名古屋の「ローエングリン」

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

名古屋の「ローエングリン」
 1月28日土曜日の新国立劇場「タンホイザー」初日を無事終えると、僕は初台を後にし、東京駅に向かった。
「明日は、名古屋で一日、愛知祝祭管弦楽団の『ローエングリン』の練習。まさにワーグナー漬けの毎日だぜ!」

 11月に練習があったのだが、コロナ・ウィルスに感染してしまったため、小山祥太郎君にお願いして自宅待機を余儀なくされた。小山君は、国立音楽大学でもカールスルーエでも声楽科出身なので、しっかり歌いながら練習してくれたそうで、みんな喜んでいた。
 その一方で、僕にとっては久し振りの練習だった。
「あけましておめでとうございます!」
で始まって、いつもながら楽しいひとときを過ごした。

 さて、「トリスタンとイゾルデ」など中期以降の作品に慣れてしまうと、「ローエングリン」のような初期の作品のオケ練は、かえって難しい。弾くのが難しい個所を抜き出して練習するのは問題ないのだが、通して練習しようとすると、和音を伸ばして歌の伴奏をする、いわゆるrecitativo accompagnato(オケ付き朗誦)の個所が多いため、指揮者は歌わないと、そもそも音楽として成立しないし、団員も何をやっているのか分からない。
 だから、「トリスタン」よりもずっと歌っている瞬間が多く、疲れる・・・・いや、肉体が疲れるのではなく、喉が疲れたんだな。

 1月29日日曜日。愛知祝祭管弦楽団の練習を終わって東京に帰ってきたら、妻が、
「あら、声がおかしいわね。どうしたの?」
というから、ちょっと考えて、
「歌いすぎたかもね」
と言った。
小山君のようには若くないんだ。寝たらすぐなおって、今は全然問題ないけどね。

 みんなやる気に満ちている。コンサート・マスターの高橋広君は、どうしても全曲演奏をしたいと張り切っている。「ローエングリン」には、定番ともいえるカットがある。「ニーベルングの指環」以降は、全曲が隙間なくライトモチーフで埋め尽くされているため、カットの余地はないが、前期の作品は古い形式で書かれているし、ドラマ的にやや停滞する個所があるため、通常はカットして演奏するのである。
 あまりに広君が言うので、昨日は、試しに、終幕近く、ローエングリンが自分の素性を告げるシーン直後のカットを開けて演奏してみた・・・僕にとっては初めて演奏する箇所・・・うーん・・・もう少し考えさせてね。
ドラマの流れは大切にしたいんだけど・・・・。

ディータ-に逢いました
 僕がバイロイト音楽祭で働いていた時、バイロイトには、僕の知る限り2名の日本人女性が住んでいた。その1人がWinter和子さんだ。和子さんには、いろいろお世話になった。よく食事に招待されたのは勿論のこと。たとえば、バイロイトで僕はマウンテンバイクを買った。街中や郊外を自由に乗り回していたが、夏が終わると、和子さんの家の物置に置かせてもらって帰国し、また次の夏に物置から引っ張り出して乗っていた。

 その和子さんのパートナーは、Dieter Kleinといって、知り合った時にはバイロイト大学微生物科教授であった。その後定年で退官したが、「バクテリアはまどろんでいる」という論文を書いて評判が良いと得意になっていた。とても面白い人で、クラシック音楽よりもジャズが好きで、ギターを弾き、バス・クラリネットを吹いていた。

 一方、和子さんは、お父さんが外交官で世界各地の大使館などを転々としていたため、彼女が一番得意とする言語は英語。英語で本も書いている。その後Winter氏と結婚したので、ドイツ語は英語の次に得意となった。二人の子供をもうけたが、夫とは別居している。
 日本人なのに、日本語は一番下手。それなのに長年バイロイト大学で日本語を教えていたんだぜ。だから文法は詳しい。
何かを聞かれて、
「あ、別に全然いいですよ」
と答えたら怒られた。
「ヒロさん、その日本語、間違っていますよ。全然という言葉の後は否定的な言葉を使わないといけません。『全然駄目です』とか『全然分かりません』、とかだったらOKです」

 この2人のことは、2001年に僕がバイロイトで書いていた日記が残っているので、興味のある方は読んでみて下さい。

 僕がバイロイトに行かなくなっても、和子さんは、しばしばディータ-と一緒に日本に来て逢っていたし、僕たち夫婦がバイロイトに遊びに行った時には、和子さんの家に泊まらせてもらって、そこを根拠地として、アイゼナハやライプチヒなど、あちこちに旅行した。
 でも最近、和子さんは、御茶ノ水にあった亡くなったお母さんのマンションを引き払ってしまった。それに加えて、コロナの感染拡大が始まってしまったため、もう日本には来られないんじゃないかなと思っていた。
 そしたら、最近になって突然メールが舞い込んできた。外国からの入国制限がなくなったし、円安でもあるので、ディータ―と一緒に日本に来るという。伊豆の方に何泊かしてから、東京に戻ってくるタイミングを見計らって、妻と一緒に逢いに行った。

 1月25日水曜日。御茶ノ水駅10時半。和子さんが、真っ赤なセーターと帽子で来たので、
「うわっ!」
と思った。
 いつもどうりのハグをして、お茶を飲もうと歩き出した。お茶の水駅の南東の一画は、ソラシティやワテラスタワーなど高層ビルが建って、見違えるほど新しくなったなあ!結局、スターバックスに入って、そこでひとしきりダベった後で、日本食レストランに入って、定食を食べた。

 とにかく話が面白くて止まらない。新しい情報としては、テノールのクラウス・フローリアン・フォークトは、今バイロイトに住んでいるそうだ。だから、ローエングリンだけじゃなくて、「マイスタージンガー」のワルターや「ワルキューレ」のジークムントまで歌っているのかな。
 僕の考えでは、ワーグナー歌手として落ち着いてしまわないで、逆にワーグナーでは、ローエングリンだけ歌っていればいいから、もっといろんな作曲家のいろんな役を幅広く歌って欲しい。実は、新国立劇場では、2005年に「ホフマン物語」の主役を歌っているんだ。まだフィーバーする前で、今ほどキャラクターは強くなかったけれど、すごく音楽的できめ細かく上手だったのを覚えている。

 その日は、「タンホイザー」最後のBO(実質ゲネプロ)で、その前にPCR検査があったので、名残惜しかったけれど、午後1時くらいに別れた。
「楽しかったね。気兼ねなくて、本当に良い人たちだね」
と、中央線の中で妻と語り合った。

写真 左からディーターさん、和子さん、三澤
Dieter&和子さんと

 

カービング・ターン
 今年一番の寒波襲来と言われていた1月24日火曜日の川場スキー場では、午前中は青空さえ出ていて、気温もまだ高かった。むしろ、しばらく降雪がなかったようで、雪は硬かったし、新雪のツリーランができるエリアの雪も、新雪とはほど遠く面白くなかった。

 いつもゆるやかなコブができている高手スカイライン(上級)は、下半分が非圧雪コースのはずなのに、あろうことか圧雪が入ってしまってコブどころではなく、のっぺりとしている。西峰ダウンヒル(上級)は非圧雪のままだったが、同じようにのっぺり。ありゃりゃ。こりゃだめだ。予定変更して、ショート・ターン、ミドル・ターン、ロング・ターンなどに分けて、フォームを確認することにした。

 高手ダウンヒル(中級)下部は、クリスタル・コース(初級)とつながっていてゆるやかなので、ここでレール・ターンの練習をしてみた。レール・ターンとは、両足を開き気味にして、両方のスキー板を同じ角度に立てて、電車がレールの上を行くように滑り、サイドカーヴを利用して、くっきりと2本の半円のシュプールが平行に残るようにする滑り方。
 気が付くと、スピードが速くなっていて、レール・ターンというよりはカービング・ターンになっていた。このふたつの用語の区別が付かなかったが、インターネットで調べてみると、板の真ん中に乗って板をたわませた時点で、もうレール・ターンとは呼ばずにカービング・ターンと言うらしい。
 外側の足を突っ張ってみる。より鋭くカービングがかかると、遠心力が強く働くので、体が中心に向かって傾くことで釣り合いをとる。外足は伸び切ってしまうくらいの勢いで突っ張る一方で、内足は曲げて折りたたみ、外側と同じ角度に傾ける。ターンの終了時は板が自然に体を押し上げるので、抜重というのを意識しなくとも反対側の板にいつの間にか乗っている感じになる。

ここが曲者なんだよな。

 僕がスキーを集中的に始めた頃は、あらゆる教則本が、
「これからはカービング・スキーの時代です」
と言って、
「自転車のように、体を右に傾けて右に曲がるのです」
と教えていた。しかも、
「内足の小指側からターンを始めます。両スキーに均等に乗ります」
なんて言って、初心者を混乱させていた。

 今僕は、フルカービングを楽しみ始めたけれど、初心者はカービング・スキーなどやらなくともいい。むしろ徹底的に、外スキーに全体重を乗せることを覚え、外向&外傾を覚え、伸身&屈身抜重を意識して行い、カービング・スキーが生まれる前の基本的テクニックに精通すること。

 その意味では、よく、しばらくスキーをやっていない人が、
「昔滑っていたのですが、今はカービング・スキーの時代でしょう。どうも気後れしてしまって・・・」
と言うが、まったく気にしなくて結構。むしろそのまま昔のテクニックで滑り、そのテクニックを磨くのが一番の近道。

 さて・・・その上で言おう。僕は自分のカービング・スキーの弊害、すなわち「ターン初動にわずかに内傾する癖」や「新しい外足に切り替えする時の体重移動の甘さ」と徹底的に向き合い、ようやく直ってきたので、むしろやっと今こそ、カービング・ターンにきちんと向かい合うことができるのだと思う。

 あさっての2月1日水曜日は、神立スキー場に行ってきます。そこで、コブと共に、カービング・ターンを研究してきます!また報告します・・・スキーに興味ない人には退屈でしょうが、飛ばして読んでもいいし、まあ、我慢して読んで下さいね。うふふふ。



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