クリスマスおめでとう!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のポートレート

クリスマスおめでとう!
 主の御降誕をお喜び申し上げます。このホームページを訪れてくれた人みんなにとって、来年の降誕祭までの一年間が幸ある時で満たされますように!そして、世界中に少しでも、愛と平和が広がりますように!

 今年は、数年ぶりに我が家で過ごすクリスマス・イヴとなる。昨年までは、東京カテドラル関口教会に聖歌隊指揮者として夜半まで詰めていて、それはそれで奉仕に徹したクリスマス・イヴで、精神的充実感があった。しかしながらその任を解かれ、関口教会に行く前までずっと行っていた「家族水入らずのイヴ」が久々の復活である。
 孫娘の杏樹は5歳のやんちゃ盛り。中目黒に住んでいる次女の杏奈も帰って来て、立川教会で一家揃ってミサに出席した後、家に帰ってきて5人でお祝いをする。

 僕はいつも思っている。自分は誰よりもしあわせだし、しあわせでないといけない。信仰を持つ人間がしあわせでいることで、信仰を持たない人達に、しあわせな人生があるということを示すべきなのだ。そして、そのしあわせは、「こうなったら」という条件付きのものであってはいけない。人間は、無条件でしあわせであり得る存在なのである。
 まず、こうして生かされていることがしあわせである。そして、自分の人生の中で、様々な喜びと、気付きを与えられ、そして、それぞれの器に応じての労苦が与えられ、それを通して魂の学びをさせてもらえることがしあわせである。

 何故、魂の学びをすることがしあわせなのか?それは、それによって人生にポイントがつくからなのだ。これこそ人生における最大の希望なのだ。考えてもごらん。僕たちみんな、試合やゲームというものが好きだろう。野球でもサッカーでも見ていて、相手に点を入れられたりすると、「あーっ、畜生!」とか思ったりするけれど、挽回して逆転したりすると、そこに人生を見るっていうか、えも言われぬ喜びを感じるだろう。山あり谷ありだから面白いんじゃないか。それに、もし野球やサッカーに得点がつかずに、ただ漫然とダラダラと試合を続けていたって張り合いがないだろう。やっぱり、得点という結果が出ないとつまらないよね。

 人生もゲームなんだ。僕たちはみんな人生というゲームをしている。野球は9回で終わり、サッカーは45分が2回で終わるが、人生のゲームオーバーはそれぞれの死の時である。だから、人によって違い、いつ終わるかは知らされていない。

 みなさんは知っているだろうか?どのような価値基準で人生には得点がつくかを?それはね、この物質的価値観に満ちた世界で、いかにしてスピリチュアルな価値観に沿って生きたか、ということがポイントとなるのだ。だから、一生懸命稼いでお金を儲けて、そのお金でおいしいものを食べても、それだけではポイントに結びつかないのだ。逆に人を瞞したり盗んだりするとマイナス。では、プラスになるためにはどうしたらいいのだろうか?

 うふふふ・・・それは自分で考えてね。だって、これを書き始めると一冊の本が出来てしまうから。ただひとつだけ大切なことを教えよう。それは、得点が加算される時には、必ずひとつの信号が与えられる。それは「しあわせ感」なのだ。たとえば、人から何かをプレゼントされると嬉しいけれど、それはそれだけ。でも、人に何かをプレゼントして相手が喜んでくれると、その嬉しさに「しあわせ感」が加わるのだ。

 その「しあわせ感」を持てば持つほど、ポイント加算というわけだ。しあわせになれて、さらにポイント加算だ。こんな良いことはないだろう。それが信仰者の希望。つまり、「与える人生」を送るってことだ。さらに突っ込んで言うと、みかえりを求めずに「与え切る人生」を送るってこと。
 でも、これが出来るためには、現世的な価値観に支配されていては無理なのだ。だって通常だと、どんなに譲ってもせいぜいギブ・アンド・テイクだろう、でもポイントを取るためには徹底的にギブ・アンド・ギブでないといけないからね。それどころか、巷ではむしろテイク・アンド・テイクなんだから、誰がそんなお人好しな人生を歩めるかっていう話だよね。

 でも、みなさん。このクリスマスの時に、ちょっとだけでも、このギブ・アンド・ギブの生き方を考えてみてください。それが僕の「今日この頃」の読者への心からの願いです!

フランシスカン・チャペルセンター聖堂(秘蔵写真公開)
 12月19日水曜日。マッシモ・ザネッティ指揮、読売日本交響楽団の第九演奏会の初日。ゲネプロは17時から。新宿で、いつもの通り都営新宿線に入って、市ヶ谷から南北線に乗り換えて六本木一丁目に行ってサントリーホールに行こうとしたら、事故で電車が新宿から先には行かない。
 仕方ないので大江戸線に乗り、六本木まで行った。それから坂を下ってサントリーホールまで徒歩で行こうとしたが、途中でふとフランシスカン・チャペルセンターに立ち寄ってみたくなった。
以前、建物の前まで行ったが、今日はなんだか是非とも聖堂に入ってみたかった。受付にお姉さんがいる。
「すみません、聖体訪問をしたいのですが、聖堂はどちらでしたっけ?」
「そちらの階段を登って二階です」
そうだ、そうだった。そんなことまで忘れていた。

 フランシスカン・チャペルセンターは、もともとは、1950年頃に六本木にフランシスコ修道会によって設立された宣教師たちのための日本語学校であったという。その頃、付近の大使館などから、外国人司祭たちのために、そこで英語によるミサをあげて欲しいという要望が生まれ、日曜日毎に英語のミサが行われるようになった。
 その後、しだいに参加者が増えてきて手狭になったため、1967年に新聖堂を建設し現在に至っている。位置づけとしては、東京大司教区六本木教会である。

 聖堂に入る。祭壇をぐるっと取り囲むこじんまりした聖堂。そうだ、忘れていたけれど、すべてこのままだ。iPhoneで写真を撮って妻に送る。実は、ここで僕は1979年10月22日、結婚式をしている。もう39年前ということになる。

 僕と妻の結婚は、僕の両親によって強く反対されていた。一番大きな原因は、妻の家族がクリスチャンであったということ。僕は20歳の時に洗礼を受けたが、それも家族に内緒だった。
 今から考えると、建設業を営んでいた親父にとって、仏壇と神棚は仕事上もはずせないもので、その長男がカトリック信者になったら、地鎮祭や棟上げ式はどうなっちゃうのだ?ということだったのだろうな。気持ちは分からないでもない。
 でも当時の僕は、そんなこと知るか、という感じだった。自分の信仰も結婚も、人生で最も大事なことは、親なんかではなく自分で決めたかったから。僕は、自分たちの結婚を本気にしない親父をぶん殴って家を出てきてしまった。もう親の世話にはなれないし、なりたくない。たまたまジャズピアノが弾けたので、新宿ライオンなどのビアレストランや、ホテルのピアノ弾きのアルバイトで生活費を稼ぎ、結婚も自分でやるのだと決心した。

 洗礼を受ける前、僕は好んで桐生の聖フランシスコ修道院に行っていたが、その時親しくしていたフレビアン神父が、結婚する頃にはフランシスカン・チャペルセンターの館長になっていることを知る。そこで、妻と二人で彼を訪ねた。
 フレビアン神父に事情を話すと、彼は、僕たちの結婚式の司式をしてくれることを快く承諾してくれた。そこで、彼から結婚講座を受けて、僕たちはフレビアン神父の司式によって、ここフランシスカン・チャペルセンターで晴れて夫婦になったのだ。
 結婚式には、妻の両親は列席してくれたが、僕の両親は当然いなかった。あとは、当時ピアノ弾きでアルバイトしていた仲間たち(その中にはタレントの石田純一のお姉さんであるピアニストの石田桃子さんもいた)、それに親友の角皆優人君や高橋正光君などが駆けつけてくれた。

写真 1979年10月22日の結婚式の模様
1979年10月結婚式


 僕たち夫婦は、僕がピアニストで稼いだお金でベルリンに行ったが、その間に両親とは和解した。信仰も結婚も本当に本気だったんだなと親には分かってもらえた。その一方で、僕は仏壇と神棚は守るからという約束を親父とした。
 お金が底をつきそうだったので、留学を2年で帰って来ようと思ったが、指揮科のラーベンシュタイン教授は、
「お前の成績だったらあと1年勉強すれば良い成績で卒業できる」
と言ってくれたし、両親は、
「もう、今までのことはいいから、悔いのないように勉強しろ。その分の学費は出してやる」
と言ってくれたので、その言葉に甘えた。そのお陰で、一等賞の成績で指揮科を卒業できた。

 ベルリンにいる間に長女の志保が生まれ、日本に帰ってきて間もない頃に次女の杏奈が生まれた。それから果てしない時間が流れ、志保も杏奈もパリに留学した。志保は、オペラのコレペティトール及び伴奏ピアニストとなり、杏奈は、クラリネットを勉強した後、メイクアップ・アーティストになった。志保は杏樹を産み、僕はおじいちゃんになった。
 両親は、希望の長男が自分たちを見棄てて家を出て行ったことで、当時とても落胆したとは思う。そのことは申し訳なかったとは思うが、僕は自分の歩んできた道を決して後悔してはいない。

 そんな過去のことをずっと振り返りながら、僕はフランシスカン・チャペルセンター聖堂でひとり祈っていた。自分が、納得した人生を歩めたことに対する感謝の念が溢れ出て止まらなかった。ありがとうございました、フレビアン神父様。ありがとうございました、神様!そして、今日まで僕をずっと助けてくれている妻よ。ありがとう!

 祈っていたら、若い女の子が二人、聖堂に入ってきた。小声でしゃべっているが英語だ。そして当然のことのように跪き、沈黙して祈り始めた。
彼女たちの姿を見ながら、僕の脳裏には、
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」
という言葉が浮かんだ。これは口語訳の聖書の「伝道の書」第12章第1節の言葉だ。新共同訳では、
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」
と言っているが、僕には口語訳の方がピッタリくる。

写真 フランシスカン・チャペルセンター聖堂と二人の女の子
フランシスカン・チャペルセンター聖堂


 大海原にあてもなく漕ぎ出していくような若き日。でも、造り主を知っているなら、少なくとも何があっても最後に辿り着く先が見えている。目の前に広がる人生は、不確定で不安に満ち、無情で、冷酷で、何の拠り所もなさそうに見えるが、その中にあって、唯一彼方に一条の光が見えるか否かで、大きく違ってくる。
 神はいる。そう信じてきた人生。そして・・・神はいた。そう思いながら、僕はフランシスカン・チャペルセンターを後にし、サントリーホールに向かった。
 

また来たぜ、ガーラ湯沢
 12月21日金曜日。ガーラ湯沢は快晴。でも、今年の雪不足のため、ゲレンデはまた全面滑走可ではない。特に積雪がないためコブ斜面は望むべくもない。そこで僕は、Speed Chargerというスラローム用の板を持って行って、ひたすら整地をカッコ良く滑ることに専念した。
 中央エリアには、なだらかなエンターテイメントとちょっと急なジジ、それに結構急斜面のグルノーブルがある。それから北エリアは、基本的に急なブロードウェイと迂回コースのスワン。このスワンの途中のスーパースワンが、僕のお気に入りのコブの練習コースなのだが、これはまだ「おあずけ」。そして南斜面の南エリアは全く開いていない。

 グルノーブル上部は高津倉山頂で1181メートルあり、このあたり一帯では一番高い。それだけに雪質は下の方とは大違いで、まだ雪の量がないとはいえゲレンデ状態は大満足。以前にも書いたことだけれど、この山頂から眺める景色こそ、1990年頃、まだ自分がこんな風にスキーなんかするなどとは夢にも思わなかった時に、夢に繰り返し出てきて、「何だろなあ、これは・・・・」と思っていたら、スキーにハマった2009年以降のある時、突然、それがデジャヴであったことに気が付いた“曰く付きの”景色である。
 だから、ここに立つといつも特別な感慨に浸る。
「また来たぜ!」
ここは、白馬五竜スキー場と並んで、現在の僕にはなくてはならない風景なのだ。

