アッシジ祝祭合唱団いよいよ申し込み開始!
2024年7月20日土曜日の晩。アッシジの聖フランシスコ聖堂で、アッシジ祝祭合唱団が演奏会を行うことが決まった!本日、このホームページの更新と共に、その合唱団の申し込みを開始する。
イタリア、ウンブリア州の平原を見下ろす小高い丘にアッシジの街が広がる。
明け方の街
アッシジの街角
修道士達
サン・ダミアノ教会の虹
またまた忙しい週末
京都ヴェルディ協会の講演会
6月10日土曜日午後2時。京都ヴェルディ協会の講演会が京都御所の近くの旭堂楽器のホールで開かれた。演題は「ベルカント・オペラとヴェルディの初期のオペラ」。ヴェルディが、イタリア・オペラの先人達、すなわちロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティなどから何を吸収し、そしてどのようにしてその中から、ヴェルディならでの独創的な作風を発展させていったのか、2時間半の講演会の中で、かなり詳しく述べたつもりだ。
その本題に入る前に、僕は、以前、元NHKアナウンサーであった山根基世さんの主催する「声の力を学ぶ連続講演会」において、「ベルカントから始まる表現の多様性」という講演会で使用した写真や資料を使って、具体的なベルカント唱法のテクニックをかいつまんで話したら、後で、
「その話が面白かったです」
と何人もの人が言ってくれた。
今は、講演会の資料は、そのままPowerpointのファイルで作って、それを元にして話しているので、残念ながら皆さんに細かい事を紹介することができないけれど、ベルカント・オペラの話をするための準備は、僕にとって実にエキサイティングであった。
ロッシーニは、22歳で書いた「セヴィリアの理髪師」が大ヒットし、一躍有名になって、ウィーンにも上陸した。それを快く思わないベートーヴェンは、
「大衆は私の音楽の芸術性を理解せずに、ロッシーニの曲などに浮かれている」
と愚痴っていた、というのは有名な逸話である。
そんなロッシーニは、確かに作曲の仕方がイージーで、以前自分が使ったメロディーをそのまま別のオペラで使うのは日常茶飯事。それどころか、例えば「セヴィリアの理髪師」の序曲を、そのまま「パウミーラのアウレアーノ」の序曲として使い回し、さらに「イングランドの女王エリザベッタ」の序曲としても使用したという無茶振り。だからベートーヴェンに悪口を言われても仕方がないのだが、僕が講演会で強調したのはこうだ。
「オペラに現代人は芸術性を求めるでしょうが、当時は、テレビもラジオもなかった時代です。ロッシーニに民衆が娯楽性を求めて何が悪いというのでしょうか?」
これには、みなさんうなづいていたし、後での打ち上げでも話題に上った。つまり、今で言えばトレンディ・ドラマの作家のようなもので、次から次へと新作の依頼が舞い込んできて、対応していたわけだ。
でもね、そんなロッシーニは、突然37歳の時に彼の39作目の「ウィリアム・テル」を最後に、突然オペラの筆を折り、その後76歳で亡くなるまでたった1作も書かなかった。オペラの人気作曲家は、そんな感じでみんな娯楽音楽を書いていたわけで、みんな多産で、ドニゼッティに至っては生涯に70作も書いたという。
さて、そのベルカント・オペラの影響を受けつつ、ヴェルディはどのようにして彼の独自性を発揮していったのか、という見本を探していたが、ちょうど新国立劇場で「リゴレット」を上演していて、この作品の中に見る特異性と独創性に深い感銘を受けていた僕は、「リゴレット」を取り上げるしかないだろうと思っていた。
ヴェルディは、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からの依頼という特別な地で、どうしても成功したかったので、有名な「女心の歌」やジルダの「愛しの名」をはじめとする絶対ヒットする曲を次々と書いた。当然、その頃にヒットしていたロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティのやり方をパクらないはずはないだろう。
しかし同時に、リゴレットの身体的及び心の歪んだ状態を描いたり、彼に降りかかってくる『呪い』など、暗く醜い題材を選んで、それをドラマチックに描くことによって、これまでのベルカント・オペラにはない表現の彫りの深さを獲得した事実を、僕は述べていった。
東京バロック・スコラーズのオケ合わせ
翌日6月11日日曜日の朝。僕は新幹線に乗って東京方面に向かった。先週は台風で新幹線が止まったりしていたので、心配だったが、今回はきちんと定刻で動いていたのでホッとしていた。
というのは、その日は午後から東京バロック・スコーラズのオケ練習及びオケ合わせがあるのだ。午後はソリスト達を入れてのレシタティーヴォやアリアの合わせで、夜は合唱を入れて合唱曲の合わせ。
ソプラノの國光ともこさん、アルトの高橋ちはるさん、テノールの寺田宗永さん、バスの大森いちえいさんのみんなとは、すでにピアノでの合わせは済んでいるので、一同確実な歌唱を繰り広げてくれた。
夜になってトランペット奏者の伊藤駿(東京都交響楽団)さんが加わった。バッハの指示によると本当はホルンということなのだけれど、音域が極端に高いことなどから、フレンチ・ホルンで演奏されることはまずない。しかし一般のオケのようにC管のトランペットだと音がツンツンして嫌なので、何度かやり取りをして、可能性はBbのトランペット、フリューゲルホルンなどいろいろあるのだが、結局Bbのコルネットを持ってきてもらった。これが素晴らしくて、伊藤さんの柔らかく暖かい音色を聴いていたら、18日の演奏会が本当に楽しみになってきた。
群馬交響楽団のコンサートマスターでもあり、「おにころ」でもお世話になっている伊藤文乃(あやの)さんの率いる弦楽器奏者達も素晴らしい。特に、読売日本交響楽団に在籍するコントラバス奏者の髙山健児さんは、合唱団のバス団員達のタイミングを聴きながら、最も良いテンポで低音を支えてくれていて、彼が弾いていると何の心配も要らない。もちろん管楽器奏者達もオルガンの浅井美紀さんも確実で、手前味噌ばっかりだけれど、本当にオケ合わせをしていてしあわせな気持ちで溢れていた。
どうかみなさん、演奏会にいらしてください。途中で曲の断片を演奏しながら僕がレクチャーをして、バッハという巨匠が、どのような過程を経て創作をしていったのか、という秘密に迫っていきます。
みなさん、アッと驚くような新発見をして、その後の全曲演奏が、
「あ、なるほど、そうか!」
と目からウロコになりますよ。
2023.6.12