「アッシジ祝祭合唱団」いよいよ発足へ

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「アッシジ祝祭合唱団」と命名
 来年すなわち2024年7月のアッシジへの旅が、とうとう実現に向けて動き出した!5月4日木曜日、アカデミカコールの団内指揮者も務める酒井雅弘さん、このホームページCafe MDRのコンシェルジュを務めているS夫妻、そして旅行社フルスコア・インターナショナルの上月光さんと僕の5人が、初台の珈琲館に集合して、アッシジ・ツアーの具体的な方法を検討した。

 まず、東京にツアーの母体となる合唱団を作ることを相談した。「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプのように、Cafe MDRに専用のコーナーを設け、そこを中心として団員募集を行う。
 その前に名前を考えなくちゃ、というので、みんなで考えた。で、結果は「アッシジ祝祭合唱団」にした。あはははは、最近はなんでも「祝祭」だね。演奏会は、今のところ2024年7月21日日曜日、聖フランシスコ聖堂で行われる予定。

演奏曲目
 曲目はすべて僕の作曲。今考えているプログラムは以下の通り。ミサ曲がラテン語以外、すべて言語はイタリア語。

プレリュード 

Prelude
イタリア語の三つの祈り  
 1 主の祈り  Padre Nostro
 2 聖フランシスコの平和の祈り  Preghiera Semplice
 3 アヴェマリア  Ave Maria
平和のミサ曲   Missa pro Pace 
創造主への賛歌(太陽の賛歌)  Cantico delle Creature
 
 全体を約1時間の休憩なしのプログラムで考えているが、「平和のミサ曲」については、今のところ抜粋で考えている。理由としては、この曲だけで1時間かかるし、元々この曲は、Festa di Credo「クレード祭り」やHosannaなどのように、サンバのリズムでコンガが大活躍してお祭り騒ぎとなってしまう曲も入っているので、聖フランシスコ教会でやったら怒られて追い出されてしまう可能性がある(笑)のだ。だから今回は、打楽器は抜いて、別に静かな曲ばかりではないが、極端な曲は抜いて構成しようと思っている。
 オリジナルの「イタリア語の三つの祈り」では、弦楽器とピアノの他にアコーデオンが入り、「平和のミサ曲」ではアルト・サックスが入っている。でも、今回のアッシジ・バージョンでは、「創造主への賛歌」も含めて、全プログラムに独奏楽器としてクラリネットを加えることで統一感を図ろうとした。

 これらの事を構成しながら、僕は、バッハが自分の様々なカンタータから任意の曲を選び出して、4つの「小ミサ曲」や「ロ短調ミサ曲」を再構成した事を思い出していた。それらの曲は、「寄せ集め」というネガティブな意味ではなく、むしろ自分の作った曲の中で会心の出来だった作品を再び取り上げて組み合わせ、傑作揃いの珠玉の作品に凝縮したわけだ。

初回練習日はもう決まってます!
 さて、アッシジ祝祭合唱団の練習初日はもう決まった。9月2日土曜日10時から13時だ。場所はまだ未定。年内は様子をみながら月2回で音取りに徹し、年が明けてから毎週行うことにして旅行に向けて集中度を高めていく。入団オーディションはなし。
 練習は、基本的に土曜日午前中にしました。土曜日には、僕の場合、東京バロック・スコラーズの練習がたまに入るが、その他には、新国立劇場をはじめとして、土曜日午前中に用事が入ることはほとんどないため、そこに決めた。平日の夜の何曜日という風に決めてしまうと、別の合唱団に属している人もいて難しいだろうから、そこが妥当かなと思う。

 合唱団が歌いに行くツアーの場合、旅行社が、その合唱練習の費用も負担することが少なくないが、それだと、旅行社側は、負担をなるべく少なくすることを考えるだろうから、充分な練習が出来ない恐れがある。
 特に、今回アッシジに持って行く曲は、モーツァルト「レクィエム」のような、みんなが知っているものではなくて、全て僕のオリジナルだから、きちんと練習してきちんとしたものを携えていきたい。だから、この合唱団の運営は、旅行社に任せきりにはしないで、別途団費を集めてしっかり練習を行います。

日本での「壮行演奏会」
 そして旅行の事前に「壮行演奏会」を日本で行うことも考えている。勿論、基本はアッシジに行ってくれる人を対象にしているけれど、
「まだ本当に行けるかな?」
と迷いながらの参加もOK。
 まあ、「壮行演奏会」の参加のみで合唱団に入る場合も、認めないわけではありません。旅行自体の申し込み期限はすぐではないし、出張その他で、途中で旅行そのものが不可能になってしまう人もいるかも知れないからね。

僕にとっては自分を賭けた“巡礼”
 その一方で、僕個人にとって、このアッシジ演奏旅行は完全に“巡礼”の意味を持っている。僕は、教会に通うようになった高校生の頃から、アッシジの聖フランシスコの生き方に深い感銘を受け、桐生の聖フランシスコ修道院にも通い、洗礼名も聖フランシスコに決めた。アッシジの街には、これまでも2度ほど行っている。2度目は家族と修道院に泊まった。
 その僕が、今回は「聖フランシスコの平和の祈り」や「創造主への賛歌」など、自分の宗教観を賭けて作った音楽を携えて3度目のアッシジ訪問をし、聖フランシスコ教会で指揮をするのだ。これは、自分の人生の中でも、かけがえのない体験となるであろう。
 だから僕は、ツアーに参加する人には(参加しない人も大歓迎)、アッシジの聖フランシスコの生涯と、その生き方、世界観などについて、事前に(あるいは現地においても)、ミニ講演などを行って、みんなに聖フランシスコのことを大好きになってもらいたいと強く願っている。

おおっ!考えただけで興奮してきた!
みなさん!是非、一緒にこの喜びを味わいましょう!  

「リゴレット」報告
珠玉のハイレベル公演の数々

 新国立劇場では、今シーズンに入ってから、巷では、普段あまり上演されない「ジュリオ・チェーザレ」や「ボリス・ゴドゥノフ」ばかりが話題に登っているが、実は、その一方で、今年、すなわち2022年に入ってからの「タンホイザー」「ファルスタッフ」「ホフマン物語」「アイーダ」など、全て再演演目の上演レベルが、世界のどこに出しても恥ずかしくないほど高いのを皆さんはご存じだろうか?
 手前味噌で言うけれど、どの公演も、キャストはみんな適役でハイレベル。指揮者も確実な職人ばかりが登場し、それぞれのやり方で、劇場を知り尽くした手腕を発揮している。

大野和士芸術監督のコーディネート能力を、僕はここであらためて強調し称賛したい。

「リゴレット」もハイレベルで進行中
 現在立ち稽古進行中の「リゴレット」もそれに漏れない。まず指揮者のマウリツィオ・ベニーニのきめ細かく的確な指導が素晴らしい。CDで発売されている超有名人だけでなく、こういう優秀な人材がゴロゴロいるんだから、ヨーロッパの底力にはまだまだとってもかなわないな!

写真 「リゴレット」チラシ裏面のスタッフ・キャスト
「リゴレット」スタッフ・キャスト

 歌手の中で特筆すべきは、1993年ペルー生まれの弱冠30歳のテノールであるイワン・アヨン・イヴァス。彼の声楽的テクニックは完璧!どこまでも伸びのある、天衣無縫、自由自在、聴いていて本当に気持ちの良いマントヴァ公爵が聴けますよ。彼の声を聴くだけでも、この公演に足を運ぶ価値があります。
 ジルダ役のハスミック・トロシャンのソプラノも、フォルテから弱音まで完全にコントロールされた発声で、聴き慣れた「慕わしい名よ」Caro nomeなどのアリアや二重唱がとても新鮮に感じられる。
 リゴレットはベテランの境地に入ったロベルト・フロンターリが独特のリゴレット像を描き出している。
 その他、チョイ役の小姓を演じる、我らが新国立劇場合唱団のメンバーでもある前川依子さんに至るまで、無駄のない日本人歌手達が脇をしっかり固めている。

「リゴレット」の独創性
 僕は、6月10日土曜日に、自分が理事を務めている京都ヴェルディ協会で、「ベルカント・オペラが初期のヴェルディに与えた影響」という内容の講演を行う。それで最初は、ヴェルディの初期作品に見られる、ベルカント・オペラから受け継いだ要素に焦点を当てて話をしようと思っていたが、今回図らずも「リゴレット」に接していることによって、むしろベルカント・オペラの影響を受けながらも、ヴェルディが「独自の世界を開発している点」に焦点を当てようと思い始めた。