写真 また来たぜガーラ湯沢 ゲレンデからの眺望
また来たぜガーラ湯沢


 そして、ここから滑ってグルノーブル下部は、写真の通り結構な傾斜で、これをSpeed Chargerで滑ると、その爽快感は言葉では言えない。今日の僕の課題は、この板で、高速での安定度を磨くこと。特に、ハイCと言われるターン前半でも、ズラしをしながらスピード・コントロールをしてフォールラインを越え、全体の弧の形を整えることに務めた。
 それに、あえて縦長のS字を作りながら、自分の中の常識的なスピード値を超えようとした。というと、スピード・コントロールと反対のような気がするが、スピード・コントロールとは遅くすることだけを言うのではない。急斜面になればなるほど、小さい自然コブが出来ていたりするので、きめ細かいスピード・コントロールが求められる。
「おっとっとっと!」
と、ヨタりながら高速で危なっかしく滑ってもちっとも偉くない。むしろ細かい筆で丁寧に微細画を描写するように、すべてのゲレンデ状態に対応しながら、少しずつ自分の安全なスピード値を上げていくのだ。その点では僕はとても慎重。決して無理をしない。だって、自分が怪我をするといろいろ迷惑がかかるので、絶対に怪我をしないのがモットーだからだ。だったらスピードを出さなければいいんだが、そうもいかないんだよね。

写真 ガーラ湯沢のグルノーブル下部の急斜面
グルノーブル下部


 時々あえてフル・カーヴィングも試みてみる。外足を引きつるように延ばして、内足は曲げてたたみ込む。するとターンが終わるところで、板が自分を押し上げてくれて、抜重の意識がなくても、次のターンに導いてくれる。そこで新しい内足を小指側に傾けて舵取りをすると、ターン初動がスムース。コブではこのテクニックは使えないが、今日は整地オンリーなので、これも楽しんじゃえ。
 面白いのは、これって軌道上では直滑降よりもスピードが出ている気がするが、カーヴィングの軌道そのものが深回りなので、結局下に降りる速度は、従来のやり方で縦長のSの方が速いのではないかな。
 アルペンなんかでポールを越えるために、真横に近いくらい横動きするためにはカーヴィングは必須だが、カーヴィングって、自分ばっかりが速い気になるんだ。でも、だから、まあ楽しいといえば楽しい。軌道の上を走るジェットコースターと一緒。
 ただやはり、ズラしを使ってきめ細かくサバくのがより芸術的だと僕には思われる。たとえば、一番の急斜面で、切り替えの時に屈伸抜重をしながら、足を後ろに引いて逆ハート型のショートターン(ウェーデルン)をする。こういうのが王道だよ。

 今日は本当は、どうせコブがないだろうから、早々と引き上げてガーラの湯に浸かって、
「ああ、こりゃこりゃ」
という感じで、それからソフトクリームを食べて、のんびりと新幹線に乗って・・・と思っていたが、グルノーブルでの高速滑走が面白くなっちゃって、
「もう一回・・・もう一回・・・もう一回!」
と果てしなく滑っている内に、
「いっけねえ、もうガーラの湯に入っている時間ないわ」
となってしまった。気が付いてみたら、腿やスネが結構痛くなっている。やっぱり、高速のターンを受けとめるのに足の筋肉を結構使っているんだなあ。

 この原稿を書いている現在、まだ太ももがちょっと痛い。でもさあ、やっぱりスキーって、本当に楽しい!僕の人生で、音楽の次に面白いものといったら、間違いなくスキーだ。さあ、お山デビューしたぞう!今年の僕のスキー・シーズンの幕は、とうとう切って落とされた。

年末はお休みします。みなさん、良いお年を!

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