マエストロ・キャンプ申し込み開始!
みなさま!お待たせいたしました!2023年度「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの申し込みを、このホームページにて開始します。
親友角皆優人(つのかい まさひと)君と僕のコラボによるこのキャンプを開始したのが2018年だから、なんともう6年目になるのだ。一昨年からは、新型コロナ・ウィルスの影響で参加者が減ったけれど、それでも根強い常連さん達が常時参加してくれていて、行う毎に僕自身もいろいろパワーをもらって帰ってくる。
さて、もうコロナも終息に近づいている。家に籠もっていないで、どうかみなさん、寒い中でも戸外に出て、思いっ切り体を動かしましょう。
この前のシーズン終わりくらいから、ひとつだけ気が付いたことがある。それはとても重要なことで、6月の東京バロック・スコラーズの「ヨハネ受難曲」でも、9月の志木第九の会の「メサイア」でも、僕の指揮の運動に大きな影響を与えてくれている。
それは募集要項にも新しく書き加えたことだが、たとえば、バロック音楽を演奏している時のヴァイオリンの弓の運動と、整地でも荒地でもスキーを走らせている時の運動感覚とがリンクしているのだ。そして、その運動性を、自分の指揮のラインに生かせるのである。
「メサイア」の練習中に、そのことをあえてオーケストラの楽員に言ってみた。みんなバロックをやり慣れているプロのメンバーなので、
「そんなこと分かっているよ」
という顔をしていたが、その直後、彼らの音がはっきり変わったのは、恐らく僕だけではなく楽員自体も感じていたと思う。
つまり、僕はこう言ったのだ。
「バロックの場合は、ブラームスやマーラーなどと違って、弓の圧をかけっぱなしということはありません。弾き始めは一度しっかり圧をかけますが、その直後少し弓の圧を弱めます。すると、自分の腕に弦から戻ってくる圧が感じられるはずです。これを感じ、楽しみながら弓を進めると、音符の長さやリズムによって様々な圧のバリエーションが感じられます。弓の進める速度も、ロマン派よりは基本的に速く、そこでも音符による様々な速度変化を施すと、表現力は無限に広がっていきます」
それまでの僕は、主としてバロック音楽とコブ滑走における加重及び抜重を関連付けようとしていたが、それに、この感覚が加わったことで、仮にコブまで辿り着かなくとも、音楽的運動性とスキー滑走との接点を見出すことができることに目覚めた。
だから、みなさん!今年のマエストロ・キャンプは、これまでにない画期的なキャンプになりますよ。どうか初心者の方。スキーを生まれて初めて履く方も、一流コーチが履き方から教えてくれますし、けっして恐い思いはさせないことを約束しますので、この世界に飛び込んでみてください。
全てのレベルの方を対象にキャンプを行うけれど、上級者には、残念ながら大会に優勝するためのコツを教えるとか、何らかの権威付けを目的とした修了書や免許を授与することはしません。それよりも、音楽的な滑りをめざすし、それによって、あなたの音楽を高めることを目標にするからね。最終的には美しい滑りと美しい音楽的フレージングや演奏フォームなどに直結するのが目的のキャンプです。上級者も「目からうろこ」だと思う。
さあ、今から募集要項を読んで、その中に書いてあるアドレスからメールで申し込んで下さい。
待ってまーす!
「泣ける」森麻季さんの「椿姫」
先週前半は、Bunkamuraシアター・オペラ・コンチェルタンテ「椿姫」のオケ合わせやオケ付き舞台稽古で忙しく、10月7日金曜日、第一回目の公演に辿り着いた。第二回目は今日、すなわち10月10日午後から。
いちおう演奏会形式ということにはなっているが、ソリスト達はソファーや椅子などの置かれたステージ前面で演技しながら歌う。舞台最前面には3台のモニターテレビが置かれ、彼らの後方で指揮をしているサッシャ・ゲッツェル氏の姿を映し出している。
オケは東京フィルハーモニー交響楽団。さらにその後ろに新国立劇場合唱団のメンバーがタキシードを着て暗譜で歌っている。もともと縦に長いオーチャードホールなので、観客から合唱団までの距離が果てしなく感じられる。
でも、手前味噌ではないけれど、彼らは新国立劇場でいっぱいに広がって歌うことに慣れているので、僕の指示に従って、後方に行くほど早いタイミングで歌い出している。客席からは、けっして遅れることなく、オケともぴったりと合っている。
本番では、第三幕でバッカナールの裏合唱を指揮するため、客席で第二幕終わりまで聴いた。いつもだったら、冒頭から客席後方で、赤いペンライトを持ってモニターテレビを見ながら合唱団のために指揮している。だから、こうして客席で椿姫を歌う新国立劇場合唱団を聴くのは新鮮だ。オーチャードホール後方は、通常響き過ぎて歌詞が聞こえづらいが、みんな頑張っている。
さて、ヴィオレッタ役の森麻季さんについて今日は語りたい。若い若いと言われている内に、月日がいつの間にか流れ、彼女がすでに堂々としたベテランの境地に入っているのに驚いた。彼女は、舞台稽古の時からヴィオレッタになり切っていて、呼吸の仕方ひとつとってもそつがなく、実に細やかな演技と歌唱を披露してくれた。
もともとそんなに声の大きい人ではないが、それを表現力で充分補い、何の不足も感じさせない。それどころか、ヴィオレッタの切なさをこんなに肌で感じたのは初めてかも知れない。ともすると退屈になり易い第二幕第一場を、片時も緊張感が途切れることなく観れたのは、ひとえに彼女のお陰だ。
ヴィオレッタの元へアルフレードの父親が突然現れる。プロヴァンスの田舎に住む父ジェルモンは、息子が高級娼婦のようなふしだらな女と付き合っていては、アルフレードの妹の縁談に差し障るので、即別れるようにヴィオレッタに告げるのだ。真実の愛に触れて、何もかも捨ててアルフレードとの愛に賭けて人生をやり直そうとしている彼女に向かって・・・・。
Così alla misera - ch'è un dì caduta,というヴィオレッタの言葉が、森さんの歌唱で聴くと、なんて切なく心に響くことか!
一度でも堕ちた哀れな女は
Di più risorgere speranza è muta !
もう二度と立ち上がる希望など持ってはいけないということなのね!
Alfredo, Alfredo, di questo coreここは通常、その前よりもややテンポを上げるものだが、森さんはむしろたっぷりとしたテンポで、しかもあざとくならず切々と歌い上げる。情感たっぷりだが同時に清潔感を失わない歌唱とフレージングに深く心を打たれた。
アルフレード、アルフレード、この心の
Non puoi comprendere tutto l'amore;
すべての愛は、あなたには分からないのよ
Tu non conosci che fino a prezzo
あなたは知らないの。あたしがあなたからの
Del tuo disprezzo - provato io l'ho !
軽蔑を受けるという代価を払ってまで
あなたへの愛を試していることを