アッシジ祝祭合唱団いよいよ申し込み開始!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

アッシジ祝祭合唱団いよいよ申し込み開始!
 2024年7月20日土曜日の晩。アッシジの聖フランシスコ聖堂で、アッシジ祝祭合唱団が演奏会を行うことが決まった!本日、このホームページの更新と共に、その合唱団の申し込みを開始する

 イタリア、ウンブリア州の平原を見下ろす小高い丘にアッシジの街が広がる。

写真 高台から眺めたアッシジの夜明けの教会
明け方の街

中世から時が止まっているように感じられるこの街では、狭く坂の多い道が縦横に伸び、石造りの家々が並ぶ。一度でも訪れたことのある人は、この街のことを一生忘れることはないだろう。
 僕自身は、この街を2度訪れている。1度目は、ベルリン芸術大学指揮科に留学していた時の1982年の春休みに、妻と2人で。2度目は、2人の娘がパリに留学していた2006年の4月に。

写真 アッシジの街角
アッシジの街角


 何回かの関係者の会合を重ねた末、いよいよ本日から、9月2日土曜日の「アッシジ祝祭合唱団」発声式に向かって、正式にネット上での申し込み開始を行うことができて、とても嬉しい。
 世の中に、合唱団を集めて海外に行って演奏してくるツアーは少なくないが、僕が、自分の洗礼名でもある聖フランシスコへの想いを込めた曲を作って、それを演奏する合唱団をあらためて結成し、聖フランシスコの故郷であるアッシジに演奏しに行くツアーなんて、とても珍しいのではないかな。

 それだけにリスクも伴っていることは百も承知だ。たとえば、「モーツァルトのレクィエムを歌いに行きます」といえば、曲は誰でも知っているし、何度も歌ったことのある人もいるだろう。それで海外ツアーに行くといえば、旅行会社も楽だろう。練習回数だってそんなに要らないし、人も簡単に集まるだろう。
でも、
「Cantico delle Creatureをアッシジで歌ってきます」
といったら、みんな、
「ハアッ?何それ?」
って感じだよね。行く先だって、ウィーンやミラノやローマだったらまだしも、アッシジという街の名前も知らない人もいるだろう。

写真 アッシジの修道士たち
修道士達


 Cantico delle Creatureは聖フランシスコ自身が作った詩だ。一般に「太陽の賛歌」と言われていて、昔流行したフランコ・ゼッフィレリ監督の「ブラザー・サン=シスター・ムーンBrother Sun, Sister Moon」(聖フランシスコの伝記を元にした映画)というタイトルの元となった祈りだ。
 しかし、Cantico delle creatureは、日本語のタイトルすら定着していない。「兄弟なる太陽よ、姉妹なる月よ」で始まり、風や空気や水や火など、神が創造された全ての森羅万象を挙げて神の偉大さを讃える内容だが、賛美の対象は創造主だから「創造主への賛歌」と言われていることが多い。
 でもcreatureは「被造物」という意味だから、タイトルを直訳すると、むしろ「被造物の賛歌」だ。つまり、人間の我々が被造物を代表して他の被造物を讃え、そのことで結果的に創造主を讃えるという意味だ。だから「被造物による創造主への賛歌」とすると誤解がなくていいのかも知れないが・・・長いよね。僕はとりあえず「創造主への賛歌」としておく。
 ま、とにかく、これは聖フランシスコの気持ちが素直に表れている素晴らしい詩だ。You Tubeなんかを見てみると、単純なメロディーの曲が創られていて、みんな気楽に歌ったりしているけれど、芸術的なものはほとんどない。

 なので、僕は、今回の機会のために心を込めて作りました。できたてホヤホヤなので、是非熱いうちにお召し上がり下さい。まだ誰も知っているわけないですが、良い曲です。自分で言ってるんだから間違いありません!
 作曲者が自ら、聖フランシスコへの熱い想い、また神様への真摯な想いを込めて、みなさんの前に立って指揮をして、みなさんが歌う。モーツァルトのレクィエムは大傑作なのは間違いないけれど、モーツァルト自身は、今やみんなの前に立って練習したり指揮してはくれませんよね。かつては、みんなそうだったんです。バッハもモーツァルトも、作曲家が生きていたから、本人からその意図や想いを聞きながら初演したわけです。是非それを今日(こんにち)味わって下さい。

写真 サン・ダミアーノ教会の雨上がりの虹
サン・ダミアノ教会の虹


 参加申し込みの基本は、来年7月のアッシジ・ツアーに参加する方を対象にしているけれど、旅行の最終申し込み期限はまだまだ先の話だし、6月前半に壮行演奏会を開くこともあり、とりあえず、どんな感じ?ということでの参加も認めます。
 年内は1週間おきの練習で月謝わずか2500円。他に楽譜コピー代がかかるけれど安いでしょう。年明けから、様子をみながら毎週に持って行きます。僕としては、きちんと稽古をして、それをひとつの形にしたいと思っています。

では、みなさんからの申し込み、心から待ってます!

またまた忙しい週末
京都ヴェルディ協会の講演会

 6月10日土曜日午後2時。京都ヴェルディ協会の講演会が京都御所の近くの旭堂楽器のホールで開かれた。演題は「ベルカント・オペラとヴェルディの初期のオペラ」。ヴェルディが、イタリア・オペラの先人達、すなわちロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティなどから何を吸収し、そしてどのようにしてその中から、ヴェルディならでの独創的な作風を発展させていったのか、2時間半の講演会の中で、かなり詳しく述べたつもりだ。

 その本題に入る前に、僕は、以前、元NHKアナウンサーであった山根基世さんの主催する「声の力を学ぶ連続講演会」において、「ベルカントから始まる表現の多様性」という講演会で使用した写真や資料を使って、具体的なベルカント唱法のテクニックをかいつまんで話したら、後で、
「その話が面白かったです」
と何人もの人が言ってくれた。

 今は、講演会の資料は、そのままPowerpointのファイルで作って、それを元にして話しているので、残念ながら皆さんに細かい事を紹介することができないけれど、ベルカント・オペラの話をするための準備は、僕にとって実にエキサイティングであった。

 ロッシーニは、22歳で書いた「セヴィリアの理髪師」が大ヒットし、一躍有名になって、ウィーンにも上陸した。それを快く思わないベートーヴェンは、
「大衆は私の音楽の芸術性を理解せずに、ロッシーニの曲などに浮かれている」
と愚痴っていた、というのは有名な逸話である。
 そんなロッシーニは、確かに作曲の仕方がイージーで、以前自分が使ったメロディーをそのまま別のオペラで使うのは日常茶飯事。それどころか、例えば「セヴィリアの理髪師」の序曲を、そのまま「パウミーラのアウレアーノ」の序曲として使い回し、さらに「イングランドの女王エリザベッタ」の序曲としても使用したという無茶振り。だからベートーヴェンに悪口を言われても仕方がないのだが、僕が講演会で強調したのはこうだ。

「オペラに現代人は芸術性を求めるでしょうが、当時は、テレビもラジオもなかった時代です。ロッシーニに民衆が娯楽性を求めて何が悪いというのでしょうか?」
これには、みなさんうなづいていたし、後での打ち上げでも話題に上った。つまり、今で言えばトレンディ・ドラマの作家のようなもので、次から次へと新作の依頼が舞い込んできて、対応していたわけだ。
 でもね、そんなロッシーニは、突然37歳の時に彼の39作目の「ウィリアム・テル」を最後に、突然オペラの筆を折り、その後76歳で亡くなるまでたった1作も書かなかった。オペラの人気作曲家は、そんな感じでみんな娯楽音楽を書いていたわけで、みんな多産で、ドニゼッティに至っては生涯に70作も書いたという。

 さて、そのベルカント・オペラの影響を受けつつ、ヴェルディはどのようにして彼の独自性を発揮していったのか、という見本を探していたが、ちょうど新国立劇場で「リゴレット」を上演していて、この作品の中に見る特異性と独創性に深い感銘を受けていた僕は、「リゴレット」を取り上げるしかないだろうと思っていた。
 ヴェルディは、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からの依頼という特別な地で、どうしても成功したかったので、有名な「女心の歌」やジルダの「愛しの名」をはじめとする絶対ヒットする曲を次々と書いた。当然、その頃にヒットしていたロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティのやり方をパクらないはずはないだろう。
 しかし同時に、リゴレットの身体的及び心の歪んだ状態を描いたり、彼に降りかかってくる『呪い』など、暗く醜い題材を選んで、それをドラマチックに描くことによって、これまでのベルカント・オペラにはない表現の彫りの深さを獲得した事実を、僕は述べていった。

東京バロック・スコラーズのオケ合わせ
 翌日6月11日日曜日の朝。僕は新幹線に乗って東京方面に向かった。先週は台風で新幹線が止まったりしていたので、心配だったが、今回はきちんと定刻で動いていたのでホッとしていた。
 というのは、その日は午後から東京バロック・スコーラズのオケ練習及びオケ合わせがあるのだ。午後はソリスト達を入れてのレシタティーヴォやアリアの合わせで、夜は合唱を入れて合唱曲の合わせ。
 ソプラノの國光ともこさん、アルトの高橋ちはるさん、テノールの寺田宗永さん、バスの大森いちえいさんのみんなとは、すでにピアノでの合わせは済んでいるので、一同確実な歌唱を繰り広げてくれた。

 夜になってトランペット奏者の伊藤駿(東京都交響楽団)さんが加わった。バッハの指示によると本当はホルンということなのだけれど、音域が極端に高いことなどから、フレンチ・ホルンで演奏されることはまずない。しかし一般のオケのようにC管のトランペットだと音がツンツンして嫌なので、何度かやり取りをして、可能性はBbのトランペット、フリューゲルホルンなどいろいろあるのだが、結局Bbのコルネットを持ってきてもらった。これが素晴らしくて、伊藤さんの柔らかく暖かい音色を聴いていたら、18日の演奏会が本当に楽しみになってきた。

 群馬交響楽団のコンサートマスターでもあり、「おにころ」でもお世話になっている伊藤文乃(あやの)さんの率いる弦楽器奏者達も素晴らしい。特に、読売日本交響楽団に在籍するコントラバス奏者の髙山健児さんは、合唱団のバス団員達のタイミングを聴きながら、最も良いテンポで低音を支えてくれていて、彼が弾いていると何の心配も要らない。もちろん管楽器奏者達もオルガンの浅井美紀さんも確実で、手前味噌ばっかりだけれど、本当にオケ合わせをしていてしあわせな気持ちで溢れていた。

 どうかみなさん、演奏会にいらしてください。途中で曲の断片を演奏しながら僕がレクチャーをして、バッハという巨匠が、どのような過程を経て創作をしていったのか、という秘密に迫っていきます。
 みなさん、アッと驚くような新発見をして、その後の全曲演奏が、
「あ、なるほど、そうか!」
と目からウロコになりますよ。

2023.6.12



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