9月2日アッシジ祝祭合唱団発足

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

9月2日アッシジ祝祭合唱団発足
 いよいよ今週は、待ちに待ったアッシジ祝祭合唱団発足の日が来る。当初は30人集まれば最低限企画成立、という旅行社フルスコア・インターナショナルの言葉で、この企画を立ち上げたが、合唱団お世話係からのデータによれば、早くもそれはクリアしている。
 
 申し込み者の名簿を見てみると、
「練習に出席し、アッシジへのツアーにも参加を希望します」
という方がかなりの割合を占めていて、その一方で、
「練習に出席し、アッシジへの参加を検討します」
という方も、それなりにいる。
 これは仕方ないでしょう。アッシジに行くのは来年の7月だから、今の時点で100パーセントYesと言える人は本当は誰もいないでしょう。急な出張になるかも知れないし、身内に何か起こるかも知れない。自分の健康状態だってどうなるか分からない。将来のことは誰も分からない。

 それでも僕は言います。アッシジに行くか行かないかの決定は置いといて、今、この「今日この頃」を読みながら、
「どうしようかな?」
と迷っている方がいらっしゃったら、瞞されたと思って、とりあえず申し込んでみてください。僕の曲を練習してみて、面白いと思ったらツアー参加を決めるというのもアリです。 また、9月2日10時からの練習に、突然、
「来ちゃった!」
というのもアリです。見学もOK。むしろ大歓迎。その場で合唱団の練習に参加して、それから決めてもOK。

 その反面、僕には自信があるのです。後で書いているけれど、たとえば今、新町歌劇団で「ナディーヌ」というミュージカルの練習をしている。そのために、2016年に山手線駒込を最寄り駅とする聖学院講堂で行われた公演のDVDを観ながら、次の演出のコンセプトを練っている最中だ。
 観ていると、みんなとっても楽しそうに演じ歌っている。さらに、その人たちの何人かが、この企画にも申し込んでくれている。彼らは、他にも、東京バロック・スコラーズとか、志木第九の会とか、アカデミカ・コールあるいは僕の「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプにも参加している。
 このツアー企画の参加者ではないけれど、「ナディーヌ」DVDには、愛知祝祭管弦楽団にコントラバス奏者として参加している方が写っていて、モンマルトルの丘で似顔絵を描いている画家を演じている。このように、僕のやる事に参加してくれる方は、ボーダーレスなのである。アッシジ祝祭合唱団の名簿の中には、東京バロック・スコラーズ及び志木第九の会の2人の伴奏ピアニストも参加している。

 つまり、僕と一緒に何かやると、良く分からないけれど、なんだかいつも楽しい思いができる、と思っている人が少なくないということだ。僕が何かをワクワクしながらやり始めると、決まって寄ってきて一緒にワクワクを共有し、
「ああ楽しかった!」
と言える人が少なくないのである。

 ちょっと話題がそれるけど、これから大切な事を言います。僕は今、「ナディーヌ」に関わりながら、今までにないことを感じている。それは、
「ああ、僕のこうした恋愛もののミュージカル創作の風はもう過ぎ去ったんだ」
ということだ。
 恐らく、僕の年齢がそうさせているのだと思う。もう僕は、自分の実生活において、ピエールのようにナディーヌの魅力に我を忘れてのめり込むようなことはないだろう。だからといって、「ナディーヌ」を演奏出来ないわけではないし、感動的な公演に持って行く力を失ったわけではない。僕は以前にも増してバイタリティに満ちている。
 でも、今の僕は、あるいはこれからの僕は、「ナディーヌ」のような恋愛劇を新たに創作することに、以前のようにワクワクしなくなっているのは事実なのだ。もう恋愛をテーマにした作品を作る風は、僕には吹いてこないのだ。

