アッシジへの旅2024年

 

三澤洋史 

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「ファルスタッフ」を終えて
職人気質

 2月18日土曜日「ファルスタッフ」千穐楽。終景の素晴らしいフーガ「世の中みんな道化」を歌い終わると、合唱団は、ファルスタッフを懲らしめることができた喜びで、踊りながら舞台から走り去って行く。
 僕は、合唱指揮者として、一番先にカーテンコールに登場するために、舞台下手(しもて)袖に待機している。僕から見ると、彼らはこちらに向かって走り込んで来るわけだが、
「はい、緞帳閉まり切りました!」
という掛け声と共に、そのままクルッと振り返り、またまた全速力で舞台上に殺到して整列する。ビデオの逆回しのようなその光景は、結構ウケる。

 合唱団が並び切って止まった瞬間、舞台下手袖に座っている舞台監督助手が、
「緞帳、オープン!」
と叫ぶ。同時に、僕に向かって、
「三澤さん、間もなくです!」
と言う。緞帳がほぼ上がりきると、
「どうぞ!」
と合図をする。そして僕は舞台に走り込んでいく。

 別に走らなくてもいいんだけど、どうしても僕は走ってしまうなあ。どうしてだろうなあ?それは・・・きっと、嬉しいからなんだろうな。走りながら、合唱団のみんなの顔を見て拍手する。
「ありがとう!みんな!」
声には出さないけれど、心からそう思い、唇がそう動いている。

 センターに着いたら、初めて前を向いて、両腕を大きく開いて合唱団を紹介し、ゆっくり深くお辞儀をする。新国立劇場の客席をいっぱいに埋めつくした聴衆達の目がこちらを向いている。顔、顔、顔・・・割れるような拍手の響き・・・。

 これが僕の日常の一コマ。でも、2020年春。コロナ禍で新国立劇場のみならず、ほとんど全ての公演や演奏会が消えた時、この瞬間も消えた。もうこの光景は訪れないのではないかと思った。外国人キャストやマエストロなどと共に、ひとつのプロダクションを作り上げていくエキサイティングな日々。自分が一生懸命作り上げたものを聴衆に喜んでもらえるという充実感。それが失われた日々は辛かった。一気に十歳も歳を取ったような感じがした。

 徐々にそれは戻ってきたが、突然の公演中止などがあったりしたので、半信半疑で公演を迎える日々が続いた。「さまよえるオランダ人」や「愛の妙薬」では、複数の感染者及び、彼らと楽屋の化粧前を同じくする沢山の濃厚接触者が欠席を余儀なくされてしまった。
 今だから言うが、たとえば「愛の妙薬」では、舞台上の飛行機の下手(しもて)寄りだけ10人ものテノール団員が抜けていて、見た目にもアンバランスだったし、残りのテノール団員が頑張ったところで、音量的には足りても、僕が目指す理想的な合唱の音色にはほど遠く、実に残念だった。
 そんな時僕は、自分が満足いかないのは勿論だけれど、プロとして、本当にお客様に申し訳ないと思った。
 これでいいということはないが、これが今の私の精一杯の姿です
相田みつを
 僕は、自分を職人だと思っている。3月3日の誕生日が来ると68歳になるが、僕には、“現場”を離れて管理者になるという選択肢は死ぬまでない。あくまで“自分の手”で何かを作り上げ、仕上げたい。それができなくなったら引退しかないと思っている。
 職人気質は僕の親父譲りだ。親父は、小学校しか出ていなくて、丁稚奉公して大工職人になった。僕が中学2年生の時に三澤建設という個人企業を興したが、肺気腫で歩けなくなるまで現場に立っていた。

 たとえば今は、「ホフマン物語」と「アイーダ」の合唱音楽練習を行っているが、「ホフマン物語」ではフランス語の発音を直しながら、鼻母音など細部のニュアンスにこだわっていくし、「アイーダ」でも、たとえば第3幕の僧侶のバスの発声法を規定していく。
 僕など、プロ声楽家の実力にはかなうわけもないと思いつつ、厚かましく自分でどんどん歌いながら、ひとフレーズずつ直していく。かつて、バイロイト音楽祭でノルベルト・バラッチュ氏がやっていた方法だ。要するに口写しというやつ。
「これが一番確実なのだ」
とバラッチュ氏は言っていた。
 バラッチュ氏はウィーン少年合唱団出身だし、僕も国立音楽大学声楽科にいて、特にドイツ歌曲をかなりガチに勉強していた。歌う立場から具体的な指導をするというのは、とりわけ合唱指揮者には大切なことだ。

 このような練習を進めていって、それがマエストロの手に渡り、音楽的な方向転換をする際にサジェスチョンをしたり、立ち稽古で演技が付いていくと、今度はそれに則したニュアンスのチェンジを行い、舞台稽古で客席からバランスを聴きながら指示する。
「この舞台は後ろのセットが空いているから、後ろからの反響がない。従って、列の後ろの人たちは、前の人よりももっと早く歌い出すこと。そうしないと、前後でタイミングのズレが生じる」
とかね。

 そういえば、指揮者のコッラード・ロヴァーリス氏が言っていた。ミラノ・スカラ座で長い間合唱指揮者をしていて、僕をスカラ座研修に招待してくれたブルーノ・カゾーニ氏は、昨年82歳で引退したという。僕が研修に行った2011年には70歳のお誕生日を祝っていたっけ。オペラ劇場の合唱指揮者が高齢まで引退しないのは、オケの指揮者よりも様々な方面での経験値が求められるからだろう。

 バラッチュもカゾーニも、まさに職人だ。僕も、それから比べるとまだまだだね。

コロナで卓球ができなかった!
 指揮者のロヴァーリス氏とはtuで呼び合う仲だ。今回、ピアニストの中に長女の志保が入っているのにすごく喜んでくれて、
「一緒の職場に親子で携わるのって、見ていてとってもいいね」
と何度も言ってくれた。とても優しい人だ。

 前回「ドン・パスクワーレ」で来日したときには、かれは卓球に凝っていて、
「どこかで卓球できないかな。卓球に飢えているんだ」
と言うので、みんなで一緒に卓球バーに行って、メチャメチャ盛り上がった。

写真 2019年11月の卓球バー
2019年11月卓球バー

 でも、今回は、まだコロナの警戒心がみんなの中に残っていることや、彼自身がそんなに卓球の事を言い出さなかったというのもあるし、僕も合唱団員も、公演の合間では「ホフマン物語」や「アイーダ」の練習で忙しくて、全然その余裕がなかったので無理だった。
 千穐楽の指揮をするために楽屋を出たマエストロに、僕が、
「卓球、行けなかったね。残念だね!」
と言ったら、
「また来るから、今度やろうね」
と言う。あれ?そうなんだ。1シーズン先以上は、劇場からまだなんにも知らされていないから、キョトンとしてしまった。とにかく、また新国立劇場で会えるらしいから、今度会う時には、コロナを全く心配しないで、卓球バーでも飲み会でも行ける世の中になっていて欲しい。

 先週「タンホイザー・ロス」と書いたけれど、やる公演、終わる毎にロスになっていたら、体がいくつあっても足りない。でも、ロスということではなく、以前と明らかに違う点は、公演が無事に始まり、そして終了した時に、心から“感謝”の念を持てること。
 感謝は、どんな場面でも、し過ぎることはないし、何かを「ありがたい」と思うことは、次のしあわせを呼び込む最良の方法だと信じている。何より、職人と感謝とは表裏一体となっているものだ。

アッシジへの旅2024年
 2020年、ウィーンのシュテファン大聖堂で、モーツァルトの命日である12月5日の深夜に、モーツァルト作曲「レクィエム」を歌いに行く、という旅行社の企画があったが、コロナ禍であっけなく潰れてしまった。その企画は、2021年に持ち越され、命日ではなく10月に遂行されようとしたが、まだまだコロナ健在で、これも残念ながら中止の憂き目に遭っている。
 2年も宙ぶらりんだった参加希望者達は待ちきれずに、高崎では、2022年5月に「モーツァルト・レクィエム勉強会」発表会を行い、名古屋のモーツァルト200合唱団は、9月の定期演奏会で「レクィエム」を演奏して一区切りつけた。

 その「モツレク」演奏会がまだ消えていない頃、旅行社と僕との間では、ウィーンの翌年にはアッシジ演奏旅行というのを企画していた。アッシジの聖フランシスコ聖堂で演奏会を行うのである。(事務局注:アッシジの聖フランシスコ聖堂のGoogle自動翻訳サイトはこちら
 演奏するのは僕の作曲した作品で、旅行社としては、東京、名古屋、高崎を中心として、そのための練習を組み、最終的に合同でアッシジに行って演奏しようというもくろみである。その計画が、またまた浮上している。時期は来年すなわち2024年7月後半を予定している。

 アッシジは、僕の守護聖人である聖フランシスコの故郷であり、僕自身は是非行きたいと思っている。僕はかつて、東大コールアカデミーOB合唱団であるアカデミカ・コールから委嘱を受けて、「イタリア語の三つの祈り」I Preghieri Sempliciを作曲したが、その中の中心の曲が「アッシジの聖フランシスコの平和の祈り」Preghiera Sempliceである。さらに、この団体のためにはミサ曲Missa pro Paceを作曲した。アカデミカ・コールは男声合唱団なので、それらの曲は皆男声合唱のために書かれているが、Missa pro Paceは、来年8月に名古屋のモーツァルト200合唱団が混声合唱で上演する予定だ。

 こんな風に、なんとなく僕の周りの環境の中で、いくつかの団体が僕の宗教曲を演奏してくれているが、それをアッシジへの演奏旅行という形にまとめられたら、と思っている。しかし、僕の中には正直言って不安もある。大作曲家モーツアルトの「レクィエム」をシュテファン大聖堂でという企画と違って、僕の作品だし、場所はウィーンとかローマとかミラノとかではなくアッシジだし・・・本当にみんながその企画に乗ってくれるのかな?という疑問である。
 すでに僕の曲を演奏しているアカデミカ・コールは男声合唱団なので、東京では、新たに混声合唱団を立ち上げなければらないと思う。名古屋でも、モーツァルト200合唱団が混声合唱バージョンで演奏会をやるといっても、勿論その人たちがみんなアッシジに行くわけではない。その一方で、モーツァルト200合唱団には入らないけれど、アッシジに行きたいという人もいるかも知れない。

 まあ、心配し始めたらキリがない。旅行社は、今年の夏くらいから募集をかけて練習を開始したいと言っている。そこで僕は思った。
「もし僕が本当に行きたいと思っているならば、そして行くべきだと神様が思っているならば、道は自ずと開けるはずだ。その前に、僕自身がアクションを起こさなければ!」

 そこで、新しくアッシジ用に新曲を書こうと思い立った。僕がカトリック教会で洗礼を受けるにあたって、洗礼名にアッシジの聖フランシスコを選んだのには二つのワケがある。
 ひとつは、僕が桐生の聖フランシスコ修道院によく通っていて、そこの修道士さんたちと仲良くしていたということ。もうひとつは、その頃とても流行していたフランコ・ゼッフィレリ監督(新国立劇場「アイーダ」の演出家でもある)で聖フランシスコの生涯を描いた映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」にとても感動したことだ。
 この映画のタイトルと主題曲のBrother Sun, Sister Moon(兄弟なる太陽、姉妹なる月よ)という言葉は、聖フランシスコの祈りCantico delle creature(創造主への賛歌)の中で歌われる言葉である。
Lodato sii, mio Signore,
讃えられてあれ、我が主
insieme a tutte creature,
全ての被造物
specialmente per il signor fratello sole,
特に兄弟なる太陽によって
il quale è la luce del giorno,
それは陽の光
e tu tramite lui ci dai la luce.
あなたは太陽を通じて我らに光りをもたらします
E lui è bello e raggiante con grande splendore:
太陽は、美しく、大いなる輝きを放ち
te, o Altissimo, simboleggia.
太陽はあなたの姿を現します

Lodato sii, o mio Signore,
讃えられてあれ、我が主
per Sorella luna e le stelle:
姉妹なる月と星達によって
in cielo le hai create,
あなたは天にそれらを創造された
chiare preziose e belle.
明るく、気高く、美しく
 これはその一部であり、この後、風、空気、水、火、大地などが讃えられる。今掲げた三倍くらいある長い詩なので、それなりのボリュームになると想像される。これと「イタリア語の三つの祈り」さらにMissa pro Paceの一部の曲を組み合わせて、約1時間のアッシジ用の新しい組曲を作成しようと思っている。

 こうしたやり方は、かつてバッハがいくつかのカンタータから曲を寄せ集めて小ミサ曲を構成した過程と似ている。現代では、ひとつひとつの曲をJASRACとかに届け出て著作権を獲得してしまったりすることもあり、自作を再び使い回すような人はほとんどいないが、僕はJASRACから賞をもらっていながら、著作権を届け出たりしていない。好きな時にしか作曲しないので、自分の事をプロの作曲家だと思っていないところがある。

 今、この詩を僕は現代イタリア語で書いているけれど、実は聖フランシスコのオリジナルは、ウンブリア訛りで書かれている。どちらで作曲したらいいかなと思って、毎週通っているイタリア語の先生に訊いてみた。すると、一通り読んで、
「アッシジで演奏するのだったら絶対原語でやるべきよ。あたしでも何の苦もなく読めるんだから、現代イタリア語にとても近いし、よりラテン語に近い部分もある。何より地元の人は間違いなく喜んでくれるわね」
と言う。

 実はまだ僕の胸に風が吹き込んで来ていない。つまり、どんな曲になるのか見当もつかない。でも予感はある。思いつくままにピアノをつま弾きながら、ある時突然楽想が湧く。そして五線紙に書き留める。歌いながらピアノを弾いていく内に、どんどん変わっていって、最初の楽想とは全く別のものになったりする。でも、気にしない。で、ある時、それが形を成してくるのだ。
 う~~~ん、形を成してこない時もある。そうしたら、そもそも縁がなかったということなのだ。イタリア旅行もね。なんだ、無責任だなと思うだろう。いや、そんな風に無欲になって、委ねる気持ちになっている時が、一番創造の風が吹きやすいのだ。

写真 アッシジの聖フランシスコ聖堂
アッシジの聖フランシスコ聖堂

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新国立劇場合唱団員の試聴会
 今日(2月20日月曜日)は、これから新国立劇場合唱団現行メンバーの試聴会だ。合唱団員にとっては、1年で最も緊張する日だろうし、僕にとっても最も憂鬱な日だ。人が人を裁くのは嫌だねえ。特に、コンクールなどと違って、入賞したらラッキーというものではなくて、もし落ちたら生活がかかっているだろう。人の人生を左右するのだ。彼らとは毎日接しているから、いろんな生活事情も耳に入ってくる。
 でも、だからこそ、偏りのない耳で判断して公平に決めなければならない。優秀な者が正当に評価されない世の中を、トップにある者は絶対に作ってはならない。

 判断のポイントは、技術点と芸術点とに分けられる。技術点は、横隔膜の使い方、腹圧、音色とその変化、音高によるポジションの変化などに分けられ、芸術点は、フレージングの感覚から始まって、言葉のさばき方、曲想に応じた解釈など多岐に渡る。
 以前は、かなり細部に分けて点数をつけていたが、結局、それらを総合するときに単に点数を合計すると、全体の印象とのズレがでてくるので、最終的には、合計を参考にはしながらも、全体印象で点数を決定していた。
 しかしあまり細分化してしまうと時間が掛かってしまうので、彼らが歌唱している間中、鉛筆を持つことになってしまう。それが、最近では、素晴らしい方法を思いついた。しかも、先の方法よりも簡単で正確だ。

 それは、彼らの歌を聴いていて、それを“スキーの滑走”としてイメージすることなのだ。ただ、彼らがスキーがうまいとかヘタとか、実際に彼らがどう滑るかなどとは全く関係ない。あくまで歌唱から導き出されるイメージ。
 旋律のライン取り、声帯にかかる圧と息との関係をスキーの滑走としてイメージする。たとえば言葉のさばき方は不整地をどうさばくかというテクニックと共通し、フレーズからフレーズへの受け渡しはターンの仕上げ方としてイメージできる。
 試聴会の制限時間は5分で、途中でベルを鳴らさない。長すぎる曲は自分でカットしてもらって制限時間に収める。これは、自分でパフォーマンス全体をどう仕上げるかを見たいから。そのまとめ方も採点基準に含まれている。スキーで言えば、ロングターン、ミドルターン、ショートターン、不整地などを組み合わせて、自分でゲレンデそのものを作り、自由な滑走全体で何を構築し、何をアピールしたいのかという、ミクロの視点を含んだマクロの判断だ。

 この滑走イメージ採点方法を行うようになってから、僕は彼らの歌唱が始まるなり鉛筆を持つということをやめた。そしてむしろ、歌唱全体を大きく感じるようになり、顔も上に向いて彼らの顔の表情や体全体から醸し出すオーラのような表出性も感じられるようになった。
 部分点の足し算が必要なくなったので、歌唱が終わりに近づいた時点で総合点を付けるだけでいい。しかしながら、彼らの印象を滑走として覚えているので、細かいポイントは感想として、次の人とのチェンジの間に文章で書けるのだ。

さて、この原稿を見直しをしたら、用意して出掛けよう!



Cafe MDR HOME


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