 「イル・トロヴァトーレ」もそうだけれど、ヴェルディは、意図的に(差別表現に引っ掛かるような)「醜いもの」を題材として取り上げ、それによって従来のベルカント・オペラには見られない「彫りの深い劇性」を描こうとしたのだ。たとえばドニゼッティ作曲「ルチア」の狂乱の場なんて、全然おどろおどろしくないでしょ。その反対なんだよね。
 「リゴレット」では、そうした独創性が最も際立っている作品というわけだ。それだけに・・・まあ、悪口を言うと・・・見終わって爽やかな気持ちで劇場を後にする、というオペラではないからね。あははははは!

東京バロック・スコラーズ集中練習とStamm Tisch
恐怖の?小アンサンブル

 5月6日土曜日は、浜田山会館で10時から17時まで、東京バロック・スコラーズの一日集中練習。特に午前中は、バッハ作曲モテット第5番komm,Jesu,komm「来てください、イエスよ」BWV229を、各パート1人ずつみんなの前に立って演奏する「小アンサンブル練習」をやった。
 アンサンブル「練習」といっても、このダブルコーラスの8人にそれぞれ練習を付けるのではなく、ただ部分毎に通して歌わせるだけ。その後Tuttiでちょっと練習を付けてまとめ、次の部分のアンサンブル練習に入っていく。
 でも、これをやった後は確実な進歩が見られるので、団員に対しては緊張を強いるが、とても貴重な機会だ。しかし、ひとまわりするのに時間がかかるから、合宿やこうした集中練習以外には、なかなかできない。現に、わずか10分にも満たないこの曲で、午前中いっぱい使ったよ。

 コロナ禍で長らく合宿も集中練習もできなかった。さらにこの日、練習後には、(夕食にはちょっと早い時間ではあるが)17時から19時という時間帯で浜田山のVivaceというイタリアンで、Stamm Tisch(仲間内での親しい集い、ドイツ語でシュタム・ティッシュと読む)を行った。これもとっても久し振り!
 今年のゴールデン・ウィークは、特に旅行する人も多く、街も、どこに行っても人が溢れている。連休も一週間以上経った5月7日日曜日の東京都の感染者数は2345人。連休中に爆発的に増えても不思議がない状況の中で、これだけに留まっているのだから、政府からの位置付けによって「5類への移行」が行われるのも自然の成り行きではないか、と僕は思う。
「検査しないだけで、症状が出ない隠れコロナがいるかも知れない」
と言う人もいるが、だったら、それはそれで別にいいじゃん。今までだって家族に風邪やインフルエンザに罹った人がいたら、体内に菌やウィルスが入っているのは確実だが、発症しなかったら、別に問題なかったでしょう。

 Stamm Tischの中で、
「歌い始めは良かったのですが、歌っていく内に、手が震えてきて楽譜が読めなくなってきて、声もまともに出なくなってきました。めっちゃビビりました」
と、新人の方が言った。
彼女は、
「もっと確実に歌ってくださいね」
と小アンサンブル練習のすぐ後で僕に注意されたソプラノ。
他に、
「足がガクガクしました」
と言ってきた男性団員もいた。

 これから6月18日日曜日の本番に向けて、ラスト・スパートをかけていきます。小アンサンブル練習を実施したモテットは、プログラムの冒頭に演奏するけれど、その後は、僕のレクチャーによって、小ミサ曲イ長調BWV234と、それを産み出した原曲のカンタータの部分的聴き比べを行い、バッハがどのようにして、同じ音楽を使って異なる内容の楽曲を作っていたかを解き明かし、その後、各曲の全曲演奏を行います。
 「ヨハネ受難曲」や「ロ短調ミサ曲」などの大曲を演奏するのもいいけれど、それらだけが名曲ではない。規模は小さいけれど、KyrieとGloriaだけの小ミサ曲の内容だって、大曲と全く同じ驚異的レベルを誇っている。皆さん、演奏会に出掛けて、是非それを味わってください!

音楽化された説教から純粋な祈りへ
 ひとつだけ、みなさんに注意を惹き付けたいことがある。それは、ルター派カンタータは、“音楽化された説教”であるということ。カンタータに付いているそれぞれのタイトルは、その主日に取り上げる福音書や説教の「テーマ」であり、レシタティーヴォなども、それらを具体的に「言い聞かせる」目的で書かれている。
 その一方で、ミサ曲で使われている言葉は、年間を通して変わらない言葉である。しかも、それは説教ではなく、祈りの言葉である。極端に言うと、説教は現実的であり、祈りはより普遍的で霊的である。だからバッハの音楽も、同じ要素を使いながら、ミサ曲に転用された時点で、より霊的に昇華しているといえる。

さあ、それを団員達から、どのくらい醸し出せるかな?これもひとつの賭けである。

「街とその不確かな壁」を読んで
あとがきから

 この本について村上春樹氏は「あとがき」で次のように書いている。

この小説「街とその不確かな壁」の核となったのは、1980年に文芸誌「文學界」に発表した「街と、その不確かな壁」という中編小説(あるいは少し長めの短編小説)だ。
400時詰め原稿用紙にしてたぶん150枚少しくらいのものだった。
雑誌には掲載したものの、内容的にどうしても納得がいかず、書籍化はしなかった。

 その後、村上氏は、1982年に最初の本格的な長編小説「羊をめぐる冒険」を書き上げ、その勢いに乗って「街と、その不確かな壁」を大幅に書き直そうと思ったという。

しかしそのストーリーだけで長編小説に持って行くにはいささか無理があったので、もうひとつまったく色合いの違うストーリーを加えて、「二本立て」の物語にしようと思いついた。

 その、もうひとつのストーリーは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で、1985年に単独で出版したという。

僕にとって、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を書く作業はきわめてスリリングだったし、また愉しくもあった。

 僕(三澤)自身は、この「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が、村上氏の全ての作品の中で最も好きかも知れない。めちゃめちゃハジケていて、同時に深遠で静けさも同居している、“村上春樹でないと絶対に書けない作品”として、最大限の賛辞を捧げている。
 一方、彼は、ペアになるべき「街と、その不確かな壁」がずっと気になっていたようで、最初に文芸誌に発表してから40年経ち、彼自身が31歳から71歳になるにあたって、そして偶然にもコロナ禍が始まる2020年3月から3年掛けて、落ち着いた環境で、新しい長編小説の形に仕上げることができたと書いている。なんと初稿150枚に対して1200枚だという。

やっと買って夢中で読みました
 今、どの書店に行っても山積みになって売られている村上氏の新刊に、僕が興味を抱かないはずがなかった。「1Q84」も「騎士団長殺し」も、出版するとすぐに買い求め、読んだ僕だが、今回は、浜松バッハ研究会の「ロ短調ミサ曲」演奏会を控えていたので、それが終わってから、と心に決めていた。その間は、本屋さんで見かけても、なるべく見ないようにして通り過ぎていた(笑)。

 4月24日の「今日この頃」、「ロ短調ミサ曲演奏会無事終了」の記事の最後の方で、これから孫娘の杏樹の学校の学童保育のお迎えに行って、一緒に立川伊勢丹のジュンク堂に行くって書いてあっただろう。
 その日、杏樹には、モーリス・ルブランの「ルパン対ホームズ」を買い与え、同時に僕は、いよいよ念願の「街とその不確かな壁」を買った!分冊になっている「1Q84」などと違って、一冊で2700円はちょっと高い気がしたが、だからといって「買わない」という選択肢はなかった。
 杏樹が寝る前に読んであげる「ルパン対ホームズ」は、言い回しが独特で、小学校4年生になったばかりの杏樹にはなかなか難しいが、一生懸命食いついてきて、
「ルパン、凄いね!泥棒なのに尊敬しちゃう!」
と喜んでいる。

 一方、「街とその不確かな壁」は、読むのに何日もかかったが、その間、バッグに入れて持ち歩き、電車の中や、「リゴレット」の立ち稽古の間にちびちびと読んでいた。バッグの中で本が大きくてゴロゴロする。
 最後は、「リゴレット」の立ち稽古が急に休みになった5月4日木曜日の昼下がり、国立駅前のエクセルシオールの見晴らしが良い2階で、珈琲を飲み、カヌレを食べながら、集中的に読んだ。読み終わってみたら、心の拠り所がなくなって、今度はバッグがやたらと軽く感じられる。

感想
 それで、感想は?・・・というと・・・そうねえ・・・とても良かったよ。主人公の前に務めていた図書館長の子易さんの表現とか、主人公の描写とか、ある程度人生を生き抜いてきた人でなければ書けない経験の重みとかあるし、村上氏特有の「確固たるものに見える現実世界を揺るがすような」世界観は、全く健在だと思った。
 題名の「不確かな」という言葉に象徴されるような、本人が生涯に渡って描きたいと思い続けてきた「空間のゆがみ」のような表現は、その精緻な筆によってますます磨きが掛かっているし、特筆すべきは、なんといっても、それぞれの登場人物を、それぞれのあり方で包み込む「孤独感」だ。
 それは、
「そもそも人間は個別な存在なだけに、個別の孤独を背負っている」
という、ごく当たり前なことだし、“だから悲しい”とまでいう感情ではないものの、村上氏の筆によると、ひしひしと心に染み入ってくる。

 なんといっても、彼の文章は、僕が常日頃手本にし、目標にしているように、簡潔で分かりやすく、知ったかぶりの漢字なども使わないので、ページをパッと開いただけで、
「あ、読みたいな」
と思わせる。そして文体も表現も平易なのに、深い内容をさらりと書けちゃう。まさに天才的だと思う。

語るのが難しい世界観
 う~~ん・・・なんか・・・褒めているんだけど・・・歯切れ悪いよね。いやいや、それどころか、この作品こそ、村上氏の最も中心的テーマが、おちゃらけで誤魔化されないで、真摯に、直球で、ガチで表現された小説であることを僕は保証する!

 が、しかし・・・それだけに(こういうと意地悪に聞こえるかも知れないが)、「現実世界を揺るがす」ことには文句の付けようがないが、その揺らいだ先の世界観そのものが、僕にはちょっと物足りない・・・・というか、ああ、31歳からあまり進歩していないんだな、と感じてしまう。それは恐らく村上氏のせいではない。むしろその長い月日の間に、僕の世界観、宇宙観、宗教観が、かなり変化したために違いない。

 堅固で揺るぎないように見えるこの三次元の世界が、時間的に諸行無常なだけでなく、現実的にも夢のように頼りなく、何の実体も持たず、自分の想いひとつでどうとでも変わってしまう流動的なものであるという世界観は、自分の中では、もうごく当たり前の初歩的認識であり、そこにわずかな疑問を感じるどころか、僕自身は、すでに長きに渡って、その世界観を拠り所にした人生を、一歩一歩確実に歩んでいて、様々な実感を得ている。
「この現実世界こそ、まさに夢であり嘘なのだから、こんなものに惑わされることなく、本当の価値観に基づいた生き方を続けていこう」
と思っている。

 その観点から見ると、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような“遊び”がない分、この作品は「ぬるい」。

あっ、言っちゃった!

 40年前の120枚の「街と、その不確かな壁」は読んでないけれど、恐らくそれを読んでも、この1200枚のものを読んでも、きっとその感想は、今の僕にはほとんど変わらないのではないかな。
 村上氏の持っているテーマは、飾っても飾らなくても、おちゃらけてもおちゃらけなくても、全ての作品に常に通奏低音のように流れている。村上氏が40年後にあたらめてこの作品を取り上げて引き延ばしたことを、無駄とか無意味だとは決して思わない。先ほども書いたけれど、子易さんの描写や、主人公の図書館長としての生活や、不思議な少年の描写は、今の村上氏でないと決して書けないだろうなと思うからね。

 それにこれは宗教書ではないので、村上氏の小説に“宇宙観を問う”のは、僕の方が間違っているのだと思う。

 まあ、とにかく、そんな理屈は抜きにして、読んでいる瞬間がすべてエキサイティングで楽しかったのは事実だ。そして、また村上氏が新刊を出すと聞いたら、きっと僕は同じように待ち遠しく思い、出たらすぐに買って読むに違いない。
僕が彼の大ファンであることは、今後も間違いなく続いていくだろうから。



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