 では、これからの僕は、一体何にワクワクするのか?その答えはね。このアッシジの旅行にあるのだ。

 アッシジの企画は、そもそも旅行会社フルスコア・インターナショナルとの話し合いの中から自然に浮かび上がって来たものだ。2020年及び2021年のシュテファン寺院でのモーツァルト・レクィエムの企画が、コロナ禍によって中止された時点で、僕はもうこの会社と関わることはないだろうと思っていた。
 しかしながら、それ以前に僕が何気なく言っていた、
「次は、できたらアッシジに行きたい」
という言葉を旅行社の人が覚えていて、昨年の夏前、やけに熱心に薦めて来て、
「急いで準備して来年(つまり今年の)7月に行きましょう!」
なんて言っていたのを、むしろ僕が止めたんだよ。
 何故止めたかというと、その時思ったんだ。
「アッシジに本当に行くならば、周到に準備して、時間を掛けてきちんとしたものを作って行きたい」
と。
 さらに、今年になって、
「僕がアッシジに本当に行くべきなのか、それが本物なのかどうか、確かめてみよう」
と、試しに1曲作ってみるかと思って、五線紙に向かい合ったら、あっという間にIl cantico delle creatureが出来てしまった。そして、その作曲の過程で、僕の心はとってもワクワクしたんだ。
 つまり・・・つまり、これからの僕の使命は、宗教的な事に自分を没入させることにあるようだし、そこに“風が吹く”運命にあるようなのだ。
 もっと大それたことを言えば、こんな軽くて、テキトーな人間に見えながら、僕は、これからの残りの人生を“宗教的覚醒”を目指すことに賭けたいと思っている。

あ、言っちゃった!
でも、本気です。

 なので、そんな志を持つ僕にとって、こうして自分の曲を携えてアッシジへの旅を行うことは、本当に重要なる第一歩なのです。

 と、ちょっと硬い言い方をしたけれど、僕が宗教的と言う場合、決して堅苦しいものでもなければ、皆さんを反省や懺悔や厳しい修練に導くものでは絶対にありません。むしろ僕が自分の洗礼名にもしているアッシジの聖フランシスコは、魂が自由で解き放たれていて、鳥と語り合い、魚に説教をし、神が創り給うた大地や太陽や月や星などを心から賛美する、素晴らしい人間です。強調するけど、聖人というより、真の人間です!

 ということで、僕は今、アッシジに運んでくれる風に乗っているのです。だから、そんな僕と一緒に事を行うと、絶対に楽しい思いをします。極端に言えば、キリスト教に全く興味ない人でも、いっこうに構いませんからね。

さあ、みんな!9月2日土曜日。東西線東大前駅降りてすぐのYMCAでお会いしましょうね。待ってます!

久し振りに我が家で三澤賞
 コロナ禍で人を自宅に呼ぶことなどしばらく叶わなかったが、ようやく三澤賞を自宅で行うことができるようになった。三澤賞とは、僕が自分のバッハを演奏するために、僕の合唱団として作った東京バロック・スコラーズの演奏会で、一番チケットを多く売った団員4人を自宅に招待して、我が家自家製の料理を振る舞う食事会である。

 日程を決めるのに、なかなかスケジュールが合わなくてグズグズしていた。愛知祝祭管弦楽団の「ローエングリン」が終わらない内は、とても精神的余裕がなかったし、とはいえ、孫娘の杏樹の夏休みが終わってしまうと、「毎晩8時には寝かせてください」というシュタイナー学校の方針に添えないので、その狭間の日で参加者の都合を聞きながら、結局8月24日木曜日に決まった。

 メニューはドイツ料理。買い物から始まって、料理の準備をするのは楽しい。前の日に妻の車で西府駅前のOKに行って、瓶詰めのザウワー・クラウト2個をはじめとしていくつかの食材を仕入れ、妻はまた別の店でいろいろ用意した。さらに僕は、当日の朝、国分寺駅のヴィ・ド・フランス(VIE DE FRANCE Rêve de Paris)に行って、ドイツの伝統的な“め”の字のパンであるプレッツェルを購入した。

 ザウワー・クラウトは前の晩から作り始めた。僕がいつも日本のドイツ料理屋に行ってとっても不満に思う事に、ザウワー・クラウトの扱い方がある。どこのレストランでもザウワー・クラウトは出すには出す。ところが、ドイツのレストランで出すような煮込んだ料理として出してくれる店は、僕が知っている限り一軒もないのだ。みんな、ほとんど瓶や缶からだしたままだ。ドイツでは、必ずベーコンなどと一緒に、その店ならではの味付けをして長い間煮込んだものを振る舞うのである。それを僕は再現してみた。

 一方、我が家には次女の杏奈が助っ人に来てくれて、孫の杏樹と一緒に自家製ソーセージを作ってくれた。挽肉と腸を別々に買って、ちょっとした器械を使って挽肉を腸にねじ込み、ボイルしておき、最終的には炒めて出す。

 ビールとソフトドリンクはこちらで用意するが、参加者には飲み物1本ずつ(高価なもの厳禁!たいていワイン)持ってきてもらって、パーティーは始まった。今回は、いつも桁違いに沢山チケットを売ってくれる女性団員の常連さん2人と、初参加の男性2人という組み合わせで、話題があちこち飛んだが、実にエキサイティングで楽しい会であった。 デザートでは、Wさんが持ってきてくれたトカイ・ワイン(ハンガリーの貴腐ワイン)がおいしくて、会話がさらに盛り上がったけれど、孫娘の寝る時間があるので、名残惜しくもお開きとなった。

 また我が家でやります。次は「マタイ受難曲」だけど、東京バロック・スコラーズのみなさん、三澤賞は本当に楽しいので、是非チケットを一杯売って、我が家に来てください。常連のおふたりは、いつも、
「あたしたちばかり楽しんで、申し訳ないので、辞退します」
と言ってくれるのだけれど、駄目です!選別は、あくまで売ったチケットの枚数でフェアーに行います。ここは崩せないので、是非、他の団員達、頑張ってね!

「ダブルビル」の練習
 先週の「今日この頃」で書いた通り、8月21日月曜日、午前中に名古屋から帰ってきて、午後、久しぶりに新国立劇場に出勤。新国立劇場合唱団を相手に、まず「子供と魔法」の譜読みをする。
 ラヴェルなので無調ということはないが、勿論、常識的な機能和声からは大分ハズれていて、イレギュラーな和声で鳥の声なんか歌わせられて、合唱団のメンバーは結構面食らっている。
 フランス語の発音は、とりあえず僕が指導。基本的な事に関しては僕でも間に合うが、後でフランス語の言語指導者のパスカルさんに、リエゾンの有無など、細かいところは決めてもらおうと思っている。

 一方、「修道女アンジェリカ」の男声は、最後の裏コーラスだけなので、男声を早々と帰して、女声だけの練習に入った。これが実はかなりややこしい。このオペラの前半は、女子修道院の中で大勢のシスター達が、様々なやりとりをする。
 礼拝に遅刻して修道女長に怒られるシスターがいるかと思えば、「望み」desiderioを持ってはいけないとされる修道生活のなかで、こっそりみんなで「望み」の話をし、しまいには「食欲は重い罪!」と叫んだりしながらも、美味しいご馳走の話題に花が咲く。
 こんな風に、「秘密めいた修道院の中って、実はこんなかな?」という楽しい内情暴露の場面が続くが、合唱の中から、折あるごとに特定のシスターがそこだけソリストっぽく歌う箇所が少なくない。
 すでに合唱団員からは、Le due converse(二人の助修道女達)や、La suora infermiera看護係修道女、またLa novizia修練女などのソリストが人選済みで、事務局的には、コーラスからのソリストには特別手当が出ることになっている。
 その人たちはいいのだけれど、実は、譜面上にはその他至る所にsei suore(6人の修道女)やtre sole(3人だけ)とか、alcune(何人か)とか、una sola(一人)とかun'altra(別の一人)とかの指示が細かく書いてある。でも、ぶっちゃけた話、みんなで歌っても一向に構わない歌詞だし、一人で歌おうがみんなで歌おうが、気が付く聴衆もいないだろうし、咎める人もいないだろう。ただ特別手当を出すか出さないかで、事務所的には微妙なところなんだよ。
 そこで演出家の粟国淳さんと相談して、みんなで練習していて、立ち稽古の中でシーンを作っている時にひとりで演技するとかの必然性が生まれたら、その時に決めましょうということになっている。そうなったら、他のメンバーは、そこを突然歌わなくなるわけで、それはそれでなんだかややこしい。そうでなくても、この曲はいろいろ入り組んでいて、覚えにくいったらありゃしない。

 こんな合唱稽古が、8月21日月曜日、22日火曜日、23日水曜日と3日間続いた。あと来週の8月31日木曜日、9月1日金曜日の2日間で暗譜させて、次の週からもう立ち稽古開始だ。女性達の目は血走っているが、男性達は呑気に構えている。その対比が可笑しい。
 でも、そんな呑気なことも言ってられない。僕もあと2回の練習で、彼女たちがきちんと暗譜して立ち稽古初日を迎えることができるよう、最善の力を尽くしてあげたい。

はまゆう山荘で「ナディーヌ」合宿
 “はまゆう山荘”は、住所は高崎市倉渕町川浦と、いちおう高崎市に属しているが、鉄道は通っていないし、榛名山の裏側といっても差し支えない山間部にある保養地である。
ここでの新町歌劇団「ナディーヌ」強化合宿は、1日目は、8月26日土曜日15時から18時まで練習が行われ、その後夕食というスケジュールが組まれていた。新町歌劇団の団員のために、“はまゆう山荘”は、わざわざ新町まで送迎バスを出してくれて、メンバーはそれに乗って直通で行けるという優遇。勿論、車で個人的に直接向かったメンバーもいた。
 それで、僕に関しては、アシスタントの初谷敬史(はつがい たかし)君が高崎で僕を拾って車で連れて行ってくれることになっていたらしいが、15時からの練習をするとなったら、僕はどんなに遅くとも、14時には高崎駅に着いていなくてはならない。

 ところがその日は、午前10時から12時45分まで、東京バロック・スコラーズの練習及び、その後の入団希望者オーディションがあった。しかも、練習が井の頭線浜田山で行われたので、その後、新宿に出るのにもそれなりにかかる。
 いろいろ駅スパートなどで検索したが、どうあがいても“はまゆう山荘”はおろか、高崎駅に着くだけで15時近くになってしまう。なので、僕が練習を始めるのはあきらめて、むしろ初谷君に午後の練習を始めていてもらって、僕は公共機関を使って現地に後から飛び込むということにした。

 ところが、その“飛び込み”のアイデアも甘かった。そちら方面に行くならば、高崎発“権田車庫”行きのバスに乗らないといけない。でも、バスの時刻表を見てみたら、14時15分発の次は、なんと16時30分発だという。まあ、どこでも、山間地域に行くバスってこんなものだよね。つまり1日目の練習はあきらめるしかなかった。完全に初谷君に任せて、僕は夕飯時に飛び込むだけにした。

 その晩は、山間部ではとても天候が不安定で、権田車庫から団員の車で送ってもらう時も、途中前が見えなくなるほどの土砂降りだったし、夕食後のビールなどを飲みながらの懇親会の間も、稲妻と雷鳴とがほとんど同時の直近の雷であった。

写真 はまゆう山荘散歩-1
はまゆう山荘散歩-1

 しかし、次の朝になると、一転して、実に涼しく爽やかな朝であった。僕は6時に起きて散歩に出たが、ところどころ朝もやが残っていて、木々の間に差し込む朝日が朝もやに反射し、帯状になって、とても幻想的であった。

写真 はまゆう山荘散歩-1 山道の木漏れ日
はまゆう山荘散歩-2

 さて、前の日の午後に初谷君が丁寧に練習をつけておいてくれたお陰で、2日目の練習は、かなり充実したものになりました。僕が持参したパソコンで以前の公演のビデオを団員に見せながら、動きの位置関係などを説明し、時には軽く振り付けをしながら歌わせてみた。
 また、それぞれのシーンの説明をしたり、合唱団の役割を説明すると、その後の歌に確実な変化が見られる。単なる歌が、状況を含んだ立体的なものに変わってくるのである。ナディーヌの本番は、来年6月と、まだまだ先であるが、アマチュアの場合、練習のプロセスが重要なんだ。その意味で、このタイミングでの強化合宿は大成功であった。

写真 新町歌劇団合宿参加者
新町歌劇団合宿

 帰りは、僕も送迎バスに乗せてもらった。運転手さんがとてもお喋りな人で、いろいろ話している内に、僕の同級生で国会議員の下村博文君が育った所が倉渕町(昔は倉渕村)だったことが分かった。国道を通りながら運転手さんが、
「ほら、ここが下村博文さんの育った家ですよ」
と突然言ったので、
「え?僕ねえ、彼と同級生で同じクラスでしたよ」
と僕が答え、それからめちゃめちゃ話が盛り上がった。

2023.8.28



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA