Zoomレッスン開始宣言

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

Zoomレッスン開始宣言
 9月1日からいよいよZoomレッスンを開始します。詳しいことはホームの僕の画像下の「申し込み要項」をクリックして読んで下さい。その後で「レッスン可能日」から日時を選んで、メールで申し込んで下さい。アドレスは以下の通り。
maestro.takemeconducting@gmail.com
受講とは直接関係ない質問も受け付けますが、受講する方は、必ず「申し込み要項」の項目について答える形で記入して下さい。

 いろいろな方が受けると思う。オーケストラの指揮者をめざす人もいれば、合唱指導をやっている人もいるだろう。オペラを勉強してみたいという方もいるかも知れない。でも、あらかじめ言っておきます。

初心者は気後れしないでください。無理しないよう、やさしく教えます。

中級者は、先に進みたいかも知れないけれど、基本に戻らされても焦ったりじれったがったりしないでください。
必ず後で効果が現れます。

上級者にはビシビシいきますが、決してスパルタでもないし、形を強要したりはしません。
ただ、自分がどういう音楽をやりたいか、なるべく具体的なイメージを持つこと。残念ながら、これだけは、こちらからは教えられないのです。
さて、ちょっと具体的に、受講曲の例を挙げます。逆に、これに惑わされず、自分のレベルに合わせて、選曲して下さい。くれぐれも背伸びしないこと。

合唱曲は、コンクール用などの知らない曲でも、楽譜を(PDF)などで添付して送ってくれれば、どの曲でも対応します。

ベートーヴェンの交響曲 1番から9番まで
8番までは、かつて山田一雄先生からレッスンを受けた時に、スコアの隅から隅まで暗譜して勉強しました。
第九は、もう数え切れないほど暗譜で指揮しているので、どんな質問にも答えられます。

モーツァルト
交響曲第39番 40番 41番
レクィエム
ミサ曲ハ短調 
戴冠ミサ曲他、ほとんどのミサ曲及びリタニアなどの宗教曲は、モーツァルト200合唱団で指揮しています。
Ave verum corpus 1回のレッスンだとこの一曲で丁度良いくらい
「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」他
オペラ全曲は無理なので、アリアだけでもいい。

その他、オペラでは、ヴェルディでもワーグナーでもプッチーニでもなんでもOKですが、特にシーンを限定した方が効果的。プッチーニ「蝶々夫人」などは、東京フィルハーモニー交響楽団で25回も指揮しています。

バッハ
「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」あるいはカンタータなど何でも。
バッハは指揮するのが難しくないように思われていますが、決してそんなことありません。
受難曲のアリアだけでも学ぶことは無限にあります。

その他、ハイドン、メンデルスゾーンなどのオラトリオ

マーラー
交響曲 第2番「復活」 第3番 第4番

ブラームス 4つの交響曲

チャイコフスキー 交響曲 第4番 第5番 第6番 

 これらはほんの一例です。僕は、ベルリン芸術大学指揮科在学中は、ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」なども勉強したし、卒業試験では、チャイコフスキー作曲、交響曲第5番を指揮して最優秀賞を取得して卒業しました。

孤独のアンサンブルから明日へのアンサンブルへ
 我が家の夕飯は、たいてい6時から6時半の間。夕飯時にビールを飲むが350mlを一缶だけと決めている。ドイツ・ビール大好きな僕でも、高温多湿な日本の夏では、なんといってもキリッとしたアサヒ・スーパードライだなあ!

 それから、孫の杏樹を寝かしつけるのは基本的に僕の役目。東京賢治シュタイナー学校の方針もあり、学校の始まりも7時35分と早いので、遅くとも8時までには眠りに入るようにする。以前は、杏樹が寝たのを見計らって、1時間15分ほどかかる夜の散歩に出掛けたが、今は暑くてやめている。
 晩はパソコンの部屋で、いろいろ細かい作業をする。それから10時半から11時頃に居間に降りて来て、娘達が僕の健康ために作ってくれているタマネギの酢漬けを肴に、寝る前の晩酌。
 妻はたいていもう寝ているが、娘達がいる時には、昼間出来ないいろんな話をして楽しいし、独りの時にはまた、ゆったりと流れる時を感じながらの至福の時。
 ちょっと前までBallantine'sのソーダ割りが定番だったが、夏になってからは、バーボンがマイブーム。Early Timesに目下ハマっている。高級感はないが、なんともいえない爽やかな香りがあって、コストパフォーマンスも良い。

 9月に入るとZoomレッスンも始まるし、だんだん仕事も入ってくるので、こうした生活は8月いっぱいまでかな。いろいろな仕事がどんどんキャンセルとなっていった3月終わりから4月頃にかけては、この先どうなるんだろうととっても不安だったが、かえって、このゆったりとした生活に慣れちゃったので、以前のようなガンガン仕事をする状態に戻れるか、かえって心配。

 8月21日金曜日の晩。11時にパソコンを消して居間に降りて来た。杏奈が起きていた。いつものようにタマネギの酢漬けの上に鰹節をかけ、ちょこっと醤油をかけて、冷蔵庫から氷とソーダ水を取り出し、Early Timesを注ぎながら何気なくテレビを付ける。すると聴き慣れたコールアングレのメロディーが聞こえてきた。
 あ、トリスタンだ!「トリスタンとイゾルデ」第3幕。海の垣間見える高台にある城の庭。傷ついたトリスタンが絶望に打ちひしがれて横たわっている。そこに聞こえてくるシャルマイの物寂しい響き。
 BS1でやっていた「オーケストラ・孤独のアンサンブル~希望編」(6月4日の再放送)であった。演奏していたのはNHK交響楽団奏者の池田昭子さん。うまいと思った。それから次々にトランペット、ホルン、フルート、チェロ、ファゴットと、それぞれのプレイヤーが、自宅の一室で伴奏もないたったひとりの演奏を奏でる。

 酔うことも忘れて感動した。まず、日本のメジャーオケのひとりひとりの実力をあらためて知った。普段こうして各楽器奏者が無伴奏で練習しているのを、特別注意もしないで聴いていた。
「ふーん、練習しているんだ」
くらいにしか思わなかったが、よーく聴いてみると、彼ら、無伴奏なんだけど、頭の中にはそれを伴奏しているオケの音がきちんと鳴っているんだ。というか、彼らの奏でたい確固たる音楽が、無伴奏なのに僕の耳には伴奏を伴って聞こえているのだ。
 驚いて、
「伴奏が聞こえるね」
とつぶやくと、かつてクラリネットをやっていた杏奈が、シンプルに、
「そうだよ」
と言った。
「何を言ってるんだ、この親父が、今頃」
という顔をしながら。
あははははは。

 いつもなら、毎日戦闘態勢という感じで、次から次へとオケの中で曲をこなし、時々回ってくるソロにちょっとドキドキしながら演奏会に立ち向かい、また明日の練習を待ち望む毎日を送っていただろうに・・・・こうした「語るべきものを持っている」選ばれたアーティスト達でさえ、突如として完全失業状態に追いやられるなんて・・・・僕は、初めて、コロナを「許せない」と思った。と、同時に、彼らに対して、心から、
「頑張れ!」
と祈った。

 次の晩(22日土曜日22時)は、「オーケストラ・明日へのアンサンブル」を、あらかじめ楽しみにしながら階下に降りて来て観た。孤独の中で練習していたひとりひとりのプレイヤーが集まり、アンサンブルを奏でる。ちょっと前まで、当たり前のようにしてやっていた日常の風景であったが、かえって非日常感が漂うのが不思議。

