「ナディーヌ」無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

魔の6月が終わろうとしている
 新国立劇場での仕事の他に、大事な本番を3つも抱えていて、内容面からも、そして健康面からも「乗り切れるのだろうか」との危惧さえ抱いていた「魔の6月」が終わろうとしている。
 「終わった」と言い切れないのは、あと、セントラル愛知交響楽団に提出するMissa pro Pace二管編成ヴァージョンのスコア及びパート譜の送付を行って初めて「終わった」となるからである。

「ナディーヌ」無事終了
満ち足りた朝

 今、これを書いているのは、6月24日月曜日の朝。昨晩レセプションを終えてから新町駅を出発して、結構遅くに帰宅。レセプションでは生ビールばかり飲んでいたので、帰宅後、家内達と談笑しながら黒霧島を飲み就寝。
 なので、早朝散歩はサボったけれど、晴れ晴れとした気持ちで起きて、まずはパソコンに向かい、たまっていたメール(その中には、かなりの数のスパムメールが混じっている)を確認し、削除した。大切なメールもいくつか入っていた。
 それから朝食を済ませ、妻の車からコンガ、カホーン、シンバルやスタンドなどを取り出して、家の中に運び込み、コンガを、
「ご苦労さん!」
と言って撫でながらチューニングを緩め、再びパソコンに向かっている。

原点の新町公民館
 う~~ん・・・何から書いていいか分からない。最近の新町歌劇団の公演は、ミュージカル「おにころ」で群馬交響楽団を伴って、群馬音楽センターや高崎芸術劇場などの大きなホールで行ってきたし、2022年の公演も高崎市総合文化センターで行われた。しかし、我々の原点は、今回の「ナディーヌ」公演が行われた新町文化ホールにある。その歴史をちょっとだけ振り返ってみたい。

 僕がベルリン芸術大学を卒業したのが1984年。帰国が9月の終わり。すぐに10月のはじめ、群馬交響楽団の演奏会において、卒業試験で1等賞の成績をもらったチャイコフスキー作曲、交響曲第5番を指揮した。当時群響音楽監督だった豊田耕児氏は、同時にベルリン芸術大学ヴァイオリン科の教授で、指揮科の僕が指揮をするのを見て群響コンサートのお仕事をくれたのだ。群響では次の年、モーツァルト作曲「レクィエム」を指揮させてもらった。

 その当時、まだ新町は高崎市に吸収合併する前で多野郡に属していた。ここの多野郡新町公民館の職員だった同級生の田口君が、「町民教養講座」と称して、いろんな人たちを公民館3階ホールに呼んでいたが、僕がベルリンの留学から帰って来て、高崎で演奏会を指揮していることを知って、
「三澤、ここで講演会とかではなく、何か楽しいことをやってくれないか」
と言ってきた。
 そこで僕は、二期会から4人の歌手を呼んで、モーツァルト作曲「魔笛」の抜粋公演を行った。その際、
「合唱が欲しいな。新町広報で一般募集をかけて、『魔笛公演』のための合唱を募集してくれない?」
「いいよ。やってみよう!」
そうしたら、たちまち40人ほどの人たちが集まった。
 その合唱団の人たちは、譜面を見てただ立って歌うだけだと思っていたが、僕は彼らに暗譜させ、いろいろ動きをつけた。そこに東京から、ソプラノ市川倫子(夜の女王)、国井美香(パミーナ)、田中誠(タミーノ)、松本進(パパゲーノ)といった歌手達がやってきて、僕のナレーションと共に魔笛を歌い、演じた。

 こうして生まれた「新町公民館合唱団」であったが、1986年の「魔笛公演」後、この合唱団を続けようとして次の練習に行ってみたら、集まったのは約半数の20人程度だった。もっと普通の合唱団を期待していたのに、暗譜して演技を付けさせられた事に抵抗感を覚えた人が少なくなかったのだ。
 でも、楽天的な僕は、人数が少なくとも構わずにこの合唱団に通った。何故なら、これから東京で仕事の足がかりを作っていこうとする僕のことだから、地元に合唱団を作って通うということを義務づけないと、下手をすると「故郷には盆と正月しか戻らない」という状態になることが目に見えていたからだ。だから両親はとても喜んでくれた。

文化ホール、新町歌劇団、「おにころ」
 それで「カルメン」の抜粋公演などをやっていたら、もうすぐ道を挟んで隣に新町文化ホールが出来るという。そうしたら、根拠地をそこに移して、いろんな公演ができるぞ、と思って、その「こけら落とし」に間に合うかどうか分からないけれど、何か作品を作ってみようと思い立った。
 当時僕は、二期会でオペラの副指揮者の仕事をしていたが、同時に、東宝をはじめとして、いくつかの団体でミュージカルの指揮者として働いていた。そこで「ミュージカル」というものに、オペラにはない楽しさと表現の可能性を見出し、今度自分が作る作品はミュージカルにしようと決めて、脚本制作及び作曲に精を出した。

 こうして生まれたのが、僕の作品第一号のミュージカル「おにころ」である。いきなり大きいのを作ってしまって、公演ギリギリまでパート譜を作っていて大変だった。原作は絵本作家の野村たかあきさん。僕は、野村さんには申し訳なかったが、原作にはない桃花や妖精メタモルフォーゼなどのサイドキャストを勝手に作って作曲を始めた。でも野村さんは、それを快く受けとめてくれ、後年、それらのサイドキャストを入れた絵本を再び出版してくれた。

 その文化ホールでの「おにころ」初演は1991年。文化ホール開場が1990年だから、「こけら落とし」としては微妙に間に合わなかったが、単なる呼び公演ではなく、ホールに根ざしたオリジナル公演ということでかなり話題になった。それに、この公演をきっかけに、新町公民館合唱団は新町歌劇団へと名前を変えて今日に至っている。そして開場からしばらくは、新町歌劇団は文化ホールを根拠地として活動を続けてきたのである。

そして再び根拠地へ
 今回、久し振りに新町文化ホールで「ナディーヌ」公演をしてみたら、お客さんの息吹きや反応が、こちらに肌で伝わってくる。


新町文化ホール
(写真提供 遠田昭夫様)

フル・オーケストラで大劇場というのも勿論良いのだが、この規模のホールでは、観客にとっても、舞台上で繰り広げられているドラマが直接感じられるようで、後で聞いたら、僕の知り合いでも、沢山の人が泣いてくれたようだ。また、合唱団のメンバーが客席まで降りて行って、ナディーヌの「かけがえのない度が沸点に達した」ことを祝うサンバを歌い踊りするのを、すぐ側で見る体験をしたのも、嬉しかったようだ。

素晴らしい出演者達


シャルル、ピエール
(写真提供 初谷敬史様)

 ナディーヌ役の込山由貴子さんとピエール役の山本萌(はじめ)君の若々しいコンビは、本番が近づくにつれて、素晴らしい進歩を日々遂げていった。


オリーとナディーヌ
(写真提供 遠田昭夫様)



 愛し合う絶頂の瞬間に「全ての記憶を失う」という過酷な運命に、聴衆の胸は深くえぐられたと思うが、そこで必死に涙をこらえた人たちでも、その10年後の同じモンマルトルの丘でのオリーを演じる大森いちえいさんのバラード「時には忘却こそ救い」で、こらえきれずに一気に泣いてしまった、と言ってくれたお客さんの言葉は嬉しかったなあ。


ニングルマーチ
(写真提供 遠田昭夫様)



 それと、放送局に集まった全員を自爆テロに巻き込みそうになりながら、必死でナディーヌに迫ろうとしたグノームの首領ニングルマーチを演じた秋本健さんの迫真の演技と、コミックながら哀れさを誘う表情は、他に代わりを探すのは未来永劫不可能だと思う。



ドクター・タンタン
(写真提供 遠田昭夫様)


 そして、現在新町歌劇団の指導を一手に引き受けてくれて、団員の細かいところまで目が行き届いて、かつ、あの胴長短足茶色のミニチュア・ダックスフントのドクタータンタンを見事に演じた初谷敬史君は、いくら讃えても讃えすぎることはない。
 その他、花の精や花娘、地の精グノーム達の子ども達、テレビ局のキャスター、終景で登場するピエールの妻とその子供シャルルなど、みんなが本当に一体となって、素晴らしい舞台を作り上げてくれた。

 そして最後に、いつも歌劇団の伴奏もつとめてくれていて、かつ本番でのピアノ演奏をしてくれた小林直子さんには、どんな感謝の言葉も遠く及ばないくらいだし、先日のアッシジ祝祭合唱団の国内演奏会でも弾いてくれたエレクトーン奏者の長谷川幹人さんにも、感謝と大きなエールを送りたい。一台で、あんな多彩な音色をもって大管弦楽にも優るとも劣らないワールドを作り上げるんだから凄いよね。
 本当は、シンセドラム奏者を頼もうと思ったんだけど、以前聖学院でやった奏者がスケジュールが合わなかったし、当時、予算的に厳しい感じだったので、
「そんならいいや。いっそのこと僕が生楽器で演奏しちゃえ」
ということで、コンガをはじめとした打楽器を持ち込んだが、ホールで演奏してみたら、「やっぱり指揮者が突然消えちゃったら合わない」
という個所が、あちこち出てきた。カホンを叩いていると、座っちゃっているから、指揮者の姿すら見えないのだ。
 僕の方からしてみても、打楽器を演奏し始めちゃったら譜面もめくれなければ合唱団に合図を出すこともできないので、結果として打楽器を演奏する個所は最小限に抑えた。
 でも、「お金」という二重唱や「妖精サンバ」などは、団員やお客様達の表情も見えて、実に楽しかった。

すべては愛にによって支えられている
 この公演がここまでうまく運んだ最大の原因がある。それは、僕が今「ちいさな宇宙人 アミ」を読んでいること。って、ゆーか、「ナディーヌ」に表現されていることは、要するにアミの本で言っていることと全く一緒のことなんじゃないか。いや、アミだけではない。僕はもうずっと昔から、このことを知っているのだ。それをミュージカルという形式で表現したのが「おにころ~愛をとりもどせ」であり「愛はてしなく」であり、そしてとりわけ「ナディーヌ」なのだ。

 ただし、そのメッセージが、今回ほど聴衆にストレートに伝わったことは、これまでになかったのではないか。それは僕の心の中の確信度が、アミを何度も読んでいる内に、ここにきてかなり深まったせいなのだと確信する。

「神は愛だ。愛が神なのだ」
とアミの本には書いてある。

「永遠なる愛」で合唱団は歌う。

愛は世界を変える
愛は世界を浄化する

オリーは歌う。

辛くても、報われなくても、それでも、それでも、
愛する人生は素晴らしい

愛するために
愛するために
人生はある

世界で最も月並みな言葉「愛」。
いつでもどこでも誰でも、すぐ使っちゃう言葉「愛」。
でも、この言葉にどれだけのリアリティを感じるか?
この言葉のパワーとエネルギーをどれだけ信じられるか?
そこが、僕たちの人生における本当の目標なんだよね。


カーテンコール
(写真提供 遠田昭夫様)

2024. 6.24



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