日本ワーグナー協会関西例会の準備

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

日本ワーグナー協会関西例会の準備
 今、新国立劇場ではワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」を上演中だ。3月14日木曜日に初日の幕が開き、その後2日間ずつ中日をはさんで6回目公演の千穐楽が29日。ところが、驚くことに、今年の東京・春・音楽祭2024のメインとなるオペラ演目でも「トリスタンとイゾルデ」をやるのだ。この公演日が3月27日と30日。

 ということは、最近の1週間の間に、先日3月23日土曜日と明日の26日火曜日が新国、翌日の27日水曜日は春祭、29日金曜日が新国、その翌日30日土曜日は春祭と、5回も都内で「トリスタンとイゾルデ」が上演されるのだ。
 しかも片や、大野和士指揮でヴィルヘルム・シュヴィングハマー、エギルス・シリンス、藤村美穂子などバイロイト歌手達が顔を並べ、片やマレク・ヤノフスキ指揮で、やっぱり一流の外国人歌手達が名を連ねている。この重なり方は偶然なのだろうが、両方行く聴衆はお金が大変だろうな。

 さて、それとは別に、僕個人も「トリスタンとイゾルデ」の準備に追い込まれていて、最近流行(Yoasobi)の「そう淡々と・・・だけと燦々と」という感じで、さりげなく・・・でもここ数日はかなり忙しく過ごしている。それは4月7日日曜日、西宮市民会館で行われる日本ワーグナー協会関西の第179回例会の準備なのだ。

 概要をかためて、とりあえずレジュメだけ仕上げて担当者に送ったが、あと2週間の間に、その概要に沿ってパワーポイントの編集をしつつ、具体的なスピーチの内容を詰めていって、同時に、受講者の皆さんに聴かせる音源を編集してCD-Rに焼いたりしないといけない。
 また、ライト・モチーフの説明などをする時に自分でピアノも弾くので、ボーカルスコアに付箋を貼っただけでは、あっちこっち飛んで対応できないので、その部分のみをコピーし、語る順番通りにファイルに挟み込んだりしないといけない。

 と、書くと、とっても大変で嫌々やっているように感じられるかも知れないが、元々人前で喋るのは大好きで、しかも「トリスタンとイゾルデ」に関しては、大好きな作品だから、いろいろな側面からアプローチできるし、実際のところ、実に楽しい日々を送っているので、むしろ、この準備が全部終わって講演も終わってしまったら、
「明日からどうやって生きていこうか?」
と、講演ロスの日々が来てしまうのは必至だ。

 例会は、14時から16時50分という講演としては長いコースではあるが、それでも、あまり語る内容の枠を広げすぎると収拾がつかなくなるので、今回は、台本の哲学的意味とか物語の背景などについて語ることは意図的に避け、音楽的なアプローチのみに絞った。
 特に、「トリスタンとイゾルデ」の和声の特殊性と、トリスタンの音楽の何処がどのように新しいのか?何をワーグナーは開拓したのか?という点に関しては、かなり突っ込んで語ってみるつもりだ。
 そのため、和音そのものの説明に始まり、和音連結といった専門的な話に踏み込んでいくため、お客様が付いてこれないと困るので、なるべく分かりやすく説明しようと頭の中でいろいろ試行錯誤している。

 一方、物語の内容に踏み込まないとは言ったけれど、終曲の「イゾルデの愛の死」について語る時、
「そもそもこのドラマの全てのストーリーは、最後のロ長調という調性に辿り着くために書かれ、音楽的にもそこを目指して進んできた」
ということについては、語らないではいられない。「タンホイザー」終幕の変ホ長調もちょっと似ているけれど、つまり生死を超えた究極的な「救済」であり「解脱」であるのだ。

 さて、遠くてこの例会に来られない方達の為に、ひとつのビデオを紹介しよう。これは、愛知祝祭管弦楽団が2022年に「トリスタンとイゾルデ」全曲を僕の指揮で上演した際、コロナ禍で団員向けオープンの講演会が行えないと思ったので、自宅で作ったYoutubeです。以前にも一度このページで発表したと思う。
 時間がなかったため、失敗してもワンテイクで撮っちゃえ、と急いで作ったので、あっちこっち舌噛んだり、言い間違えたりしています(字幕でいちいち謝ってます)が、今回の例会の中でも語られる根幹の部分です。「イゾルデの愛の死」のロ短調の説明で話を終えています。興味のある方はどうぞ!



忙しい週末
東京バロック・スコラーズ

 今この原稿を書いている(3月25日月曜日午前中)今日は一日オフだけれど、この週末は忙しく、ほとんど家にいなかった。まず3月23日土曜日の午前中は、東京バロック・スコラーズの練習。曲目は、来年3月30日(日曜日)に武蔵野市民文化会館大ホールで行われるバッハ作曲「マタイ受難曲」。すでに一通り終曲まで行って、前の週では第1部の最初の曲などをやったが、この日は第1部合唱曲を丁寧にやった。

 名曲というものは、常に独特の光を放っているね。どこを取ってもそつがない。合唱自体の凝りようというか、完成度という意味では、それぞれの合唱曲がより長い「ヨハネ受難曲」の方が勝っているように見えるが、ドラマの中に組み込まれて受難劇のドラマ全体の推進力に貢献しているという意味では、「マタイ受難曲」の合唱曲に勝るものはない。作曲家としてというよりも、ドラマティカーという意味に於いて、ここにはバッハの真の円熟が見える。


マタイ団員募集

 この「今日この頃」を読んでいる皆さんの中で、僕と一緒に「マタイ受難曲」を探る旅に出てみたいと思う皆さん。今からでも全然遅くないから(まだ1年あります)、当団に入りませんか?だけどね、オーディションがあります。そのオーディションに対して、僕自身は発声法を重視していますが、何をどう気を付けたら良いかということについて(東京バロック・スコラーズのホームページ内にも載っているけれど)Youtubeを作ったので、受ける受けないはともかくとして覗いてみてください。
(東京バロックスコラーズ、ホームページ

(三澤洋史によるオーディション課題曲の歌い方ビデオ)


新国立劇場にて
 午前中の東京バロックスコラーズの練習を終えて、ひとりだけオーディション受験者の女性がいたので自分で伴奏をしてオーディションを行い(その方は受かりました)、それから僕は初台に向かった。そして14時から「トリスタンとイゾルデ」の本番。

 ただ、僕にとって今回の「トリスタン」は忙しくはない。何故なら将来を見通しながら、これから僕が合唱指揮を行う時には、劇場が僕の下に合唱専門のアシスタントを付けてくれることになったからである。
 それで今回は女性指揮者の平野桂子さんが入っていて、僕が行った新国立劇場合唱団の音楽稽古を全て見学し、劇場に入ったら、僕は彼女に裏コーラスを指揮させて、タイミングなどいろいろアドバイスを与えたりした。なので、本番の僕は、彼女の横でそれをチェックするだけ。

 合唱団は第1幕だけで、しかも裏コーラスなのでカーテンコールもなし。だからメンバー達は、第1幕が終わると家に帰れる。僕も勤務としては第1幕だけなのだが、その後、階下に降りていって、音楽スタッフの部屋で別のお仕事をしなければならない。
 これが実は気が重い。何故なら、先日、次期シーズンのための試聴会があり、中には契約メンバーや登録メンバーから落ちた団員もいて、彼らが送ってくるメールに対して講評を書かなくてはならないのだ。

 試聴会の時に、僕は必ず彼らの発声法や音楽的アプローチに関するメモを取っておく。勿論現状維持の団員もいれば、登録メンバーから契約メンバーに格上げした団員もいる。彼らが上がろうが落ちようが、僕は、彼らの現在の発声フォームの状態や音楽性の現状を正直かつ客観的に書き、さらに将来的な観点からアドバイスを与えているのだ。
 書きながら、彼らが置かれている状態って、本当にシビアな実力主義の世界なんだな、と思って可哀想になる。ただね、逆に言うと、実力のある人が報われる世界でないといけないということもあるから、心を鬼にしているわけよ。

水のいのち
 さて、一通りコメントを彼らに送ってから、僕は劇場を出て、南北線東大前に向かう。劇場では「トリスタン」第2幕の途中だろう。その晩は東大コールアカデミーのOB合唱団であるアカデミカコールの練習。曲は有名な、髙野喜久雄作詞、髙田三郎作曲の組曲「水のいのち」だ。

 実は僕ね、「水のいのち」は大好きで何度もやっているのだけれど、男声合唱版でやるのは初めてなんだ。びっくりでしょう。男子校である高崎高校合唱部で男声合唱にどっぷり漬かり、その後もいろいろ男声合唱に関わっていた自分ではあるけれど、「水のいのち」はいつも混声版で行っていたのだ。

 この曲には、実は嫌な思い出がある。高校2年生の時、僕は高崎高校合唱部の学生指揮者としてNHK合唱コンクールに出場した。こちらが何を演奏したか忘れてしまったが、ライバルである高崎女子高校の曲は「水のいのち」の終曲「海よ」であった。
 僕たちはめちゃめちゃテンションを高めて全力で演奏したが、高女(たかじょ)の「海よ」が圧倒的に上手で、敵味方を超えて僕は彼女たちの演奏に感動すらしてしまった。そして当然のように僕たちは残念ながら負けて、高女が群馬県代表として先に進むことになった。

 落胆している僕たちに向かって、高女を女声合唱を指揮していた橋本節子先生がこちらにツカツカとやってきた。当時、高女で音楽大学に進みたい者は、必ず合唱部に入って、しかも橋本先生の個人レッスンを受けないといけないと言われていた。美人だけれど、めちゃめちゃ気が強くて有名だった。僕たちは(また高女の生徒も)節っちゃんと呼んでいた。
 節っちゃんは僕を目指して来た。そして先ほど指揮をした僕に対して、胸を張り上から目線でこう言った。
「あーら、あんたたちまた負けたのね。たまには勝ってごらんなさいよ!」
と言って「ホホホ」と笑いながら帰って行った。まるでテレビに出てくる典型的な嫌な女のようだった。

 僕の横で、団員のひとりが叫んだ。
「ちっくしょう!あのアマ。犯してやる!犯してやる~~~!」
「まあまあまあ・・・」
「三澤、おめえ悔しかねんか!」
「悔しいさ。でも・・・・・」
まあ、勢いはあるけど、俺たち荒削りだもんな・・・それに・・・男声合唱って、あの女声合唱のように清らかで美しくは、なかなか歌えない・・・。なんてったって、高崎高校の学生は“山猿”って呼ばれていたからな。

 ということを思い出しながら、アカデミカコールの練習は、その因縁の「海よ」から始めた。しかも、始める前にその話をした。団員達みんな大声で笑った。しかし、練習を始めてみたら、僕も団員達もめちゃめちゃ集中した。やはり素晴らしい曲だ。
 とはいえ、男声合唱版では、バスとかとても低いんだね。全体に少し沈んだ感じになるけれど、テーマがテーマだけに、前半の重苦しい感じはより出ると思った。

 髙野喜久雄の詩は、人間の低きに流れる根本的な弱さを赤裸々に見つめている。どうしても下に流れるしかない人間の性(さが)。しかし、そうやって絶望しながら一番下の海に流れ込んでくると、不思議と、深く暗い海の底では、下から上へ向かうエネルギーがあることに気付く。
さらに、水は蒸発して空に上がっていく。精神も昇華していく。

たとえ 己の重さに
逆らいきれず
雲となり
また ふたたび降るとしても 

のぼれ のぼりゆけ
みえない つばさ
いちずな つばさ あるかぎり
のぼれ のぼりゆけ 
おお

浜松のメサイア
 翌24日日曜日は、浜松バッハ研究会の練習。曲目はヘンデル作曲オラトリオ「メサイア」。この二日間は、僕の一番好きな名曲ばかりで満たされた。なんてしあわせな人生だろう!

 その日、「メサイア」は、第3部の3曲を練習した。Since by man came deathのGraveのコラール的な部分と、by man came also the resurrection of the deadのAllegroの対比など、バッハよりずっと分かりやすく親しみやすい一方で、終曲のAmen Fugaの重なり合う主題の精緻さでは、けっしてBachにひけはとらない。

 巨匠の傑作に触れているだけで、僕の心のみならず、実際に体まで元気になってくるのだ。う~ん・・・それは、もしかしたら、練習前に浜松駅構内の浜名湖うなぎ丸浜で食べた鰻の効果も手伝っているかも知れない。

エバハルトに逢います!
 さて、また新しい週が始まった。明日は、新国立劇場「トリスタン」の前に、同じ「トリスタン」のために来日している親友の合唱指揮者エバハルト・フリードリヒに逢ってくる。ふたつの「トリスタン」の合唱指揮者同士だ。
 彼は今週「トリスタン」が終わったら、4月13日土曜日のブルックナー作曲ミサ曲第3番ヘ短調の演奏会まで本番はないのだ。昨年は、一緒に珈琲を飲んだだけで、その後お互い忙しくて一緒に呑みに行くことも叶わなかったけれど、今年はうまくいけば2回くらい呑めそうだな。

 途中で、NHK FMのバイロイト音楽祭の解説の準備段階で、彼にコンタクトを取って、いろいろ実情を教えてもらったりしていたこともあり、さらに先日「今日この頃」でも書いた通り、僕と一緒にバイロイトでアシスタントをした指揮者レナート・バルサドンナのこととか、いろいろ積もる話もあるので、楽しみ楽しみ!

2024.3.25



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