ヨハネは遠くなりにけり・・・でも
人間って弱い。「ヨハネ受難曲」演奏会の当日は、自分を、あたかも天から使命を授かって、このコロナやロシア・ウクライナ戦争という人類の悲惨さのただ中に、バッハの音楽を通して光と救いをもたらす御使いのような存在に感じ、いいようのない高揚感が僕の胸を支配していた。
本番では、それをさらに、固唾を呑んで聴いてくれている聴衆と共に、確かな手応えとして感じられていた。
「今、自分は、この音楽を通して“永遠”とつながっている」
あるいは、
「人類の愚かさや罪の底辺に触れ、そこから“購いと救済へと至る道”が、光の筋となって至高なる高みにまで続いているのが感じられる」
というイメージが、否定しようのない現実そのものとして、自らを貫いていたのだ。
そして、いつもバッハを演奏する時には感じるように、指揮をしている僕を、天上界からまっすぐに降りて来ている光の筒がすっぽり包んでいて、自分自身の体も光り輝いているような感覚があった。
演奏会の翌日には、打って変わってすっかりふぬけになってしまって、何もする気が起きなくなってしまう。それでも体の何処かには前日の興奮と感動は確かなものとして残っていた。
ところが問題はその後なのだ。日を追う毎に、感覚と記憶が薄れてきて、それに従って、あの本番中のエキサイティングな瞬間の連続が、まるで人ごとのように感じられてくる。1週間後になると、本当に、あの演奏会そのものが存在したのだろうか?あの濃密な空間を、僕は本当に生きていたのだろうか?とすら思えてくる。
なんて不信仰なのだ!その体験そのものが一種の奇蹟体験といえるものなのに、自らそれを疑うなんて!
それでいながら、実際に僕の頭の中や胸の中には、合唱曲やコラールの音像が鮮明に残っていて、全くルーティーンのように勝手に流れているし、福音史家の歌うドイツ語の聖句などが突然響いてくる。僕は、
「このセンテンスを支える通奏低音の合いの手は、第1拍目ではなくて2拍目なんだよな。しくじるなよ」
なんて無意識に思い、ひとりでにアドレナリンが出ている。
忘れようとする体・・・いや、忘れさせようとする体。しかし、同時に、あのめくるめく陶酔を決して忘れさせまいとする精神。そのふたつが僕の内部で葛藤している。肉体は大胆で罪だよなあ。あれをなかったことにしようとしているのか?できると思っているのか?
いろんな方から感想が寄せられている。特に宗教関係者の方達からは、この演奏会がどんな演奏会とも違う“特別なもの”だと感じてくれたようで、とても嬉しい。
各独唱者の、それぞれのキャラクターを生かし切った歌唱や、アリアを支えるオーケストラの独奏者の輝くような演奏など、いろいろ書きたいのだが、なんか文章にしてしまうと嘘っぽく聞こえてしまう。
でも、たったひとつだけ言わせて欲しい。すべてのソリストも、それから近藤薫さんが束ねてくれたオーケストラ全体のサウンドも、“愛に溢れていた”ということ。これに尽きる。僕たちは、本当に心を一つにして演奏していた。その事実は消えない。そしてその想いは確実に天に届いている。
もう、それでいいよね。
セバスティアン・ヴァイグレ氏の合唱音楽稽古
6月11日土曜日。セバスティアン・ヴァイグレ氏による二期会公演「パルジファル」合唱音楽稽古が行われた。前回の「タンホイザー」での、彼とのコラボレーションの成功体験が記憶に新しいが、今回も、僕とヴァイグレ氏との求めるものが驚くほど一致しているので、実にスムースに運んだ。
練習は、第2幕「花の乙女たち」のシーンから始まった。合唱だけでなく6人のソリストの花の乙女たち2組(合計12人)も参加していた。事前に、僕の合唱音楽稽古の最後の方で、2回ほどソリスト達も加えて、音符の切りや語尾の子音の会わせ方などの整合性を取っていたので、余計なことに時間を割くこともなく、ヴァイグレ氏の音楽作りに集中することができた。
特に、花の乙女たちが、最初乱暴なパルジファルを怖がっている状態から、パルジファルの中に敵意がないどころか、むしろ驚くほど素直なのに気付いて、しだいに彼を誘惑していくモードに入っていくところのニュアンスに、ヴァイグレ氏はこだわっていた。そして、その表情が、すでに僕によってある程度色づけされていることに、大きな満足の表情を浮かべてくれた。
でも、ドイツ人からしてみると、これだけやってもさらに「もっと、もっと!」なんだよね。ともあれ、合唱団員たちにとってみれば、僕のしつこい要求が見当違いなものでなかったことが証明されたということだ。
それから第1幕と第3幕の練習をした。ドイツ人らしく発音の明瞭さに執拗にこだわっている。僕がフレージングに留意してつなげていた箇所を、ドイツ語を引きだたせるためにあえて切る、ということなども行っていたが、それも良く理解できる。
女声だけの天上の合唱や第1幕及び第3幕ラストの清らかな合唱を演奏した時には、
「ワオッ・・・・ワオッ!」
と二回もうめいて、それから、
「スバラシイ!」
と日本語で叫んだ。僕もホッと胸をなで下ろした。
練習が終わってから、彼は僕に向かって、
「ありがとう!素晴らしく仕上げてくれた。ラストシーンはなんて美しんだ!」
と言ってくれた。
練習が終わると合唱団員たちは即座に帰って行ったし、音楽スタッフたちは午後の練習があるので昼食を求めて出て行ったが、僕とヴァイグレ氏は15分くらい雑談をした。ドイツでもいろいろが戻ってきていること。今後フランクフルトなどで結構オペラの本番があること。家を、ベルリンとフランクフルトとスペインのバルセローナ近郊と3つ持っていることetc・・・。
いいなあ、どうやったら3つも家を持てるんだ?フランクフルトを仕事の拠点としているのでフランクフルトに居ることが一番多いんだけど、あえてそこは借家なんだそうだ。ベルリンの家が本宅という意識だって。スペインは風光明媚なところでバカンス用ということ。
「う・・・うらやましい!」
これから合唱団も立ち稽古に入って行く。楽しみ楽しみ!
斉藤洋さんへの手紙
僕は、晩に家に居る時には、8歳の孫娘である杏樹を寝かせる係だ。お布団に一緒に入って本を読んであげる。つい最近までは絵本だったが、「そろそろもっと字の多い児童書を読もうか」ということで、買ってきたのが、斉藤洋・作、杉浦範茂・絵「ルドルフとイッパイアッテナ」(講談社)という本。そのことは4月25日の「今日この頃」に書いた。
それから約一ヶ月半経ってどうなったかというと、この本が面白くて、杏樹とふたりで物語にのめり込み、僕は次々に続編を買ってきて、気が付いたら全5巻を先日読み終わってしまって、今は杏樹とふたりでルドルフ・ロスの状態である。
ルドルフ・シリーズ全5巻
「ルドルフとイッパイアッテナ」 | 1986年 |
「ルドルフともだちひとりだち」 | 1988年 |
「ルドルフといくねこくるねこ」 | 2002年 |
「ルドルフとスノーホワイト」 | 2012年 |
「ルドルフとノラねこブッチー」 | 2020年 |
「おにっころの冒険」オーディション
8月7日に高崎市文化会館で行われる「おにっころの冒険」のためのオーディションが6月12日日曜日に行われた。20人の子供たちが申し込み、実際には18人がオーディションを受けたが、そのレベルの高さに驚いた。もちろんその半数くらいは、これまでの「おにころ」などに関わっている子供たちだが、オーディションに臨む意気込みがハンパじゃないのだ。
審査は、ひとり4項目をこなさなければならない。「おにころ」の「愛をとりもどせ」をもじった「平和をとりもどせ」を使って、1番目はまず歌唱のみ、2番目はダンスのみと2回に分けて審査した。両方とも、事前にみんなで練習した。ダンスでは、新町歌劇団の若いメンバー2人が、みんなの前で踊りながら練習を付け、本番でもガイドとして踊ってくれる。
3番目は、あらかじめ配っておいた、「おにっころの冒険」台本の中のいくつかのシーンから、各自が任意に選んだ箇所のセリフを朗読する。
4番目は、あるパントマイムを、これも自主的に行う。
パントマイムは、以下の3つの項目から、各自が好きなものを選んで演技で表現する。その3つの項目は以下の通り。
1. 蚊 | |
歩いていると、蚊が1匹、また1匹と刺してくる。 その都度手でつぶすが、最後に蚊の大群に襲われ、慌てて逃げる。 |
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2. 公衆電話 | |
歩いていると、近くの公衆電話が鳴っている。 恐る恐る入って受話器を取り、 「もしもし」 と言うと、 「おまえの後ろにオレがいる!」 と言われ、あたりを見回してから、慌てて逃げる。 |
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3. 自転車 | |
自転車に乗って坂道にさしかかる。 ところが左右両方のブレーキが次々と壊れ、下り坂をまっしぐら。 最後は、意を決して自転車から飛び降りる。 |
母親に会ってきました
オーディション後は、スタッフのみんなで和やかに昼食を取り、その後、みんなと別れて、新町歌劇団の団長の車で藤岡市にある介護付き老人施設に、母親のお見舞いに行った。群馬県は、今、コロナ・ウィルスの感染症対策のガイドラインに基づく警戒レベルが[1]に変わったため、こうしてやっと施設に入れてもらえる状況になったのだ。
94歳の母親は、もう寝たきりで流動食以外は口にしないので、以前よりずっと痩せて、手なんて骨と皮ばかりだ。それに、僕のことはどこまで分かっているんだろうな?その割には、結構陽気で歌なんか歌っている。僕の方は、手を握ってあげて目を見つめるのだが、なかなか僕の顔を見てくれない。
まあ、これはこれでいいのかな。入所し始めた頃は、ちょっと訪問の期間が空くと、
「ヒロ!なんでもっと来てくれなかったんだい?早く、こんな所出て、あたしを家に連れ帰っておくれよ!」
なんて怒っていたので心が痛んだが、今は逆にこの施設こそ自分の居場所だ、となってくれているので、気は楽だ。それに昔に比べて、とっても穏やかで満ち足りている感じだ。
団長は、施設の外で僕を待っていてくれて、新町駅まで送ってくれた。いろいろ良くしてくれて感謝している。