でも、ソーシャル・ディスタンスといったって、そんなに離れて演奏しなくてもいいだろう、とも思う。

 指揮がない場合、アンサンブルというのはこんな複雑なやり取りをするんだな、と、指揮者である僕は、妙なところにばかり興味がいく。たとえば「花のワルツ」の後半、テンポを追い上げていくところで、ヴァイオリンの篠崎史紀さんが、ちょっと速くメロディーを駆り立てる・・・が伴奏が付いて来ない。篠崎さんが即座にちょっとあきらめる。でも、伴奏の人たちは、そろそろもっと行ってもいいかなと思い始める・・・が次にメロディーを奏でる人は、
「え?あ、行きますか?」
と背中を突かれる。伴奏がちょっと行き過ぎかなと反省する。そんなこんなで、追い上げたり遠慮したりの繰り返し。誰かがアクセルを踏むと誰かがブレーキを・・・・。
 いや、違うんだ!誤解しないで欲しい。指揮者がいないからもどかしいとか言いたいのではない。これがアンサンブルなのだ。孤独の中では、この「気遣い」や「空気を読むこと」はないのだが、これが他の人と一緒に何かをやって、共に創り上げるということなのだ。

 最後の4小節のアゴーギクには笑ってしまった。ラレファ・ソラーレ・レファラ・レのソラーのルバートの伸ばしで、みんなが顔を見合う。テンションがマックス!
「ど・・・どーする?どーする?」
なんとかレの16分音符も合って、最後の2小節に突入。けれど、このレファラレでは、やっぱりちょっとアッチェレランドをかけるんだ。う~~~ん、トリッキーだねえ。でもね。こういうのって、煩わしいんじゃなくって、本来は楽しいんだ。

 ちょっとドキドキするのってステキじゃない?ジャズやポップスやラテン音楽の世界では、これがないとグルーヴィーじゃないんだ。ゆらぐから人間。
昨晩の感動とは全然質が違って、「集まって何かを共にやる」という人間の営みが、どんなに貴重なことなのかを僕は教えられた。昨晩は、あまり酔えなかったけれど、今晩は、とっても気持ち良く酔った。Early Timesのグラスの氷が時々カランと音を立てた。

人と一緒に生きるって煩わしい?
    でも楽しい!
でも気を遣う?
    でも楽しい!
これでいいのかな?っていつも思う。
    いや、正解なんてない。
迷惑かけてるかなっていつも思う。
    いいんだ、開き直っちまえ!

 いろんなことを考えさせられ、いろんな感動をもらい、いろんな希望を胸に抱くことができた2日間の番組だった。ありがとう、みなさん!また職場で会いましょう!

コロナとインフルとのバランス
 昨年末の白馬で、孫娘の杏樹がインフルエンザB型を発症し、旅先で大騒ぎになった後、東京に帰ってきたら、杏樹の母親である長女志保をはじめ、妻と次女の杏奈と、次々にインフルに感染したことは今年の最初の「今日この頃」に書いた。
 その中で僕だけが最後まで無症状でいた。1月3日には、我が家にバリトンの秋本健ちゃんの家族が来て僕を車に乗せ、一緒に川場スキー場に行ったし、6日から新国立劇場で「ラ・ボエーム」の合唱音楽稽古が始まった。
 しかしこれを新型コロナ・ウイルスにあてはめると大変だ。まず、白馬の宿泊先はレストランも兼ねているので、ただちに閉鎖されただろうし、従業員はみんな濃厚接触者でPCR検査を強要させられただろう。
 一方、三澤家は立派な家庭内クラスターなので、みんな入院させられただろう。僕も当然PCR検査をさせられただろうが、4人の患者と共に暮らしていたわけだから、曝露量はハンパでなく、従って陽性と出て感染者となり、「ラ・ボエーム」は降板せざるを得なかっただろう。

 杏樹は、40度の高熱による熱性痙攣のため、10秒以上息が止まっていた。あとで医師の知り合いに聞くと、まれではあるが、そのまま息絶えてしまう子供もいないわけではないという。それで、救急車で大町の病院まで運ばれたけれど、髄膜炎の心配などはないというので、妻の運転する車で間もなく帰ってきた。「感染拡大の可能性ありで入院」という話はまったくない。
 僕以外の家族も皆、医者に診てもらってインフルエンザの診断を受けたが、入院した者はいない。みんな熱も高く結構重症で、何日も布団の中で横たわっているしかなかったのに・・・。

 僕のコロナへの違和感は、こうした年末年始の体験の影響が大きい。僕の目には、インフルエンザの方がずっと危険なのに、感染拡大防止のなんの対応もないんだな。わずか冬の間だけに1千万人もの人が感染し、コロナとは比べ物にならない死者も出しているというのに、
「はい、インフルエンザB型です。では、家に帰って休んでね」
だけである。
「うつさないよう気を付けてください」
もない。
 感染力は、コロナとインフルエンザでは、ほぼ同レベルと言われている。飛沫による感染の可能性は、インフルエンザの方がむしろ高いといわれる。

 今年の7月、新国立劇場ではバレエ公演「竜宮 りゅうぐう」が行われていたが、中で働いていたスタッフ1名が新型コロナ・ウイルスに感染した。それだけで、7月30日及び31日の公演が中止となった。なお、実際に踊っていたバレエ・ダンサーたちは全員陰性であったという。
 僕は、それを聞いた時、暗澹たる思いにとらわれた。普通に考えて莫大な損失である。そのスタッフの気持ちはいかばかりであろう。自分ひとりのために、あの大がかりな新国立劇場での最後の2公演がつぶれ、観客のチケットは払い戻され、ダンサー達はそのまま「お疲れ様」となってしまうなんて・・・・。
「あたしたち、こんなに頑張って稽古もして、公演で踊っていたのに、なんなのよ!」
と、バレエ・ダンサーたちは、実際にはそこまで言わなかったとは思うが、少なくとも、感染して公演をストップさせたスタッフの脳裏には、そうした声がずっと響き渡っていたのではないか?気の毒で仕方ない。誰からもバッシングを受けなかったことを祈る。

 新国立劇場の公演中止の判断が適切だったかを問うているのではない。そうではなくて、そうせざるを得なかった世間の空気に、僕は違和感を感じるのだ。インフルエンザが原因で、たったひとりのスタッフのために2公演をつぶした事例は見たことがない。では、そんな判断を迫る新型コロナ・ウイルスは、インフルエンザより、一体どれだけ危険なものなのだろうか?

 新型コロナ・ウイルスを特別視する根本的な原因に、これが政府の定めた指定感染症であるということが挙げられる。これを定めた2月6日の時点では、それがどのくらい危険なウイルスか誰も分からなかったので、感染者が出たら、ただちに入院させ隔離させ、さらに、感染が拡大しないよう、感染者と接触のあった人の検査も徹底させようとした。

 検査はPCR検査による。このPCR検査について、人々はしだいに絶対的信頼を寄せるようになっていった。今でも、
「全国民にただちにPCR検査を受けさせるべし」
と主張する人が後を絶たないが、実はPCR検査には大きな落とし穴がある。

これは今朝の朝日新聞朝刊から。

東京都足立区の等潤病院では、入院していた60~80代の男女6人と50代の男性職員の計7人が感染するクラスター(感染者集団)が起きた。
感染が疑われる患者を受け入れる指定医療機関で、6人の患者のうち5人は感染の疑いで個室に入院していたが、PCR検査では陰性だったため、大部屋に移したところ、集団感染が起きたとみられる。
こうしたことが頻繁に起こっているのだ。極端なサイトなのでは、次のような意見もある
https://www.yushoukai.org/blog/pcr
とはいえ、ではPCR検査は役に立たないのかというと、そうとも言えない。あるサイトでは、PCR検査の特異度の高さを挙げている。
https://note.com/sunasaji/n/nb389ec51ec83
もともと優秀な検査方法ではあるのだが、医師の診断を離れてPCR検査だけ単体で安易に行われ、陽性者を機械的に“感染者”としてカウントして、メディアで発表するという事に問題があるのである。

 それにプラスして、仮にウイルスがただ喉に付いているだけなのをPCR検査が拾って陽性になった場合でも、陽性は陽性なので、指定感染症の規則に従って、原則入院及び隔離という処置をとらなければいけない、というところにも捻れの原因がある。
 病気というものは、そもそも発症してから医者のところに行き、検査を受けて、場合によっては入院という順序を経るべきなのに、何の発症もしないまま隔離施設に閉じ込められて、無意味に2週間を過ごす、というナンセンスな状況が起きている。
 この指定感染症を解除ないしは規則の変更を行おうという意見は、どこからも出てこないのか?これって、ただ社会をいたずらに止めているだけではないか?

 さてその一方で、コロナ以外では、現在とても深刻な状況が起きている。東京都では、8月に入ってから21日までの間に、熱中症による死者が148人も出た。コロナによる東京都の死者は、今調べたところでははっきりしていないが、恐らくやっと2桁になったところくらいだと思う。また、熱中症で救急搬送された人は8月10日から16日までのわずかな間に東京都だけで1万2804人。こちらの方が絶対に恐いと思いませんか。
 夏には熱中症。冬にはインフルエンザ。秋には台風。世界はともかく、日本には恐いものがいっぱいある。コロナを恐がるなと言いたいわけではないが、少なくとも、かつてのイタリアとか、最近までのブラジルのように、遺体の埋葬も間に合わないほどのパニックを引き起こすような状況ではない。にもかかわらず、日本人の反応や対応が、コロナだけに限って過剰だと思うのは僕だけなのだろうか?

 そういえば、大阪府の吉村知事が、
「イソジン(ポビドンヨード)でうがいしたらPCR検査で陰性になる」
と言ったことで、みんなバッシングしているけれど、僕は、逆に結構本質を突いていると思っている。
 イソジンには確かに局部的な殺菌効果がある。だから、コロナが喉についている程度の人ならば、無駄に擬陽性になって隔離されるのはナンセンスなので、そういう人はイソジンでうがいして陰性になればいいじゃないか。なんら問題はない。逆に、ウイルスが体内で増殖を繰り返して発症直前の場合には、イソジンくらいでは陰性にならないだろう。
 誰も、イソジンがコロナを根本的に直す特効薬だとは思っていない。それなのに、なんであんなに吉村知事をバッシングするのか僕には分からない。もっと、愚かなのは、それで店からイソジンが消えたというのだから、まあこの国民は、トイレットペーパーやティッシュが店から消えた時から、まったく進歩していないんだね。

 さて、何も分からない素人ならともかく、日本感染症学会ともあろうプロ集団が、無症状で水増しされた感染者数を真に受けて、
「緊急事態宣言の頃の第一波の感染者をはるかにしのいで今は第二波の真っ只中!」
という結論を出しているんだけれど、大丈夫ですかあ。この国?

 ちょっと救いなのが、それに対する政府の反応。厚生労働省は、
「そもそも第一波、第二波の定義をしていないのでコメントできない」
と言っているし、西村経済再生担当大臣は、
「新規陽性者の数だけ見れば、緊急事態宣言の頃より多い時もある。大きな波は事実だが状況が違う」
と述べている。こちらの方がちょっとはマトモ。でも、国を代表する機関の間でこれほどブレたままでいるのってどーよ?

 感染拡大の判断の決め手になるのは、むしろ重症者と死者であるが、その重症者の定義がそもそもブレている。厚生労働省は、当初から、ECMOや人工呼吸器に加え、ICUの患者数も含めて重症者をカウントするように各都道府県に事務連絡をしていた。しかし東京都だけは、小池都知事によって勝手に基準を変えられてしまい、「ICU患者は重症者としてカウント除外」としている。これでは全く公平なデータなど作れるはずがない。小池都知事って何者?

 さらに死者については、もっと疑惑に満ちている。厚生労働省が6月18日に各都道府県などに出した「新型コロナウイルス感染症患者の急変及び死亡時の連絡について」という事務連絡書類をご存じだろうか?
 ここでは、問答形式で、
「都道府県等の公表する死亡者数は、どうすべきか」
という問いに対して、答えとして、
「新型コロナウイルス感染症の陽性者であって、入院中や療養中に亡くなった方については、厳密な死因を問わず、「死亡者数」として全数を公表するようお願いいたします」
という文章があるのだ。
 イギリスでも、最初は同じようにカウントしていたという。ところが、ある陽性者が交通事故で亡くなったのに「コロナによる死亡者」としてカウントされて、国民の大反対にあい、その後基準を変更したといわれる。笑い話にもならない。

 たとえば、癌の末期患者は、多くの場合、弱り切った体を肺炎が襲って亡くなるケースが多い。それでも死因は肺炎とは書かず癌とするのが普通である。そうでなければ、直近の死因というのは、みんな心臓が止まるから死ぬので、全員心不全とかなってしまう。しかしながら、その病人を死に至らしめた根本の病気の元が胃癌であった場合、その後全身に転移したとしても、「胃癌が原因で死亡」とするのが一般的である。
 それを翻せというのである。コロナの場合だけは別だというのである。癌の末期の肺炎が、たまたま通常の肺炎ではなくコロナ・ウイルスによるものであったなら、癌という病名は吹き飛んでしまって、コロナ・ウイルスに感染して亡くなったことになってしまう。
 これが何を意味するか分かりますが?コロナの死者の数は、どうとでもコントロールされ得るということである。

 とはいえ、8月になって、目に見えて死者数が増加していることには、僕自身も心配はしている。かつてここで紹介した、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大学(岡山県)の高橋淳教授らの研究グループの提唱した、「自然免疫を日本人はすでに獲得している」という説が間違っているのではないか、という声も聞こえてくるようだ。
 僕は、ファクターXの謎を解く彼らの説は間違っているとは思わない一方で、最近あることに気づいた。それはこういうことである。

 実は今年になってから一度も、介護付きの老人施設に入っているお袋に会っていない。というか、会わせてもらえていない。先ほど述べたように、年末年始に家族がインフルエンザに感染して、そもそも群馬の実家に行けなかった。
 それから2月になって行こうと思ったら、その施設内で、外部からの慰問に来た人からの感染ということで、インフルエンザの(今流に言うと)クラスターが発生したという。そこで、ますます入れさせてもらえなかった。そうこうしている内に緊急事態宣言が発令されてしまい、訪問は絶望的になった。

 今、そのことを思い出して、
「ああ、そうかあ」
と思う。つまり、こうした施設の中というのは、上久保教授達が主張しているような、「年末から日本に大量に流れ込んでいた中国人旅行者からの感染」など起きようもないし、従って集団免疫などが出来る機会などあるわけがないのだ。そういうところが、今じわじわと攻められているということだ。特に高齢者施設から感染者が出たら、死に直結するだろう。

 さて、そろそろ、とっても乱暴な結論を言おう。政府は一刻も早く、指定感染症を解除するか、対応の方法を、今の現実に即したものに変えるべきである。様々な対応は、インフルエンザに準ずるようなものにするべきである。
 さもないと、どういうことが今後起きるかというと、冬になってインフルエンザと共存するようになってきた場合、インフルエンザの患者を放っておいて、それよりずっと毒性の弱いコロナ患者を特別扱いすることにより、インフルエンザの患者を無意味に死なせてしまうようなことが起こりかねない。
 インフルエンザ患者によるクラスターが起きた施設は放っておいて、コロナのクラスターが起きたら全館閉鎖とか公演中止とか、いろいろアンバランスなことが起こるのは必至だ。

 それよりも、もうここまで来たら、もうコロナなんてうつったもの勝ちじゃないですか。一度体内に曝露したら、症状が出なくても軽症でも、もう自然免疫獲得で心配しなくっていいんだよ。

「あ、そうだねえ」
という声があっちからこっちから上がらないかな。



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA