Zoomレッスン開始宣言
9月1日からいよいよZoomレッスンを開始します。詳しいことはホームの僕の画像下の「申し込み要項」をクリックして読んで下さい。その後で「レッスン可能日」から日時を選んで、メールで申し込んで下さい。アドレスは以下の通り。
maestro.takemeconducting@gmail.com
受講とは直接関係ない質問も受け付けますが、受講する方は、必ず「申し込み要項」の項目について答える形で記入して下さい。
いろいろな方が受けると思う。オーケストラの指揮者をめざす人もいれば、合唱指導をやっている人もいるだろう。オペラを勉強してみたいという方もいるかも知れない。でも、あらかじめ言っておきます。
初心者は気後れしないでください。無理しないよう、やさしく教えます。さて、ちょっと具体的に、受講曲の例を挙げます。逆に、これに惑わされず、自分のレベルに合わせて、選曲して下さい。くれぐれも背伸びしないこと。
中級者は、先に進みたいかも知れないけれど、基本に戻らされても焦ったりじれったがったりしないでください。
必ず後で効果が現れます。
上級者にはビシビシいきますが、決してスパルタでもないし、形を強要したりはしません。
ただ、自分がどういう音楽をやりたいか、なるべく具体的なイメージを持つこと。残念ながら、これだけは、こちらからは教えられないのです。
孤独のアンサンブルから明日へのアンサンブルへ
我が家の夕飯は、たいてい6時から6時半の間。夕飯時にビールを飲むが350mlを一缶だけと決めている。ドイツ・ビール大好きな僕でも、高温多湿な日本の夏では、なんといってもキリッとしたアサヒ・スーパードライだなあ!
それから、孫の杏樹を寝かしつけるのは基本的に僕の役目。東京賢治シュタイナー学校の方針もあり、学校の始まりも7時35分と早いので、遅くとも8時までには眠りに入るようにする。以前は、杏樹が寝たのを見計らって、1時間15分ほどかかる夜の散歩に出掛けたが、今は暑くてやめている。
晩はパソコンの部屋で、いろいろ細かい作業をする。それから10時半から11時頃に居間に降りて来て、娘達が僕の健康ために作ってくれているタマネギの酢漬けを肴に、寝る前の晩酌。
妻はたいていもう寝ているが、娘達がいる時には、昼間出来ないいろんな話をして楽しいし、独りの時にはまた、ゆったりと流れる時を感じながらの至福の時。
ちょっと前までBallantine'sのソーダ割りが定番だったが、夏になってからは、バーボンがマイブーム。Early Timesに目下ハマっている。高級感はないが、なんともいえない爽やかな香りがあって、コストパフォーマンスも良い。
9月に入るとZoomレッスンも始まるし、だんだん仕事も入ってくるので、こうした生活は8月いっぱいまでかな。いろいろな仕事がどんどんキャンセルとなっていった3月終わりから4月頃にかけては、この先どうなるんだろうととっても不安だったが、かえって、このゆったりとした生活に慣れちゃったので、以前のようなガンガン仕事をする状態に戻れるか、かえって心配。
8月21日金曜日の晩。11時にパソコンを消して居間に降りて来た。杏奈が起きていた。いつものようにタマネギの酢漬けの上に鰹節をかけ、ちょこっと醤油をかけて、冷蔵庫から氷とソーダ水を取り出し、Early Timesを注ぎながら何気なくテレビを付ける。すると聴き慣れたコールアングレのメロディーが聞こえてきた。
あ、トリスタンだ!「トリスタンとイゾルデ」第3幕。海の垣間見える高台にある城の庭。傷ついたトリスタンが絶望に打ちひしがれて横たわっている。そこに聞こえてくるシャルマイの物寂しい響き。
BS1でやっていた「オーケストラ・孤独のアンサンブル~希望編」(6月4日の再放送)であった。演奏していたのはNHK交響楽団奏者の池田昭子さん。うまいと思った。それから次々にトランペット、ホルン、フルート、チェロ、ファゴットと、それぞれのプレイヤーが、自宅の一室で伴奏もないたったひとりの演奏を奏でる。
酔うことも忘れて感動した。まず、日本のメジャーオケのひとりひとりの実力をあらためて知った。普段こうして各楽器奏者が無伴奏で練習しているのを、特別注意もしないで聴いていた。
「ふーん、練習しているんだ」
くらいにしか思わなかったが、よーく聴いてみると、彼ら、無伴奏なんだけど、頭の中にはそれを伴奏しているオケの音がきちんと鳴っているんだ。というか、彼らの奏でたい確固たる音楽が、無伴奏なのに僕の耳には伴奏を伴って聞こえているのだ。
驚いて、
「伴奏が聞こえるね」
とつぶやくと、かつてクラリネットをやっていた杏奈が、シンプルに、
「そうだよ」
と言った。
「何を言ってるんだ、この親父が、今頃」
という顔をしながら。
あははははは。
いつもなら、毎日戦闘態勢という感じで、次から次へとオケの中で曲をこなし、時々回ってくるソロにちょっとドキドキしながら演奏会に立ち向かい、また明日の練習を待ち望む毎日を送っていただろうに・・・・こうした「語るべきものを持っている」選ばれたアーティスト達でさえ、突如として完全失業状態に追いやられるなんて・・・・僕は、初めて、コロナを「許せない」と思った。と、同時に、彼らに対して、心から、
「頑張れ!」
と祈った。
次の晩(22日土曜日22時)は、「オーケストラ・明日へのアンサンブル」を、あらかじめ楽しみにしながら階下に降りて来て観た。孤独の中で練習していたひとりひとりのプレイヤーが集まり、アンサンブルを奏でる。ちょっと前まで、当たり前のようにしてやっていた日常の風景であったが、かえって非日常感が漂うのが不思議。
でも、ソーシャル・ディスタンスといったって、そんなに離れて演奏しなくてもいいだろう、とも思う。
指揮がない場合、アンサンブルというのはこんな複雑なやり取りをするんだな、と、指揮者である僕は、妙なところにばかり興味がいく。たとえば「花のワルツ」の後半、テンポを追い上げていくところで、ヴァイオリンの篠崎史紀さんが、ちょっと速くメロディーを駆り立てる・・・が伴奏が付いて来ない。篠崎さんが即座にちょっとあきらめる。でも、伴奏の人たちは、そろそろもっと行ってもいいかなと思い始める・・・が次にメロディーを奏でる人は、
「え?あ、行きますか?」
と背中を突かれる。伴奏がちょっと行き過ぎかなと反省する。そんなこんなで、追い上げたり遠慮したりの繰り返し。誰かがアクセルを踏むと誰かがブレーキを・・・・。
いや、違うんだ!誤解しないで欲しい。指揮者がいないからもどかしいとか言いたいのではない。これがアンサンブルなのだ。孤独の中では、この「気遣い」や「空気を読むこと」はないのだが、これが他の人と一緒に何かをやって、共に創り上げるということなのだ。
最後の4小節のアゴーギクには笑ってしまった。ラレファ・ソラーレ・レファラ・レのソラーのルバートの伸ばしで、みんなが顔を見合う。テンションがマックス!
「ど・・・どーする?どーする?」
なんとかレの16分音符も合って、最後の2小節に突入。けれど、このレファラレでは、やっぱりちょっとアッチェレランドをかけるんだ。う~~~ん、トリッキーだねえ。でもね。こういうのって、煩わしいんじゃなくって、本来は楽しいんだ。
ちょっとドキドキするのってステキじゃない?ジャズやポップスやラテン音楽の世界では、これがないとグルーヴィーじゃないんだ。ゆらぐから人間。
昨晩の感動とは全然質が違って、「集まって何かを共にやる」という人間の営みが、どんなに貴重なことなのかを僕は教えられた。昨晩は、あまり酔えなかったけれど、今晩は、とっても気持ち良く酔った。Early Timesのグラスの氷が時々カランと音を立てた。
人と一緒に生きるって煩わしい?
でも楽しい!
でも気を遣う?
でも楽しい!
これでいいのかな?っていつも思う。
いや、正解なんてない。
迷惑かけてるかなっていつも思う。
いいんだ、開き直っちまえ!
いろんなことを考えさせられ、いろんな感動をもらい、いろんな希望を胸に抱くことができた2日間の番組だった。ありがとう、みなさん!また職場で会いましょう!
コロナとインフルとのバランス
昨年末の白馬で、孫娘の杏樹がインフルエンザB型を発症し、旅先で大騒ぎになった後、東京に帰ってきたら、杏樹の母親である長女志保をはじめ、妻と次女の杏奈と、次々にインフルに感染したことは今年の最初の「今日この頃」に書いた。
その中で僕だけが最後まで無症状でいた。1月3日には、我が家にバリトンの秋本健ちゃんの家族が来て僕を車に乗せ、一緒に川場スキー場に行ったし、6日から新国立劇場で「ラ・ボエーム」の合唱音楽稽古が始まった。
しかしこれを新型コロナ・ウイルスにあてはめると大変だ。まず、白馬の宿泊先はレストランも兼ねているので、ただちに閉鎖されただろうし、従業員はみんな濃厚接触者でPCR検査を強要させられただろう。
一方、三澤家は立派な家庭内クラスターなので、みんな入院させられただろう。僕も当然PCR検査をさせられただろうが、4人の患者と共に暮らしていたわけだから、曝露量はハンパでなく、従って陽性と出て感染者となり、「ラ・ボエーム」は降板せざるを得なかっただろう。
杏樹は、40度の高熱による熱性痙攣のため、10秒以上息が止まっていた。あとで医師の知り合いに聞くと、まれではあるが、そのまま息絶えてしまう子供もいないわけではないという。それで、救急車で大町の病院まで運ばれたけれど、髄膜炎の心配などはないというので、妻の運転する車で間もなく帰ってきた。「感染拡大の可能性ありで入院」という話はまったくない。
僕以外の家族も皆、医者に診てもらってインフルエンザの診断を受けたが、入院した者はいない。みんな熱も高く結構重症で、何日も布団の中で横たわっているしかなかったのに・・・。
僕のコロナへの違和感は、こうした年末年始の体験の影響が大きい。僕の目には、インフルエンザの方がずっと危険なのに、感染拡大防止のなんの対応もないんだな。わずか冬の間だけに1千万人もの人が感染し、コロナとは比べ物にならない死者も出しているというのに、
「はい、インフルエンザB型です。では、家に帰って休んでね」
だけである。
「うつさないよう気を付けてください」
もない。
感染力は、コロナとインフルエンザでは、ほぼ同レベルと言われている。飛沫による感染の可能性は、インフルエンザの方がむしろ高いといわれる。
今年の7月、新国立劇場ではバレエ公演「竜宮 りゅうぐう」が行われていたが、中で働いていたスタッフ1名が新型コロナ・ウイルスに感染した。それだけで、7月30日及び31日の公演が中止となった。なお、実際に踊っていたバレエ・ダンサーたちは全員陰性であったという。
僕は、それを聞いた時、暗澹たる思いにとらわれた。普通に考えて莫大な損失である。そのスタッフの気持ちはいかばかりであろう。自分ひとりのために、あの大がかりな新国立劇場での最後の2公演がつぶれ、観客のチケットは払い戻され、ダンサー達はそのまま「お疲れ様」となってしまうなんて・・・・。
「あたしたち、こんなに頑張って稽古もして、公演で踊っていたのに、なんなのよ!」
と、バレエ・ダンサーたちは、実際にはそこまで言わなかったとは思うが、少なくとも、感染して公演をストップさせたスタッフの脳裏には、そうした声がずっと響き渡っていたのではないか?気の毒で仕方ない。誰からもバッシングを受けなかったことを祈る。
新国立劇場の公演中止の判断が適切だったかを問うているのではない。そうではなくて、そうせざるを得なかった世間の空気に、僕は違和感を感じるのだ。インフルエンザが原因で、たったひとりのスタッフのために2公演をつぶした事例は見たことがない。では、そんな判断を迫る新型コロナ・ウイルスは、インフルエンザより、一体どれだけ危険なものなのだろうか?
新型コロナ・ウイルスを特別視する根本的な原因に、これが政府の定めた指定感染症であるということが挙げられる。これを定めた2月6日の時点では、それがどのくらい危険なウイルスか誰も分からなかったので、感染者が出たら、ただちに入院させ隔離させ、さらに、感染が拡大しないよう、感染者と接触のあった人の検査も徹底させようとした。
検査はPCR検査による。このPCR検査について、人々はしだいに絶対的信頼を寄せるようになっていった。今でも、
「全国民にただちにPCR検査を受けさせるべし」
と主張する人が後を絶たないが、実はPCR検査には大きな落とし穴がある。
これは今朝の朝日新聞朝刊から。
東京都足立区の等潤病院では、入院していた60~80代の男女6人と50代の男性職員の計7人が感染するクラスター(感染者集団)が起きた。こうしたことが頻繁に起こっているのだ。極端なサイトなのでは、次のような意見もある
感染が疑われる患者を受け入れる指定医療機関で、6人の患者のうち5人は感染の疑いで個室に入院していたが、PCR検査では陰性だったため、大部屋に移したところ、集団感染が起きたとみられる。