有り余る才能を・・・「ドン・ジョヴァンニ」初日間近

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

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孫の杏樹は初心者とは言えないのですが、お友達ができそうなので一緒に受けたいと言ってます。

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コロナ明け
 11月28日月曜日。「今日この頃」の更新原稿を書き上げて、久し振りに新国立劇場に行った。劇場では「ドン・ジョヴァンニ」の立ち稽古が僕のいない間に進んでいて、その日は劇場入りする前のリハーサル室での最終稽古であった。

 僕が行くと、合唱団のみんなが寄ってきた。
「大丈夫ですか?あ、去年の時より全然元気そうですね」
と、口々に言ってくれた。

 確かに、昨年夏のデルタ株の時とは、治った後の体力の消耗度は全然違う。オミクロン株でも、団員の話だと、人によって、40度近い高熱が出たり、咳や“喉のガラガラ状態”が一ヶ月も続くなど、もっと大変な状態の人もいるというが、僕の場合は、結局“ただの風邪”というのとほとんど変わらなかった。

 でも一日だけ味覚障害になりかけた。突然コーヒーがまずくなり、いろんな味が薄くなった。
「嫌だな、昨年のように、これから完全に味覚がなくなるのかな」
と心配したが、すぐに戻ってきたのでホッとした。

 医師から指定された自宅待機が7日間というのは助かったねえ。昨年の状態だったら、あと1週間あるんだぜ。今、この原稿を書いている今日まで自宅待機ってことだよ。その半月もの間、家の敷地内から一歩も出ないでいるとね、いざ外に出て電車に乗ると、人の顔がみんな異常に大きく見えて恐くてたまらないし、劇場に入ると、行き交う人の動きに酔ったようになってしまい、それだけで疲れ果ててしまった。

 これはコロナのせいというより、人と隔離していたせいだ。昨年、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の稽古の時、他のキャストより遅れて舞台稽古から参加したハンス・ザックス役のトーマス・ヨハネス・マイヤーが、二週間のホテルでの隔離から明けて、舞台上の人いきれに圧倒されて、動きが完全に止まっていた。
 僕が、
「大丈夫ですか?」
と聞いたら、怒ったように、
「二週間、誰も居ない部屋にひとりで閉じこもっていて、急にこんな喧噪の中に投げ込まれたら、誰だって、どう動いて歌っていいか分からなくなるよ」
と言っていた。彼は、完全な健康体なのに、こんな風になってしまうのだ。

 ということで、無事娑婆(シャバ)に戻ってきて、すでに一週間経ちました。もう完全に元気で、残念ながら飲酒もフツーに始まってます。

NHK録音
 11月29日火曜日は、午後1時から渋谷区神南のNHK放送センターで、「バイロイト2022」の楽劇「ジークフリート」と「神々の黄昏」の録音が行われた。井の頭線渋谷西口に少し早く着いて、どこかでお昼を食べようと思って、左側に歩き始めたらすぐに、昔よく行った“元祖うな鐡(てつ)”があったので、足が勝手に向き、気が付いたら注文していた。

「ま、コロナ明けでスタミナも欲しいし、少しでも良い声が出た方がいいもんね」
とひとりで勝手に言い訳しながら・・・でもうな重はやめといて、うな丼にした。


渋谷元祖うな鐡

 う・・・うまい!写真を見ると分かるけれど、タレの色がちょっと薄いでしょう。通常のタレのようにコテコテと甘くないんだけど、それがかえって鰻自身の味を引き立てている。

 さて、スタジオに入った。コロナで一度キャンセルしてしまったせいで、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」をさておいて、「ジークフリート」と「神々の黄昏」が先となってしまったので、ちょっと居心地悪いが、録音はスムースに運んだ。
 今回は、前の幕の歌手や管弦楽の録音を振り返って流しながらコメントをする新しいやり方を採用し、それが担当者達に気に入ってもらえたようだ。解説って、聴く人にとっては、時に「要らないや」と思われるじゃない。でも、こんな風に具体的に聴きながら案内してもらえるといいね、という内々での評判です。

 元々11月23日に録音予定だった「ラインの黄金」と「ワルキューレ」の録音は、12月2日金曜日に行われた。この日は午後から「ドン・ジョヴァンニ」舞台稽古があったので、録音は10時から。
「ラインの黄金」は切れ目無く2時間半一気に上演しておしまいなので、コメントはその前後の2個所だけ。一方、「ワルキューレ」は、その後の2作品同様3幕あるので、冒頭のコメントと、それぞれの幕の後のコメントで、合計4つのトークがある。
 「ラインの黄金」はスムースに進んだが、もともと僕には「ワルキューレ」にとても思い入れがあるため、どうしても制限時間をオーバーしてしまう。また、家でストップ・ウォッチで測りながらしゃべったのと、スタジオのマイクの前でしゃべるのとでは違うというのもあるんだね。どうもスタジオではゆっくりになるんだね。

 ということで、やや緊張したが無事録音終了。それで、
「出口までお送りします」
と親切に言ってくれるスタッフに、
「あ、結構です。五食(ごしょく~5階の食堂のこと)に勝手に行きますので・・・」
と答えて、ひとりで4階のスタジオから階段を登って五食に行った。

 放送センターには1階と5階に食堂がある。1階は庶民的、5階はちょっと高め。1階もね、おいしいんだよ。でも、僕が楽しみにしていたのは、5階の、その場で握ってくれるお寿司のコーナーだ。僕の定番は“上鮨1.5人前”。ネタは新鮮でたっぷりあって、なんと1040円!
 それで満足して、14時からの「ドン・ジョヴァンニ」舞台稽古に間に合うように、ゆっくり放送センターから初台目指して歩き出した。


NHK5階食堂上鮨1.5人前

 そういえば、この年末のバイロイト放送を聴き逃した人のために、「らじる・らじる」という「聴き逃し番組のアプリ」があるそうだ。ということは、なにも深夜の決まった時間に、ラジオをかけなければ聴けないということでもないんだな。当の僕自身にとっても、もしかしたら一番ありがたいものかも知れない。みなさんも是非利用してね。

 手前味噌で言うけれど、結構本音(ほんね)を言うことも許されたので、皆さんがご自分で演奏を聴いた後、
「これって、どうなんだろうなあ?」
と疑問を持たれた個所について、僕の解説を聞きながら、
「なるほどな」
と思ったりすることで、皆さんの鑑賞の手引きになれれば本望です。
 勿論、僕の意見が絶対というわけではないので、反発してくれても結構。結果として、
「ああ、ワーグナーって、こういうポイントに留意しながらこんな風に聴くのか」
と、なんとなく聴き処が分かって、あとは自分で開拓していくことができるならば、もうなんにも言うことはありません。

 録音は、あと12月9日金曜日午後からの「トリスタンとイゾルデ」を残すのみ。でも、この原稿がね、なかなか進まないんだ。だって、今年の8月28日に全曲指揮したばかりだろう。本番での印象が鮮明すぎて、あれも言いたい、これも言いたいでね・・・・最初、まず思っていることを何も制約を考えずに書き出してみよう、と、書いてみたら、とてもとても放送に収まりそうにない。あはははは、笑ってしまったよ。

 「トリスタンとイゾルデ」は、作曲家自身が台本も含めて、熱狂しちゃって書いている作品だから、バランスの取り方も大変だし、歌手にもとても大きな負担を要求する。そして、これを解説する僕にとっても大きな試金石なのだ。
 その意味では、指揮する方がまだ楽(ま、それも簡単ではないけどね)かも知れないと思う。これから録音までいろいろ試行錯誤を繰り返し、なんとか納得のいくものにまとめ上げて録音に臨みますね。  

有り余る才能を・・・「ドン・ジョヴァンニ」初日間近
 新国立劇場では、「ドン・ジョヴァンニ」の全ての稽古が終わって、明日12月6日火曜日の初日を待つばかりである。指揮者のパオロ・オルミは2010年に「愛の妙薬」で来日して以来だが、僕がミラノのスカラ座に研修に行ったのが2011年だから、まだイタリア語が今みたいにしゃべれなかったので、英語でコミュニケーションをとっていた。

 今回、コロナ明けで、みんなより一週間遅れてオルミに遭った時、僕がイタリア語で話しかけたので彼はびっくりしていた。
「2011年にミラノに研修に行って、合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏の元で3ヶ月研修しました。その時、語学学校にも通ってイタリア語を勉強していたんですよ」
特にイタリア人は、母国語で話しかけてくると、ことのほか喜ぶのだ。それから彼とは急に距離が縮まって親しく話している。

 西洋人にしては小柄で陽気なパオロ・オルミは、やんちゃなガキ大将がそのまま大人になったようだが、なんと指揮者としてはかなり進化を遂げていて、できあがってきた彼の「ドン・ジョヴァンニ」の音楽は、なかなか説得力のあるものとなっている。


「ドン・ジョヴァンニ」スタッフ・キャスト

 それにしても、いつも思う。
「なんでモーツァルトは、こんなくだらない台本に、こんな素晴らしい音楽を本気で作曲するのだ!」
ベートーヴェンが、特に「コジ・ファン・トゥッティ」で、僕と同じ事を思って批判している。

 31歳でこの作品を書いたモーツァルトにとっては、こうした色恋沙汰が最大の関心事だったのだろう。善意に解釈すれば、
「何故人間は、こうした欲望に溺れ、恋人なども簡単に裏切ってしまうのだろう?」
という素朴ではあるが、オーバーに言えば、人間の最大の哲学的、宗教的疑問に立ち向かった作品であるとは言える。ドン・ジョヴァンニが地獄堕ちするというシビアな結末は、「コジ・ファン・トゥッティ」のナアナアな結末とは違う。
 映画「アマデウス」では「ドン・ジョヴァンニ」の騎士長に、お父さんの存在を重ね合わせられていたが、子供の頃からお父さんに、自分の才能を認めてはもらいながら、自分の行動に関しては常に責められていたトラウマが、この作品の彫りの深さに結集した可能性はある。

 もし、モーツァルトが50代まで生きていたら、さすがにもうこういうものは作らないだろう。自分の恋心を隠しながら若者に道を譲るハンス・ザックスの“諦念”を描くか、それとも、王妃は自分を愛してくれないというフィリッポ王の“老い”を嘆くオペラを書いただろうか?
 まあ、考えても仕方ない。まだ情欲の燃えたぎる壮年期に人生を終えてしまったモーツァルトだものな。妻コンスタンツェの浮気癖に悩まされていたとも聞く。

 冒頭。レポレッロが、
「ああ、こんな暮らし、もうやだ!」
と嘆いていると、襲われそうになったドンナ・アンナとドン・ジョヴァンニが出てくる。そしてアンナの父、騎士長とドン・ジョヴァンニとの戦いになるが、古典派の簡素な和声進行だけなのに、なんという緊張感に富んだ音楽が聴かれるのだろう!

 ドンナ・エルヴィラのアリアは、バロック的な付点音符で貫かれており、このアリアだけは小埜寺美樹ちゃんの弾くチェンバロが一緒に演奏される。きっとこれは、エルヴィラが「古い女」という位置づけなのだろう。つまり一夜のアヴァンチュールとして割り切ることができないで、どこまでもドン・ジョヴァンニを追い掛けて結婚を求める前時代的女性ということだ。

 有名な“ドン・ジョヴァンニの地獄堕ち”の場面も、レクィエムと共通するニ短調という調性が、モーツァルトにとっては本当に“死の調性”なのだなあ、と感じられる。

 そういえば、セレーナ・マルフィのドンナ・エルヴィラの赤い衣装を見ている内に、昨年の11月に50歳で亡くなったソプラノ歌手アガ・ミコライのことをふと思い出した。そう思って楽屋に戻ってきたら、飯坂純さんが、
「アガのこと思い出すねえ」
と言い出したのでびっくりした。

 アガは、熱心なクリスチャンで、僕が東京カテドラル関口教会の聖歌隊指揮者をしていた時には、来日するとかならず主日のミサにやって来たし、第九で来日していた時は、クリスマス・イヴのミサに、第九の指揮者を連れてやって来て、僕を驚かせた。

 アガは、この新国立劇場で、ドンナ・アンナとドンナ・エルヴィラの両方を演じた珍しい歌手である。あらためてアガの冥福を祈りたい。

 ということで、パオロ・オルミの統率力で、全体がよい感じにまとまってきた「ドン・ジョヴァンニ」です。



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