「マイスタージンガー」思い出し稽古

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「マイスタージンガー」思い出し稽古
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の立ち稽古初日。久し振りにPCR検査を受けた。僕なんか、本物コロナに感染して治癒し抗体もできているので、今更心配することもないんだけど、陰性とあらためて聞いてホッとした。合唱団全員も陰性。しかしながら、この劇場内においては、よくみんな陰性で先シーズンの公演を全て乗り切ったよね。

 さて、肝心の立ち稽古は、新しい歌手達も加わったソリスト稽古と、全員同じメンバーの合唱団員の「思い出し稽古」との二手に分かれて同時進行していた。それで、今日の午後から部分的に合流する予定。
 合唱団のメンバー達は、動き初めは随所で、
「どうだったっけかな?」
と忘れていたが、やっている内に、
「あ、そうか!」
と、すぐに記憶を取り戻してきて、たちまち、かつての東京文化会館でのオケ付き舞台稽古の状態に戻ってきた。あれだけ稽古したものな。体のどこかにしまい込んであったわけだ。

 さあ、これから急ピッチでオケ合わせや舞台稽古と進んでいく。何が何でも今度こそは、お客様とこの感動を分け合いたいものだ!

コロナ収束?
 コロナ感染者は、10月に入ってから激減してきて、しかもここのところずっと東京都では連日20人台をキープしている。勿論だからといって、油断してマスクをはずしたり手洗いうがいを怠ったりしたら良くないけど、本当はもっと素直に喜んでもいいんじゃないの?それなのに、みんな苦虫を噛み潰したような顔をして、
「いやいや、こんなことで済むはずはない。きっとくる。第6波は」
なんて言ってる。僕には、まるで第6波が来て欲しいかのように聞こえるよ。

 思うんだけど、こんなにウイルス研究家とか科学者などの頭脳明晰な人がいるのに、こうした感染者激減を誰も予測出来なかったというのは、逆に恥ずかしいことではないか?ひとりくらいいたって良かったじゃないか。僕の知っている限りひとりもいなかったよね。ひとりも!

 もしかしたら、予測した人はいたけれど、言えない世の中の可能性がある。
「10月になったら激減します」
と発表しておいて、反対に激増したら、
「なんだあいつは!」
となり、さらに、
「お前があんなこと言って安心させたから、感染者が増えたんだぞ!」
と、下手したら袋だたきに遭うようなリスクを負う。

 しかし、科学者だろう、その道の専門家だろう。どんなに罰せられても、
「それでも地球は動く」
と言い続けたガリレオ・ガリレイを見なさい。というか、そこまで言わなくとも、
「いろんな可能性の内のひとつであることを断っておくが、もしかしたら10月に入ってから感染者は減って、8月に連日5千人以上出していた感染者数は、10月後半には二桁になるかも知れない」
なんていう人がいたら、僕はめちゃめちゃ尊敬したんだけどな。

 科学の中立性は守られるべきであって、そこに忖度の要素は入れるべきではない。それなのに、みんなわざと悪いことを言って、その後そんなでもなかったら、
「ほら用心するように言ったから、少なめで済んだのだ」
と逃げようとしているように見える。そういうのって、人間としてズルくない?そんなの誰だって言えるわ。

 あの8割おじさんのN先生だって、昨年、
「このままいくと死亡者数十万人」
なんてデタラメ言いながら今日まで生き延びていて、8月に感染者激増してきたら、またノコノコ出てきて、
「このままいくと、都内の感染者は1万人も2万人も・・・」
なんて懲りずに言ってるわけだ。それも、ほら見ろ!大ハズレだ。橋下徹さんもこう言ってるよ

 実は、誰だったか思い出せないし、今となっては探し出せないので残念なのだが、スピリチュアル系の人でYoutubeでひとりだけ言っていたんだ。
「コロナは、突然収束します」
って。

 正直言って僕も思うんだよ。これってどう見ても収束じゃないかって。あれだけ猛威を振るっていて、8月には連日5千人以上出ていた一日の感染者数が、今は、人口1500万の大都市で、昨日10月31日もわずか22人だ。
 僕はその道の専門家ではないので、責任取らなくていいので、勝手に言うが、ウイルスが変異を繰り返している内に弱毒化したのではないかと思っている。そうして長く細く生き延びようとしているのではないか。
 だとしたら、これから再び強毒化して、バタバタと人が倒れて死屍累々となる可能性はないのではないか・・・・ま、素人の考えだけど、こう言う人がひとりくらいいてもいいだろう。別に影響力ないし。それでも、N教授と違って、間違ったら素直に謝りますよ。  

またまた推薦します
 僕がブラッドオレンジのマーマレードをこの「今日この頃」で紹介したら、何人もの方から、
「買って試してみました」
というお言葉をいただいた。みんな僕の手前からかも知れないけれど、
「おいしいです!」
と言ってくれる。でも、
「案外、皮が苦いですね」
という意見も少なからずあった。
 そこで・・・しつこいですが、またまた紹介します。写真は、ブラッドオレンジと酷似しているけれど、同じ会社のクレメンタインのマーマレードMarmellata di CLEMENTINE。ブラッドオレンジより酸味が強いけれど、皮の苦みは反対に少ないので、一般的にはこちらの方が食べやすいと思う。興味のある人にはお奨め!
「2瓶になっちゃったけど、どっちも皮が苦いじゃないか!」
とは言わないでよ。
 そもそもマーマレードというのは、皮がついているのがウリで、だからこそ僕はマーマレードが好きなんだから。皮の苦みというものがそもそも嫌いな人は、絶対に食べないでください(笑)!


Marmellata di CLEMENTINE

ベルカント唱法から何かが始まる・・・
 山根基世さんの企画する「声の力を学ぶ連続講座」が11月11日木曜日と近づいてきたため、ゆっくりと準備を進めている。ベルカント唱法の説明内容や、受講者に聴かせる音源などはほぼ準備完了。今は受講者を対象とした実践の部分を、いろいろ具体的に考えている。

 しかし、この「ベルカント唱法から始まる表現の多様性」っていうタイトルは、かなり前に山根さんの事務所から催促されてテキトーに付けたんだけど、こうして準備で向かい合ってみると、結構意味深いし、このような形で応用できるとしたら、この先、いろんな可能性があるなあ、と後付けで感じてきた。この講座は、自分にとっても、そんな可能性を開く扉の役割を果たすかも知れない。

 実は、ベルカント唱法は、
「え?なんだ、こんなこと?」
と思うほど、本当はとってもシンプル。そのエッセンスを受講者に教え、実践してもらう。呼吸法、特に肺、横隔膜と腹圧のそれぞれの状態を意識し、それから口腔内の状態を確認し、軽く声を出しながら音色の変化を確認する。
 歌手を相手にしているわけでないので、講座の中で歌わせるようなことはしないが、ベルカント的な体幹を維持したまま、言葉はしゃべってもらうつもりだ。

 山根さんは、僕が毎月行っている真生会館の「音楽と祈り」講座の最初の頃に現れて、講座が終わるやいなや声を掛けてくださった。本当は昨年に行うはずであったが、コロナのため中止になり、1年遅れでやっと実現する。この世の中、いろいろが目に見えないところでつながっているらしいなあ。
 2001年9月に新国立劇場合唱団指揮者に就任してから、ちょうど20年経った。その間に僕のベルカント唱法に対する学習も進んだ。この辺で、その経験と知識を使って何か事を起こしてみなさい、ということなのかも知れない。
 この講座がうまくいったら、もう少しこれを展開してみようかな。さしあたって、山根さんのところでやる講座の、後半の実践については、後でYoutubeにアップしてみようかな・・・などといろいろ考えている今日この頃である。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA