レナート・バルサドンナに会いました

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

レナート・バルサドンナに会いました
 1999年の夏。僕はバイロイト音楽祭で、名合唱指揮者ノルベルト・バラッチのアシスタントとして従事した。しかしバラッチ氏は、すでに28年務めていたバイロイト祝祭合唱団の指揮者を、その年限りで引退する決心をしていて、その後のことを見据えて、わざと沢山の合唱アシスタントを招聘していた。その中には、次の年から彼の後継者として合唱指揮を受け継ぐことになるエバハルト・フリードリヒもいた。その中で、少し遅れて参加したのが、ブリュッセルのモネ劇場合唱指揮者をしていたレナート・バルサドンナであった。

 そのレナート・バルサドンナが、今、新国立劇場に来ていて「ドン・パスクワーレ」を指揮している。僕は現在、劇場の外で二期会「タンホイザー」の合唱指揮を務めているので、「ドン・パスクワーレ」には関わっていないのだが、先日、舞台稽古の時にレナートに会いに行った。

 元々背が高いレナートは、僕が一緒に仕事していた当時はさらにとても太っていたので、まるで熊みたいな印象だったが、その後かなり痩せたみたいで、むしろ今は『背が高い人』という印象だ。
写真 レナート・バルサドンナ  とても楽屋では話しきれないので、6日火曜日の夜に一緒に食事をする約束をして帰って来た。積もる話が尽きないだろうな。楽しみ、楽しみ!

 レナートと僕が初めて逢ったときの記事が、1999年に僕が書いた「バイロイト日記」に載っていたので、そこだけ抜き出してみた。結構笑える話が書いてある。その際に、たとえばキース・ウォーナーのことをワーナーと書いていたりしたので、それも含めていくつかの用語を修正した。どうぞご覧ください!

 

没頭と瞑想
 2月1日木曜日。ガーラ湯沢。天候『雪』・・・というか、予報では雨となっており、新幹線でそれを確認した時点で、かなりモチベーションが落ちていた。ただガーラ湯沢駅に着いて、ゴンドラで上がっていく間に、雨はどんどん雪まじりとなり、上のレストハウス“チアーズ”に着いたら雪に変わっていたのでホッとした。標高差って凄いんだね。


GALAゲレンデ


 とはいえ、その雪は、かなり雨っぽかった。天気があまり芳しくないのは前の日に予想できたので、防水スプレーをしっかりウエアーに掛けておいたからよかったけれど、そうでなかったら、午前中の早い時間に、すでに中まで染みこんでビッショリになっていたに違いない。

 その日は、ガーラ湯沢だけでなく、石打丸山スキー場及び湯沢高原スキー場の三山共通リフト券を持っていたのだけれど、三山全体のゲレンデが終日靄(もや)で覆われていて、そもそも湯沢高原へのゴンドラの待ち時間がうっとうしくて、そっちには行かなかったし、山頂からの眺めが素晴らしい石打丸山には行ったが、残念ながら何も見えなかったので、三山共通のメリットはあまりなかったなあ。

 午前中に石打丸山スキー場の長いゲレンデ全体をのんびり下まで降り切って、地上からゲレンデ中腹までノンストップで行くサンライズ・エクスプレスに乗った。これは、かなり優れもので、チェア(リフト)とゴンドラキャビンが交互に来る。板を履いたままチェアに乗っても良いし、板を外してみんなでゴンドラに乗り込んでもいい。しかも新しくて綺麗。
 一緒にチェアに乗ったボードを履いた若い女の子達が、
「わあ、めっちゃいい!」
と叫んでいた。
 中腹に着くと、そこにある何軒かの“昭和なお店”のひとつに入ってカルビ丼を食べてひとやすみ。そうこうする内に、気温も下がってきて、雨混じりの雪は本格的な雪に変わり積もり始めた。
 面白いね。これだけでゲレンデの雪の状態がガラリと変わるんだからね。ツルンと滑り易かった斜面は、サラッとした新雪に覆われ、落ち着いた感じになってくるのだ。

 視界は相変わらず悪く、夕方までそれは続いたので、お昼を食べた後は、石打丸山の山頂ゲレンデを3度ほどフルスピードで急降下した後、ガーラ湯沢に戻り、午後はずっと北エリアのスーパー・スワンという非圧雪地帯のコブと格闘した。

アクティブな瞑想?
 何も考えず夢中で滑っていた。コブ斜面を滑り降りると4人乗りビクトリアに乗り、それを果てしなく繰り返す。コブ斜面は、他の人も滑っていることもあり、滑る毎にゲレンデのコンディションが変わる。
「ここでストックを突いて回転!ようしトップから溝に突入!溝の中で足を伸ばし、切り替え時は足を曲げてスピードコントロール。次はコブの腹をゆっくり削りながら行こう。次はもっとアグレッシブに!」
 などと限りなくアクティブに滑っているはずなのに、不思議だ!僕の内面は、まるで瞑想している時と全く同じ状態。静寂が支配しているのだ。さらにリフトに乗っている時は、まさに瞑想そのもの。結跏趺坐をしたいところなんだけど、そうもいかないし、すぐ上に着いてしまうんだけどね・・・。
 雪が降りしきる中、視界が閉ざされている状態も、自分の周りに孤独なバリアができて、瞑想に入るのを助けているようだ。日常生活の全ての煩わしさから心が完全に解き放たれ、一心不乱に何かに没頭する時、人はこんな精神状態になるものなんだね。

一点となる自己
 瞑想に入ると、自分の心から、欲や心配など余計な要素がどんどん削ぎ落とされてきて、“今自分がここにいる”という存在だけがクローズアップされてくる。自分の“我”そのものの認識もどんどん小さくなってきて、最後にひとつの点となる。
 その点は、“永遠”とつながっている。“わたし”という点は、自分がこの人生に於いて物心ついた最初の瞬間よりずっと前から存在し、この人生が終わってもなお、永遠に続いていくものだ、ということを理屈ではなく“体験”する。

 いや、もっとダイレクトで、言葉ではうまく言えないが、“わたし”は、時空を超えた存在として大宇宙にあり、その大宇宙全体は、たったひとつのエネルギーで満ち充ちている。それを人は“神”ととりあえず呼んでいるが、神と呼んだ途端に、それが“わたし”から離れてしまうので、本当は呼んではいけない。何故なら、“わたし”もそのエネルギーのひとしずくだからだ。

 う~ん・・・どう言っても、やっぱり言葉にした瞬間に全然違うものになってしまう!僕が無心で滑っている時に感じることはね、ただ、
「無限の中に自分は“ある”」
という感覚かなあ・・・・。それとも、
「自分は無限である」
という感覚かなあ・・・・。あるいは、
「自分は愛されている」
という感覚かなあ・・・・イエスは言ったよね。
「神は愛である」
と。これは比喩ではなくて、神と呼ばれるものは大宇宙にみなぎる愛のエネルギーそのものということなのだ。

 何を言っても、何を書いても、言いたいことと離れてしまう。でも、間違いなく言えることは、僕はそれを瞑想している時や、このようにスキーに独りで没頭している時に、身をもって“体験”しているということ。だから、僕にとって、こうした“独りスキー”の時間を持てることが、本当にスキー・シーズンが始まったということなのだ。

 全長2.5kmの下山コース・ファルコンを、ノンストップで滑り降りるのも、また別の瞑想。午後に2回滑り降りた。雪がボコボコなので、フル・カーヴィングを使ってキレッキレのロングターンというわけにはいかない。むしろ両板を合わせて外向傾のショートターンとミドルターンを混ぜながら滑り降りる。「混ぜながら」と書いているが、頭で考えてはいない。体が雪に対して自然に反応するに任せる。頭はからっぽ。でも僕の意識は観ている。今起こっていることを全て・・・。

 2度目にファルコンを降りた時が今日のフィニッシュ。スキーセンター“カワバンガ”の入り口にあるブラシで板から雪を落として、中に入ると、ジワーッと喜びが溢れてきた。今日も無事終わりました。板よ、有り難う!ストックよ、有り難う!ヘルメットよ、ゴーグルよ、グローブよ、ブーツよ!みんなみんな僕を助けてくれて有り難う!

 さて、今週は8日木曜日には“かぐらスキー場”に行ってきます。またまた、孤独の中でストイックな“業”を行い、大宇宙に満ち充ちている“愛”と“永遠”に触れてきます。

僕の週末
1日3コマ

 2月3日土曜日は、1日に3コマの仕事をこなした。朝10時に南北線東大前のYMCAに行き、アッシジ祝祭合唱団を相手に13時ちょっと前まで自作のミサ曲であるMissa pro PaceのKyrieとGloriaを練習した。
それからYMCAを飛び出して、南北線と丸ノ内線を乗り継いで西新宿で下車。お昼を急いで食べて、14時から芸能花伝舎で行われる「タンホイザー」の立ち稽古に飛び込む。幸いその日は、第3幕ラストシーンだけの合唱立ち稽古で、1時間足らずで終わってソリスト達の立ち稽古になった。
 帰ろうとしたら、マネージャーからみんなに豆の入った紙コップが配られ、合唱団員のふたりに鬼のお面が配られた。そうか、今日は節分だ。みんな、お面を付けたふたりの鬼をめがけて、
「鬼は~外!福は~内!」
と叫びながら、思いっ切り豆を投げる。芸能花伝舎の体育館は、声楽家達のめちゃめちゃ響く笑いで満たされた。あはははは!楽しい!

 さて、こんなことをしてはいられない。僕はみんなより一足先に芸能花伝舎を出て、新宿駅に向かい、それから高崎線で群馬を目指した。

 19時から21時で新町歌劇団によるミュージカル「ナディーヌ」の練習。僕自身が演出していて立ち稽古を仕切っているので、座っている間もない。第1幕の段取りを付けて、21時15分新町駅発の高崎線に乗った。ふうっ!

浦和で全力疾走
 大宮を出て浦和までの間、窓から京浜東北線の線路の上を電車がこちらと並行して走っているのが見えた。自分の乗っている高崎線の電車が、それを抜かしていく。
「あれに乗らないといけないんだ」
と思いながら拳を難く握った。その電車は一度北浦和駅で停車するので、こちらが乗り遅れることはない。
 でも浦和では、一度階段を降りて反対側に行き、その電車に乗り換えないといけない。それをうっかり逃すと、一駅先の南浦和でさらに乗り換える武蔵野線22時44分の電車に間に合わない。すると、次の22時59分が「東所沢止まり」なので、23時06分まで20分以上待たないといけなくなる。

 なので、浦和駅で高崎線の扉が開くと、僕は階段を一段おきに走り降りて全力疾走。反対側の京浜東北線ホームのエスカレーターを歩いて登り切ると、さっきの電車がホームに滑り込んでくるという際どいタイミング。でも通常は決して逃さない。
 例外は一度だけ、そもそも新町駅から乗った高崎線が事故で遅延していて、その電車を逃した。すると、さっきの20分にプラスして、武蔵野線西国分寺駅から中央線国立駅までの一駅の連絡が悪く、家に帰ったのがいつもより30分以上も遅れて、ほぼ深夜という辛酸を舐めなければならなかったのだ。

 順調にいっても、家に着くのは23時30分を過ぎる。いやあ、よく働きました。帰ってからお風呂に入ったからって、体も心もまだ興奮していて、すぐ眠れるわけないじゃない!ビール缶250mlを空けて黒霧島に切り替え、チビチビ飲んでいたら1時になったので寝た。

自作を練習することの歓び
 その日練習した曲の3コマの内、2コマが自分の作曲した音楽というのは嬉しいね。他の作曲家だったら必ず、
「ここ何を考えて作曲したんだか理解できない」
という個所があるのだが、それがないので全くストレスがないし、第一スコアを勉強しなくていい。一音一音に至るまで、全て自分から絞り出された音楽で、しかも何度も何度も推敲して体に染みついているからね。ただ唯一の弱点は、人間としての作曲家に対してあまりリスペクトを持てないこと。だって、作った奴がどんな奴だか、よーく分かっているからね。

 午前中の練習では、アッシジ祝祭合唱団のメンバーが、みんなとても熱心で、かつ上手なので、毎回感心してしまう。今年に入って、いよいよ聖フランシスコ聖堂の演奏会のメインプログラムであるMissa pro Pace「平和のためのミサ曲」の音取りをアシスタントがしてくれていたので、今日はKyrieとGloria全曲を練習した。

自分はバッハにはなれない
 Cum Sancto Spiritu後半のフーガが難しいので、ここできっと引っ掛かって時間がとても掛かるだろうなと覚悟していたら、どうしてどうして、すんなり進んだので驚いた。以前、別のところで書いたので、お読みになった方もいらっしゃるかも知れないが、僕は合唱団の方達に向かってこう言った。
「このフーガは、途中までは同じだったのですが、本当は全然別の曲に仕上がるはずだったのです。たとえば芸大作曲科の学生が書くような模範的なフーガに・・・・でもね、書いている途中で、ある時突然思ったんです。『これ全然面白くねーな』と。その時、同時に思いました。『あ、自分って、バッハにはなれないんだな』と。
 どういうことかというと、たとえばヘンデルって「メサイア」の中でも、And he shall purifyというテーマを元にフーガで厳格に始めても、必ず途中でthat they may offer unto the Lordのような和声的な部分って来るじゃないですか。For unto as a child is bornの対位法的な曲でも、途中でWonderful, Counsellorのような、聴衆が感情移入しやすいキャッチーな曲を入れないでは済まないんです。
 それをお客様へのサービスと言ってしまったら軽薄のように思われるかも知れないけれど、作曲している最中の作曲家って、まず自分が第一の聴衆なんです。どんなに作曲技法として完璧なものを書いたとしても、これを一聴衆として聴いた場合、つまらなかったら仕方がないじゃないですか。
 作曲家だから、プロがシビアに見ても遜色ないものに仕上げなければならない一方で、僕は、一般の人が普通に聴いて『いいな、楽しいな』と思える曲を書かなければと感じて、後半を変えたのです。
 その点、バッハは素晴らしいのです。突出しているんです。人のこと考えないで、あくまで自分の理想を追求するんです。分からない人は別に分からなくて結構って考えているのです。でも、じゃあヘンデルはバッハより下か?と言ったら、そんなことはありません。それはタイプの違いなのです。で、自分はバッハが大好きなのだけれど、作曲する立場に立った時には、ヘンデルに近いんだなあ、と発見したわけなんです」
 
 フルトヴェングラーはこう言った。
「芸術というものは本来非大衆的なものである、しかしそれは(あえて)大衆に向かって放たれるのだ」
 この意味は深いなあ。ウケを狙うということではなく、非大衆的なものであるが、同時に専門家達の間だけで満足することなく、あえて大衆に向かって提示され、隠された真実に人々を誘ったり、何かを気付かせたりする芸術の使命をフルトヴェングラーは語っているのだろう。

「ナディーヌ」のキャスト
 新町歌劇団主催のミュージカル「ナディーヌ」は、6月22日土曜日と23日日曜日の2回公演を計画している。キャストであるが、ドクター・タンタンの初谷敬史(はつがいたかし)さん、オリーの大森いちえいさん、ニングルマーチの秋本健さんは、前回の聖学院での公演でもお馴染みであるが、主役の2人が初起用だ。
 新国立劇場の若手ソプラノ団員の込山由貴子(こみやま ゆきこ)さんがナディーヌ役。そして、相手のピエールには、国立音楽大学声楽科大学院を出たばかりの山本萌(はじめ)君をオーディションして起用した。とても美声。今、二期会「タンホイザー」で合唱団員として歌っている。
 原作では、ピエールは30代後半で、うだつの上がらないサラリーマンという設定だったけれど、今回、山本君を起用したことで、職業などは特に規定しないで、若くて初々しいカップルとして描いてみようと思っている「今日この頃」である。

2024.2.5



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