「音楽と祈り」講座の録画
先日の真生会館「音楽と祈り」講座のビデオ映像を、当ホームページのコンシェルジュが録画してくれていて、準備出来次第「音楽と祈り」動画配信版にアップします。
実は、この時点で僕はそのビデオを観ていないし、当日は、僕はいつも通りの感じで、誰もいない会場で語ったものを、係の方がパソコンを使って参加者たちを管理しながら進めていったので、一体どのように映っているのか分かっていません。
コンシェルジュの話によると、音声に関しては、一部お聞き苦しいところがあるようです。また、自分で編集するYoutubeなどと違って、編集され永久に残ることを想定されて話したわけでないことは了解済みの上、ご覧ください。
マーラー第3交響曲演奏会へのご案内
チラシが出来てきた。えーと・・・大きな見出しは「東海グスタフ・マーラー交響楽団演奏会~マーラー交響曲第3番」・・・・どこの団体ですか?おっとっと、僕が言ってはいけない。みなさん!決して怪しい団体ではないです。
今年初めての愛知祝祭管弦楽団の練習
名古屋市民会館は、その名を日本特殊陶業市民会館と代えている。立川市民会館が「たましんRISURUホール」となり、今はないが、渋谷公会堂が「CCレモン・ホール」になったりするのを見て、なんだか残念な気持ちがするのは僕だけだろうか。
3月27日土曜日。その日本特殊陶業市民会館のリハーサル室で合唱団の練習があった。8月15日に行われるワーグナー・ガラスペシャル演奏会(愛知祝祭管弦楽団主催)のために集められた合唱団である。曲目は「ローエングリン」の結婚行進曲と「タンホイザー」の終幕の合唱。みなさんの熱気が凄い。僕の指導にも力が入る。
特に「タンホイザー」は先日二期会で合唱指揮をやったばかりだから、細かく練習をつけた。いつどの団体で何度やっても、最後の女声合唱は救済の輝きに満ちていてウルウルする。
翌3月28日日曜日。大府市役所の地下で愛知祝祭管弦楽団の練習。まず「ローエングリン」前奏曲だけで約1時間かけた。静謐な弦楽器の響きに、管楽器の細かいクレッシェンドとディミヌエンドによる“揺らぎ”が絡んできて、えも言われぬ音響的世界が広がっていく。この管楽器のニュアンスを揃えるのに時間をかけた。
高音からしだいにより低い楽器が加わってくる瞬間は、なるべくギャップがないように周到な配慮が必要。一見難しくないように見えるが、とてもデリケートな音楽。かのルートヴィヒ二世を熱狂させたこの音楽で表現しているのは、救世主のこの世との関係だ。
輝ける天上的世界から、至高なる存在が世に降りたってくる。それが地を揺るがすほどのパワーを発するが、やがて再び天上に上げられていく。聖杯の騎士ローエングリンは、地上で受け入れられず去って行く。しかし、彼は傷つけようとしても決して傷つかず、どんなに汚そうとしても絶対的な無垢の存在のままであり続ける。ワーグナーが表現したかったのはそこなのだ。だから、この前奏曲は、徹頭徹尾神聖なる雰囲気で貫かれていなければならない。
その一方で、オルトルートとフリードリヒは、“邪悪”というものの象徴的存在。オルトルートは疑うことを知らぬエルザに、ローエングリンの出生についての疑惑を吹き込む。エルザの魂の奥に、かすかではあるが不信感の種が芽生える。それを見ていたフリードリヒは呟く。
So zieht das Unheil in dies Haus!
「このようにして災いはこの家に入り込んでいくのだ!」
人間は、善意を持っていたとしても、人を傷つけてしまう悲しい動物。しかし、このような邪悪が、本当に清らかなものを意図的に傷つけるとしたら、それこそが世界の没落と衰退の原因なのである。そうした奥義をこの作品は語っている。前期の作品ながら、宗教的及び哲学的意義は深い。
午前中の残りの時間では、そうした「ローエングリン」第2幕での、オルトルートがエルザを誘惑する二重唱をやったが、まだやり足りないので、残りは来週に持ち越しになった。
そして午後は、「トリスタンとイゾルデ」第2幕の「愛の二重唱」を2コマかけてたっぷりやり、残りの時間で「パルジファル」第2幕後半、クンドリの誘惑でパルジファルが初めての接吻を経験するシーンの練習をやった・・・と、こうして書き連ねてみると、なんと悩ましい場面ばかりなのだろう。
しかし、祝祭管弦楽団のメンバーは、もの凄い集中力を持って練習に立ち向かい、みんな実にエネルギッシュ!
コロナ禍で、練習の再開すら叶わない団体が少なくない中、あえて活動している団体は、どこもコロナの前には想像も出来ないほどのエネルギーに満ちているし、感謝と歓びを感じながら練習に参加している。
昨年4月の緊急事態宣言によって否応なく全ての団体が活動を停止されてしまったが、その中で、「なにくそ!」と立ち上がるためには、それだけで途方もないエネルギーと、全てのリスクを引き受ける覚悟が必要だったわけである。
昨年の夏前、ある合唱団が団員に「どのタイミングで練習を再開するか?」というアンケート調査を行った。その中で一番多かったのが「新規感染者がゼロになってから」というものであったというが、それを聞いて僕は即座に返事を書いた。
「その日は来ません!」
僕は知っていたのだ。ウイズ・コロナ以外に道はないことを。緊急事態宣言が解除になった頃、一時、東京都では新規感染者が一桁になったが、その時が本当は再開するべき時であった。そのタイミングを失った団体で、未だに再開が果たせていないところは少なくない。
その一方で、現在は当時よりも比べ物にならないくらい新規感染者は多いのだが、その最中でも、例えば新国立劇場では、新シーズンの全ての公演が滞りなく行われている。ソリストも合唱団もオーケストラもスタッフ達も、毎回PCR検査を受けて全員陰性なのだ。正しい知識を持って事に当たれば、練習も本番も安全に行えるという証明でもある。
どうせこの先も、マスコミは恐怖のみを煽り続けて視聴率を稼ぐだろう。それに影響を受けている限り、人は先に進めない。特に、朝のワイドショーは絶対に見てはいけない。僕が卑怯だと思うのは、それらの番組では、どこを本当は気をつけなければならないか?何が感染の危険があり、何は安全なのかといった一番大切な情報は全く示してくれないことだ。
これは、恐怖を煽って視聴率を稼ぐための意図的隠蔽であり、オルトルートと同じ疑惑への耳打ちである。だから未だに、新型コロナ・ウィルスが、黄砂や花粉などと同じように空中を恒久的に漂っていると信じている人が後を絶たない。こんなに知的水準の高い日本人なのに!
いいですか、何度でも言いますよ。戸外の空気中には、誰かが飛沫を飛ばさない限り、コロナは1匹たりともいませんからね!それと、ソーシャル・ディスタンスを保っている限り、合唱練習の最中に感染する人はひとりもいません。広いホールでの演奏会ではなおさらです。
感染するのは練習前後や休み時間です。1メートル以内の至近距離で互いに向き合ってしゃべるならば、マスクをしていても飛沫を互いに浴びせています。このくらいの知識はそろそろみんな持って、それで勇気を出して練習を始めてください。
まだまだ祝祭管弦楽団は仕上がりには遠いが、それでも僕は満ち足りた気持ちで帰途についた。生の音楽が響き渡る生活。感動のある人生。それこそが人の免疫力を高めるのである。
角皆君の挑戦とコラボの可能性
親友の角皆優人君から、
「三澤君。DVDを作るので、オープニングの音楽を1分くらいでいいから作ってくれない?ギャラは払うから」
というメールが入った。
僕は即座に、
「いいよ。カッコ良いの作ってあげる。ちなみにギャラは要らないからね」
と返事をして、映像を観もしないのに、とりあえず作曲してみた。
せっかくだからシンフォニックなテイストにしようと思ってスコアを書き、打ち込んでいったが、シンセ音というのは、クラシック音楽のように音を積み重ねても、ただキャラを消し合うだけなので、望んだような音にはならないんだね。このスコアを現実の奏者が生の楽器で音を出したらいいんだけど・・・。
そんなわけで多少の試行錯誤をしたけれど、途中、ドラムスは入るものの、ティンパニーが入ったりして、結構良い感じになってきた。
「ついでだから、コンガ演奏も加えちゃえ」
と悪ノリして、自分でコンガを叩いて録音したりもした。
とりあえず、それを第一便で送ったけれど、その後、まだ編集してDVDになっていないままの映像が次々とYoutubeに上がってきたのを観たら、レッスン・ビデオとかいうのではなくて、要するに角皆君の“いま”を収録したものなのだと気が付いた。