“指揮者の仕事場探訪”の取材

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

“指揮者の仕事場探訪”の取材
 音楽之友社から、月刊誌「音楽の友」の冒頭カラー写真の記事“指揮者の仕事場探訪”の取材依頼が来た時、妻は激しく反応した。
「あのね、11月28日、29日までは無理だからね。教会のバザーがあるので、その準備のためにあたし自身が身動き出来ないの。だって、こんな散らかっている家に案内出来るわけないじゃないの!」
 ところが、いろいろやりとりした末、取材は11月26日の11時からに決まってしまった。後から知ったが、音楽の友社では、12月20日近辺に発刊する1月号に載せたかったので、どうしても11月中に取材を行いたかったようだ。
 さあ、そうなると、僕は妻の助けなしに、この楽譜や本で埋め尽くされた仕事場の整理をしなければならない。本当は、仕事場探訪という内容なので、“ありのまま”でいいのだろうが、僕の部屋の場合、ありのままにもほどがあるのである。こんなことなら、普段からもっときれいにしておけばよかった・・・と今更後悔してみても仕方ない。
 数日前から少しずつ片付け始め、取材当日も朝から本棚を整理する。机の上は、逆に整理しすぎて何もなくなってしまった。あらら、今仕事中のものもなくなってしまったら、仕事場の感じがしないだろう、と思って、また楽譜などを並べ直したりして・・・笑ってしまった。
 僕の仕事場は、ピアノのある部屋と2階のパソコンのある部屋とに分かれている。楽譜やCDは、ピアノのある部屋の本棚に並んでいるので、こちらの方が絵になるのだが、実際に僕が家に居る時の大半を過ごしているのは、むしろ2階の部屋。ただここは、家に遊びに来るお客様にも見せたことはない。
 作曲や編曲をする時も原稿を書く時も、今はパソコンを使っているし、スコアの勉強には、向かい側にあるクラビノーバを使っている。夜もヘッドフォンを使って勉強出来るし、あまり大きな音を出すのは疲れるので、こちらの方が便利なのだ。たまにピアノを弾く仕事が来た時には、やはり本物のピアノでないとニュアンスが出ないので、1階の部屋で練習するけれどね。
 音楽之友社からは、担当者の女性とインタビューアー、それにカメラマンの3人が来た。僕がその旨を説明すると、むしろパソコンの部屋の方を念入りに撮影していた。でも、出来上がった記事はどういう風になるのかな。今から楽しみである。言っておきますが、本当はもっと散らかっています。わざわざ自分から白状することもないか・・・。
(11月26日の記事)

満2歳になった杏樹
 孫の杏樹が11月28日で2歳の誕生日を迎えた。それに先駆けて、母親である志保が保育園の面談に行ってきた。最近典型的なイヤイヤ2歳児のふるまいが目立っているので、先生に「どうしようもないですよ、この子は」と言われたらどうしよう、と怯えながら行ったが、
「杏樹ちゃんは、おじいちゃん、おばあちゃんもいて、とっても愛されて育っているのがよく分かります。それに、いろんな歌を一度で覚えてしまうし、いつも歌いながら踊っていて、保育園でもみんなにびっくりされ、可愛がられていますよ」
と担当の先生に言われて、ホッとして帰ってきた。

 しかしながら、イヤイヤ2歳児は、なかなかすさまじいものがある。お着替えは、気が向かないと絶対にしてくれない。無理矢理させようものなら阿鼻叫喚の大騒ぎ。そうかと思うと、気が向いたら向いたで、全部自分で最初からやりたがる。
「さあ、着替えようね!」
と言って、うっかり頭からシャツをかぶせようものなら、
「うーーーっ、ジブンデーーー!」
と言って、もう一度脱いで最初からやる。
 逆に、着ているものを脱がせかけるとまた大騒ぎ。せっかく脱いだのに、もう一度着てからあらためて脱ぎ始める。ところが調子が出てくると、そのままズボンもオムツも脱いで、いつの間にかすっぱだかになっている。

 CDなどで童謡をかけると、曲に合わせてよく踊る。僕も一緒に歌って踊る。それでキャッキャ言いながら喜ぶ時もあるが、その最中にピタッと動きが止まって、
「うーーーっ、ジブンデー!」
言われると大変だ。また最初からかけ直して、ひとりで歌わせないといけない。ところが、途中でだんだん歌詞があやしくなってくるとこちらの顔を伺う。その時には助けて歌ってあげる。そのタイミングを見誤ると、また最初からかけないといけない。
 保育園でも「ジブンデ!」を連発しているらしい。でも、先生達はやさしいな。というか、2歳児はみんな多かれ少なかれそうだから、慣れているんだろう。“独立心の芽生え”とポジティヴに評価して、受け容れてくれている。

 独立心の芽生えなんだから、じっと忍耐して待っていてあげたいところだが、なにせ「ジブンデ!」は時間がかかって仕方がない。保育園に行く時間が近づいてくるとか、こちらに余裕がなくなってくると、そうも言ってられないのだ。そんな時はじーじの出番だ。
 どういうわけか、あんなにイヤイヤを言っている時も、じいじが本気出しているなと分かると、スーッとおとなしくなる。
「ジブンデ!」
「ダメ!」
「ジブンデーーーー!」
「ダメーーーー!」
と、押し問答しながら力づくで着替えさせたりしていたら、次第に“力づく”が来るなと思った時点であきらめるようになってきた。それに、そんな風に全力で抵抗して負けてしまっても、結局自分にとって悪い事は起こらないということを多少学習したようだ。
 ただ、このやり方はたまにしか効かない。そんなにしょっちゅう本気のハズはないでしょ、と敵も分かっている。そんな駆け引きが出来るようになってきたのも成長した証拠。

 新国立劇場の立ち稽古がたまたま早く終わったりすると、以前はよくプールに行ったものだったが、今は一刻も早く家に帰る。志保が二期会の仕事で夜いない時には、妻がひとりで杏樹の面倒を見ているからだ。そんな時じいじが早く帰って来ると、超喜んでくれる。
 娘達が大きくなってから、自分の帰宅をこんなに喜んでもらうことはなくなっていたから、僕も喜ばれて嬉しい。もっと嬉しいのは、杏樹だけでなく、妻も僕の帰宅を喜んでくれること。
「なんだ、帰ってきたの」
という眼をしないどころか、
「よくぞ帰ってきてくれました」
という表情で迎えられるのは何十年ぶりだろうか(笑)。
 志保が結構ピアノの仕事で忙しいので、妻も杏樹と2人っきりのことが多く、時々杏樹をもてあまして煮詰まってきているから、僕に任せられるのでホッとするのだ。

 僕は、普段何をやっても、
「こんなことしていていいんだろうか?もっと先決してやることがあるのではないだろうか?」
と思う人間なのだが、ふたつのことだけは、それをしている時に全く迷いがない。それは、スキーをしている時と、杏樹と遊んでいる時。
 ということで、杏樹が寝るまでは全面的に彼女に時間を割く。一番の楽しみは一緒にお風呂に入ること。湯船の中で杏樹を抱っこしながらザブンザブンと波を起こすと、キャッキャと声を出して笑う。時々妻が「うるさいわよ!」とお風呂場に駆け込んでくるが、なあに構やしない。
 注意しながら髪の毛を濡らし、シャンプーをする。お湯が顔にかかっても、よく泣かないで我慢している。僕のシャワーのかけ方も上手なんだけどね。それから、肩まで湯船に浸かって10数えて出る。その後、パジャマを着せるのが、またひと苦労なのだけれど・・・・寝室に行って、歯磨きをして、絵本を読んであげる。そして一緒にねんねする。この瞬間ほどしあわせな時を僕は知らない。
 布団の中でしだいにおとなしくなってくると、僕は彼女の髪の毛をやさしく撫でながらいつもつぶやく。
「杏樹・・・かわいいね。ありがとうね。じーじのところに来てくれて。じーじは杏樹と出遭えて本当によかったよ。じーじは、杏樹のためだったら何だってしてあげる。しずかにおやすみ!また、神様に守られた明日が来ますように・・・」
 僕の言っていることを分かっている。暗闇の中だが、とても満ち足りた表情をしているのが分かる。
「じーじ・・・」
「はあい・・・あんじゅ・・・」
「はあい・・・じーじ・・・」
「はあい・・・」
と繰りかえしている内に、しだいに黙ってきて、いつしか深い寝息に変わっている。無防備な、全面信頼して委ねっきりのひとりの幼児の体温を腕に感じていると、僕の胸の奥から、泣きたいほどの深い愛情と感謝の気持ちが湧き起こってくる。
「神様、ありがとうございます!ひとつの命を心からいつくしむことの出来る、この機会を与えてくださって、本当に感謝します。どうか、杏樹がすこやかに育っていきますように・・・・杏樹を、ずっとずっとあなたのやさしい光で包み、彼女の人生をずっとずっと守り導いてください」

 もし、僕という人間が、昔よりも包容力のあるやさしい人間になっていたとしたら、それはひとえに杏樹のお陰である。まだ生まれて2年しか経っていない杏樹は、60歳の僕をこれほど変えたのだ。ひとりの人間の命って、こんなにも偉大なのだ。


杏樹2歳のお誕生日

河原杏樹、2歳、趣味=歌とダンス、好きな言葉=ジブンデ

レリス氏の文章を教材にイタリア語レッスン
 今でも毎週イタリア語の個人レッスンに通っている。基本的には1時間のイタリア語によるフリー・カンヴァセーション。その間は一切日本語を使わない。ほぼ毎週真面目に通っているにはいるが、ここのところずっと忙しくて、予習復習の勉強をサボり気味であった。
 レッスンをしながらだんだん思い出していって、最後くらいにやっと調子が出てきたと思ったら、また勉強しないで一週間経って、先週やった所さえ忘れての繰り返しである。実になさけない。それでも通っていれば、少なくともいちじるしい後退だけは避けることが出来る。

 さて一方では、10日くらい前から、長きに渡って中断していたフランス語を勉強し始めた。実は、来年5月はじめに、東大コール・アカデミーのOB会アカデミカ・コールを連れてパリに渡り、マドレーヌ寺院でグノーのミサ曲と僕の自作の「3つのイタリア語の祈り」を指揮しなければならない。
 折も折、パリで同時多発テロが起こり、レリス氏の声明が発表されたので、ちょうど良いタイミングだと思って、レリス氏の文章をまず日本語に訳してみたのだ。よしよし、文章を読むことに関しては、案外衰えてはいない。
 そこで今度は、新国立劇場の「トスカ」の本番や「ファルスタッフ」の舞台稽古の空き時間に楽屋にこもって、仏文をイタリア語に訳し、イタリア語の先生のレッスンに持って行くことにした。先生は、僕が久し振りにきちんと勉強していったので、とても喜んでくれた。

 フランス語とイタリア語は、ともにラテン語オリジンであるから、単語も共通しているし、文法の構造も似ている。しかしながら、細かいニュアンスの点では、時にかなりの違いも見られる。オペラのテキストなどの古い文献では、現在よりもフランス語と共通する単語が多いが、長い間に双方が独自の発展を遂げていったのだ。
 僕のイタリア語の先生は、Rさんというイタリア人女性。彼女も、バタクラン劇場で妻を失ったレリス氏とその文章のことは知っていた。彼女とメールやFacebookでやりとりしている在イタリアの友人達との間でも大変な話題になっているとのことで、彼女がすでにイタリア語に翻訳されたものを読んでいたので、話は早かった。仏伊和の三つの訳を並べてみたので、参考にして欲しい。イタリア語は、すでに先生の添削が入って、自分なりに完成したものである。

 僕は、わざと、なるべく仏伊共通する単語を使って訳してみた。そして先生から添削をしてもらうことによって、具体的にどの点がフランス語と違うか確認してみようとした。まず、タイトルであるが、フランス語のVous n'aurez pas ma haineは、何の困難もなく置き換えることが出来た。Voi non avrete il mio odioというように、neとpasで動詞を囲むフランス語否定文の構造との違いを除けば、そのまま単語を取り替えればいいだけだ。
 でも、このラテン民族間では問題ない文章が、日本語に直すときには苦労した。何故なら、直訳すると「あなた達は僕の憎悪を持たないだろう」だから、「レリス氏の憎悪をテロリスト達が持つ」という表現が、日本人としてはピンと来ないのだ。
 結局僕は、直訳からあまり離れない「あなた達は、僕から憎しみを得る事はないだろう」という訳に落ち着いたが、日本語的には、たとえば「それでも僕はあなた達を憎まない」のように思い切って意訳しちゃった方が、こなれていていいのかも知れない。新聞などでは、おおかたそういう方向で訳している。
 でもねえ、それでは自分の決意は表現出来ても、「テロリスト達が望んでいたようには、自分からの憎悪は得られないのだ」という、相手側に立ったニュアンスは消えてしまうのだ。それは、ちょうど食事の時に相手に投げかけるBon appétit !(おいしく召し上がれ)と日本語の「いただきます!」との違いのようなものである。
 さて、ほとんど同じだと言ったが、もう一度タイトルの原文を注意して見比べてみよう。ちょっとした違いがある。フランス語では、ma haineと冠詞を使っていないが、
「イタリア語では冠詞を入れないと駄目よ」
と先生に言われた。
 つまりmio odioだけでは不充分で、il mio odioとするべきなのだ。全体的にイタリア語の方が冠詞を入れるようである。l'amour de ma vie(僕が自分の人生を賭けて愛する人)もmia vitaだけでは不充分で、l'amore della mia vitaなのだ。イタリア語って結構厳密なのだ。人間はいい加減な奴が多いのだけれど(笑)。

 一般的かどうか分からないけれど、この文章に関して言うと、フランス語の方が言葉を省き、分かっていることは最小限の言葉で済ます傾向がある。たとえばPerdu.というperdre(失う、負ける)の過去分詞だけの文章。それをそのまま訳して、イタリア語でPerso.とだけ書いて持って行ったら、
「負ける?どっちが?」
と言われた。僕が、
「だってフランス語はPerduだけなんだもん」
と言ったら、
「分かるけどね。でも、イタリア人は、きちんとVoi avete perso.と言わないと、誰も納得しないわよ」
だって。確かに、日本語でも僕は無意識のうちに、
「でも、あなた達は負けだよ」
と誤解のないように書いているものね。

 そのすぐ後のMême joueur joue encore.という文章は分かりづらい。このMême joueur(同じ選手)は、レリス氏自身のことで、彼が、妻を殺されたことに逆上してテロリスト達を憎む生き方に変わってしまったら、かえって彼らの思うつぼで“負け”だが、“変わらないことで彼らに勝利している”ということを伝えたいのだ。
 トーナメントなどの試合では、負けてしまったらそこで終了で試合場から去っていくけれど、同じチームや選手がまだ残って戦っているということは、勝利し続けているわけであるし、これからも残って勝利し続けるぞ、という宣言をしているわけである・・・という風に、ここまで説明をしないと日本人には分かりづらいので、いくつかの日本語訳では、意図的に全く訳していない。でも、サッカーの試合などに慣れているヨーロッパ人には、すぐ伝わるようだ。

 変わり果てた妻の姿に、やっと3日ぶりに再会したレリス氏は、彼女が「金曜日の晩に出掛けていった時と同じように美しかった」と述べている。次の文章の「12年以上前、狂おしく恋に落ちた、あの時と同じように美しかった」というくだりは、涙なしには読めないほど胸を打つ文章だ。
 この原文にあるtomber amoureux éperdument(我を忘れるくらい激しく恋に落ちる)という表現をなんとか生かしたいと思っていた。イタリア語で一目惚れのことはcolpo di fulmine(雷に打たれた)という表現をするので、最初、その動詞形を使ってanche bella come quando ero colpito da un fulmine perdutamente(雷に打たれて我を忘れた、あの時と同じように美しかった)と訳したら、先生に直された。
「気持ちは分かるけれど、ここは普通にmi sono innamorato di lei (彼女に恋した)と訳しましょう」
と言われたが、いつも恋してばかりいるイタリア人のこと、innamoratoは日常的に使っているので、ただ「恋した」だけでは普通過ぎてつまらない。
 フランス語のtomber amoureuxという表現は素敵だな。tomberという動詞は「落ちる、倒れる、転ぶ」という意味を持つ。amoureuxは「恋している状態である、惚れている」という意味の形容詞。それだけで「突然つまづいて転んだように恋に落ちてしまった」という感じが出ていて、そこに「失う」の意味を持つperdreから派生したéperdumentが加わると、さらに我を忘れるほど激しい感じになるのだ。
 先生は、éperdumentのイタリア訳であるperdutamenteの代わりに、
「pazzamenteを使ってもいいわよ」
と言ったけれど、pazzo(狂った)の副詞形pazzamenteでは、なんか軽くなってしまって、ちょっと抵抗があるな。そもそも「狂った」という言葉は、最近では差別用語に位置づけられていて、使うのがためらわれる。といいながら、僕は、日本語にする時に、どうしてもフランス語の持つあの深くて激しい感じを出したかったので、試行錯誤の結果「狂おしく恋に落ちた」とした。「狂おしく」と「狂った」は違うからね。というより、イタリアの街角では普通に「阿呆!」という意味でpazzoという言葉が飛び交っているんだけどね。差別用語もヘチマもない。

 息子のメルヴィル君がお昼寝から目覚めるので、彼の所に行かなくちゃ、というくだりで、レリス氏はje dois rejoindre Melvil(メルヴィルと合流しなくちゃ)という言葉を使っている。それで、僕はわざと同じようにdevo congiungermi con Melvilと書いていったら、
「普通にメルヴィル君の所にAndare(行く)と言った方が良いわ。そのかわりda Melvilというのよ」
と言う。
「でもda Melvilと言うと、メルヴィル君の家に、という意味になるんじゃ?」
「もっと広く、メルヴィル君の居る所へという意味。それにフランス語でも“合流する”という言葉を使うということは、レリスさんと違う部屋で寝ているということでしょう」
「なるほど」

フランス語では、aller(行く)と動詞の不定形を組み合わせることによって、ごく近い未来を表現する。il va manger(彼は間もなく食べるだろう)とか、nous allons jouer(僕たちは間もなく遊ぶだろう)というように。でも、僕がva mangiareとかandiamo giocareと書いて持って行ったら、
「イタリア語でも、そういう使い方はないわけではないけれど、こう書かれると違和感があるわ」
と、普通の未来形に直された。

 最後に「あなた達は、彼からも憎しみを得ることは決してないからだ」のくだりであるが、イタリア語でnemmeno(~さえもない、~すらない)という言葉を使うことを先生が提案したのは良かった。つまり、レリス氏のみならずメルヴィル君でさえも、テロリス達を憎まないことで、テロリスト達に勝利し続けるのだ、というニュアンスが高まるからだ。

 という風にして、仏伊日の文章が完成しました。日本語も、先週急いで訳したものから少し変えているので、これが決定版です。手前味噌だけど、そのへんに出回っているものよりも、ずっと原文の意図が明確に伝わっていると思うよ。
 それにしても、フランスはレリス氏のこの声明を国の政策に取り入れる気は全然ないね。もうこんな世の中終わっちまえ、って僕が神様なら思うね。神様は、僕なんかよりずっと気が長いんだね。いつくしみの神なんだね。



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