大興奮の「リゴレット」

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

マエストロ・ベニーニ氏との飲み会
 5月25日木曜日。新国立劇場「リゴレット」第3回目の公演が17時前に終わるので、その後、マエストロのマウリツィオ・ベニーニ氏と音楽スタッフ達の飲み会が計画されていた。
 その日、公演前にマエストロ会うと、
「飲み会すっごく楽しみ!もうカーテンコールなんかやめて、終わったらすぐ行こっ!」
などと言っていたが、実は公演が始まってみたらちょっとしたアクシデントが起きてしまった。

 ジルダ役のハスミック・トロシャンは、声もしなやかで美しく、素晴らしいソプラノなのだが、プリマドンナにありがちな自己チューで気分屋の傾向がある。つまり、その時々の気分によって、テンポやフレーズの入りを勝手に歌ってしまう。
 きっとマエストロも、これまで我慢して合わせてやっていたのだろう。だがその日は、有名なアリアの「慕わしい名前よCaro nome」が終わった直後、公爵の家臣達がジルダを誘拐しにやって来る場面で、マエストロとテンポが合わず、ジルダ及び合唱団と、オーケストラのタイミングがバラバラになってしまった。
 一瞬だったので、どれくらいの聴衆がそれに気付いたのだろうというレベルなのだが、客席後方の監督室から合唱団のために赤いペンライトで振っている僕の印象では、むしろマエストロが、突然ジルダの歌とは別の、あらぬ動きを始めてしまった感じだった。

 カーテンコールが終わって楽屋エリアに帰ってきてみたら、マエストロが怒っていて、ジルダの楽屋に入って行ったきりしばらく出てこなかった。飲み会を楽しみにしている僕たちは、トロシャンの楽屋前で待ちぼうけ。飲み会の予約を17時に入れていたが、結局始まったのは5時を20分くらい過ぎていた。

 会場は隣のオペラシティ53階の居酒屋「北の味紀行と地酒-北海道」。メンバーは副指揮者の飯坂純さん、濱本広洋さん、プロンプターも兼ねている松村優吾さん、ピアニストの越前皓也さん、練習ではずっとピアノを弾いていたが公演に直接関わっていないのでちょっと遅れて参加した小埜寺美樹ちゃん、そして僕の6人と、マエストロを加えて合計7人。
 静かでゆったりした掘り炬燵(ごたつ)付きの個室で、マエストロには、53階からの新宿の街のパノラマが味わえる窓際に座ってもらった。夕闇が迫ってくるにつれて、街の灯りがきらめき始め絶景となった。マエストロは大喜び。
 マエストロの隣にはイタリア語の堪能な美樹ちゃんをはべらせ、その横に音楽ヘッド・コーチの飯坂純さんが座った。僕はマエストロの真向かいに陣取り、その周りを若手のみんなが囲んだ。若手の松村さんはミラノに数年いたのでイタリア語はペラペラ。飯坂さんは、パリに留学したのでフランス語の方が得意だがイタリア語もしゃべる。僕も勿論イタリア語だが、後のメンバーは英語の方が得意なので、いろいろ気も遣ってイタリア語と英語がチャンポンで交錯する不思議な会であった。

 まずはビールで乾杯!ところが、最初からジルダの話になって、いきなりこっちにとばっちりが来た。
「あのさあ、ハスミックがいつも勝手に歌うので、今日こそは僕のテンポで歌えっ!と思って彼女に逆らってテンポを出したら、合唱団がハスミックに付いて行っちゃったじゃないか。オケは僕についてきたのにさ」
などと言ってる。僕はちょっとムッとなって食らいついた。
「言っとくけど、合唱団はジルダのそばにピッタリ付いて、ジルダを舐めるように見ながら『おお、なんていい女なんだ!』と歌っているんだよ。仕方ないじゃないか。それとも何かい?君は、男達がジルダそっちのけで全員ピットの君の方を向いて、君に向かって『なんていい女だ!』と言うのが良いわけ?」
「分かった、分かった。まあ、それもそうだな。みんなジルダのそばにいるんだもんな」
と、あっさり訂正した。こういう時のマエストロって案外素直。要するに、ジルダとマエストロの間さえ隙間がなければ、全て丸く収まるのだ。
 かえって、その会話のお陰で、マエストロとのわだかまりは一瞬で解消し、その後は、実に和やかな雰囲気の中で飲み会が進んでいった。

 僕は単刀直入に訊いた。
「マエストロ。君は一体何処で生まれて、何処で育ったの?で、今、何処に住んでるの?」
すると彼は嬉しそうに答えた。
「生まれたのはFaenzaファエンツァという陶器で有名な街。それから近くのボローニャで勉強した。家はねえ、ボローニャとモナコのモンテ・カルロにある」
「モンテ・カルロだって!」
僕は聞き直す。
「一度行ったことあるけど、めちゃめちゃ物価が高い所だよ。高級リゾート地」
「そんなに高くはないよ」
すると飯坂さんが、
「僕も行った。高かったよ!」
と言ってから、
「F1(エフワン)で有名だよね」
と言うと彼は乗ってきて、
「実は僕の家はねえ、Formula one(西洋人はみんなエフワンと訳さないで英語できちんと言う)の出発点のすぐ近くなんだ。ベランダからレースが観れるよ」
「な、何それ・・・羨ましい!」
僕は言う。
「オペラ劇場と同じ建物内にカジノがあるんだよね」
「おお、よく知ってるね!」
 僕は以前、六本木男声合唱団を連れてモンテカルロ・フィルハーモニーで三枝成彰氏のレクィエムなどをオペラ劇場で指揮したことがあるのだ。そこのオペラ劇場は、パリのオペラ座と同じガルニエの設計によるもので、同じ感じの豪華な建物だが、かなり小ぶりである。
 
 それにしても、いいなあ。二つも家を持っていて、そのひとつがモンテカルロの街の中心地だなんて・・・。いったいどうやったら、そんな優雅な暮らしができるんだろう。まあ、羨ましいかと言ったら、別に・・・・あ、負け惜しみ言っちゃって!

 僕たちは、外国人と食事する時に、絶対にハズレないメニューを頼んだ。すなわち“焼き鳥”、それから勿論“刺身”。マエストロは、だし巻き卵や枝豆なんかも珍しがって食べていた。でも彼は、どうも醤油を受け付けないらしくて、刺身をそのままで「おいしいおいしい」と言いながら食べている。
「せめて塩だけでも・・・」
と言っても、
「いや、これで充分おいしい!」
と譲らない。

 僕とベニーニ氏とは、tuで呼び合っている仲ではあるが、こちらは指揮者なのでマエストロと呼んでいるし、向こうも合唱指揮者だからマエストロと呼ぶ。なんか、学校の先生同士が「・・・先生!」と呼び合うようでおかしいね。

 もともと17時からの予約だったので、20時くらいには終わるのではないか、と思っていたが、気が付いてみたらもう21時を随分過ぎている。いろんなことを話してめちゃめちゃ盛り上がって、マエストロともみんな仲良くなった。
「次に僕が来るのは『トスカ』だ。その次は『・・・・』(劇場からの正式発表がないので、演目は言えません)だよ。みんな、このメンバーでやるのだ。ひとりでも抜けたら承知しないぞ。いいか?」
「OK!」
まあ、劇場側の都合もあるだろうから、必ずしもその通りにはいかないかも知れないけれど、マエストロからのリクエストはとても嬉しい。

 割り勘の準備をしていたら、マエストロが強引に、
「うるさい!僕が払うのだ!」
と言って強引に払ってくれた。
 勘定書きを横目で見た。居酒屋だから、そんなにべらぼうに高くはなかったけれど、若者が多かったから、そろそろデザートからと思っていた頃に肉皿がドーンと来たり、目の前のワインのボトルがどんどん空になったりで、まあ、それなりの値段になっていました。
 本当は、集合写真があればいいのだが、みんな酔っ払ってしまい、そんなこと頭から吹っ飛んでしまったので、残念ながら写真はありません!

 この原稿を書いている前の日の5月28日日曜日には、「リゴレット」第4回目の公演があったが、昨日のマエストロは、ハスミック・トロシャンにもやさしく寄り添ってあげて、公演の仕上がりはいつにも増して素晴らしかった。オーケストラも良く鳴っている。飲み会が効いているのかも知れない。
 カーテンコールで僕をソリストの列の中に呼んでくれた時、早口でこっそりと、
「今日はうまくいったね。ね、君もそう思う?」
と言ったので、
「思うよ。今まででベストかも知れない」
と答えた。
 これまで来た沢山の指揮者の中でも飛び抜けて有能なマエストロである。「リゴレット」のようなヴェルディ前期の作品を指揮する彼は、若々しいバイタリティに満ち充ちていて、とても1952年生まれとは思えない。聴衆も良く分かっていて、マエストロに対してのブラボーの声援が凄い。

 公演は、あと5月31日水曜日と6月3日土曜日の2回を残すのみ。とってもレベルの高いプロダクション!

また、来年の「トスカ」も楽しみだ!

宮崎とインプラントと焼酎
 今日5月29日月曜日は、午後から歯医者に行く。実はインプラントの手術をするため。
 
 思い起こせば、昨年5月10日から15日までの5日間、大野和士氏が指揮する宮崎音楽祭でのヴェルディ作曲「レクィエム」のため、宮崎に滞在中、居酒屋で食べた地鶏炭火焼きがとっても硬かったのに原因がある。

写真 問題の炭焼き地鶏料理
問題の炭焼き地鶏

 その鶏肉ね、量も多くて、力を入れてガリガリ一生懸命噛んでいたら、どうもその間に、メインで使っていた上の歯の根元にヒビが入ったかなんかで、その時は気が付かなかったのだけれど、東京に戻ってきてからしばらくたって、その歯の詰め物がグラグラし始めたのだ。かかりつけの歯医者にいって見てもらったら、
「詰め物が取れただけではありません。根っこが割れています。これは、もう抜くしか方法がありませんなあ」
と言われた。
「で、抜いた後ですが、とりあえず入れ歯を作りましょう。ずっと入れ歯のままでもいいですが、面倒くさいですよ。両側の歯から囲んで3本でブリッジをすることも出来ますが、長期的なことを考えたらあまりお奨めしません。
ベストはインプラントです。ただお聞きの通り料金がかかります。それと、抜歯した後、肉が落ち着いて来て骨が再生されるまで時間が掛かるので、すぐには始められないし、最終工程まで約1年かかります」
それで、先生からも詳しい説明を受けたし、自分でもいろいろ調べてみて、インプラントにすることを決断した。

 知り合いに言うと、みんな言う。
「インプラントの最初の芯を埋め込む手術ね、痛いんだよ!」
おいおい、脅かすなよ。

 そんな風に、全ての元凶は宮崎の地鶏にあるのだが、その反対に、宮崎から帰ってきてから、宮崎の焼酎が気に入って、年間を通してほぼ切らしたことがない。定番の黒霧島は勿論のこと、赤霧島、茜霧島と試して、結局、爽やかだけれどきちんと香り濃厚な白霧島が大好きで、好んで飲んでいる。
 それにプラスして、最近ネットで発見したのは、東京では決して買えない「現地限定」の焼酎。それで早速取り寄せてみた。その名もズバリ「霧島」の濃厚な芋の香りにシビれている。
 ただ霧島は、香りを引き出すためには、お湯割りが適しているため、僕の好きなソーダ割りで飲む時は、一緒に購入したSUZUというのが、スッキリとしておいしい。

写真 霧島兄弟のボトル3本
霧島兄弟

 ということで、歯にとっては、少なからぬ出費をもたらした、
「にっくき宮崎め」
であるが、毎日宮崎から恩恵を受けている身としては、宮崎は大好き。またいつか行きたい。

2023.5.29



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