていたが、分かる分かる。僕もそれからは基本的には1音符も変えないんだ。とかなんとか言ってながら、実際に練習が始まってみたら、
「あ、ここ歌いにくそうだね。この音に変えちゃえ!」
とかは、よくやっているなあ。

 バッハやベートーヴェンには足元はおろか逆立ちしても及ばない、こんなレベルの僕でも、作曲している時には、何かが降りてきているのを感じる。崇高なあたたかいものに守られているのを感じる。キリスト教に籍を置いている僕であるが、冷たい教義にはいつも違和感を感じる一方で、神というものの存在を疑ったことが生まれてから一度もないのは、この臨在感があるからだ。

「僕は上とつながっている」
「僕は愛されている」
「僕は守られている」
という想いから、僕は日常でも離れたことがない。その中でも特に、作曲している時と、本番で指揮している時は、まさにつながっている感100パーセントの至福の時なのである。

 さて、新しい曲ができて、アッシジの街がまたひとつ近づいて来たぜ!聖フランシスコが僕を呼んでいるのだ。みんな、僕と一緒に行きましょう!アッシジの街へ!
もしかしたら、滞在中に何らかの奇蹟が起きるかもよ!

写真 雨上がりの虹が出ているアッシジのサン・ダミアーノ教会
アッシジ「San Damiano教会」(クリックで地図表示)
(雨上がりの虹 2006年の記事へ)


2023.3.27





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