楽しかったアイヌのウポポ

三澤洋史 

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楽しかったアイヌのウポポ
 2月11日火曜日の祝日。東京大学音楽部合唱団コールアカデミー第70回定期演奏会で、第2ステージの賛助出演として、OB合唱団のアカデミカコールを指揮して、清水脩作曲、男声組曲「アイヌのウポポ」を演奏した。何の屈託もなく、ただ楽しかった。現役も何人か混じっていたが、OBのおじさんたちのエネルギーがハンパなく弾けて、この曲の独特のワールドが展開された。


「アイヌのウポポ」(当日のプログラムより)

 清水脩といえば、「山に祈る」や「月光とピエロ」など有名であるが、「アイヌのウポポ」の特異性は際立っており、もはや“日本のうた”とは遠くかけ離れていながら、世界中の全民族共通のある種の“なつかしさ”のようなものに支配されている。
 オリジナルの民謡を聴くと、むしろ男声はあまり歌ったり踊ったりしないで、もっぱら女性がその役を担っているが、よりによってこれを男声合唱で歌わせるというところに、清水氏の独創性があるように感じられる。少なくとも、響きの重厚さと音の厚みが、これらの曲想と相まって創り出す音響的世界感は清水氏の作品だと言い切ってしまっていいだろう。

 この演奏会で、このステージの他に際立っていたことがふたつある。ひとつは、現役のコールアカデミーと、その姉妹合唱団として生まれた女声合唱団コーロ・レティツィアとの共演による第3ステージのA Little Jazz Massがとっても楽しかったこと。
 僕の創ったMissa pro Paceも、かなりラテン音楽やポップスの要素を取り入れているけれど、この曲も、僕と手口が似ているというか親しみやすく、僕も楽譜を取り寄せてどこかで演奏したいなと思った。
 ただ、全曲演奏しても20分にも満たない曲なので、50分の僕の作品に比べると、ひとつひとつの曲がすぐ終わってしまって、やはりこうした演奏会の4分の1ステージしか占められないのが残念だ。

 もうひとつは第1ステージと第4ステージが共に僕の大好きな詩人である立原道造の詩に付けられた曲であったことだ。結核のため、わずか24歳で亡くなった若き天才詩人だ。第1ステージは、藤嶋美穂作曲、無伴奏男声合唱のための「優しき歌」、そして第4ステージでは、コールアカデミーが北川昇氏に作曲を委嘱した無伴奏男声合唱組曲「眠りのほとりに」であった。
 第1ステージは、すぐ後に自分たちのステージがあったので、残念ながら本番はゆっくり聴けなかったが、第4ステージを客席で聴いていて、現役の学生達が12人で頑張っていたのは勿論良かったのだが、将来的にOBも交えてもっと大人数でやりたいなという欲というか希望が湧いてきた。そこで、打ち上げの時に、作曲家の北川昇氏と話した。
「現役はとっても頑張って良かったと思いましたが、詩も大好きな立原道造だし、曲も素敵ですね。これを、もっと年輪を重ねたOBと共にいつかやってみたいです」
と言ったら、とても喜んでくださった。
 立原道造本人が24歳で没したので、歳を取ったから旨く出来るというものでもないけれど、詩の円熟さは逆に年に関係ないし、作曲家の北川昇さんだって、1983年生まれだというから、すでに40歳を過ぎている。少なくとも、今の僕の感性にも大いに共鳴するところがあるわけだから、まあ、実現するかどうか分からないけれど、第3ステージの曲も合わせて、こういう機会に新しい曲に触れることができて、とっても刺激になっていいね。

「マタイ受難曲」カップリング講演会
 2月15日土曜日。東京バロック・スコラーズ(TBS)の練習が午前中にあり、午後は場所を移して求道会館に於いて、3月30日に本番を迎えるマタイ受難曲演奏会のためのカップリング講演会であった。講師は樋口隆一氏。

 樋口氏といえば、2020年のやはり同じ日の2月15日に「ヨハネ受難曲」のカップリング講演会を行っていただいた。バッハの誕生日である3月21日の演奏会を控えて練習も熱が入ってきた時期であったが、その後、新型コロナ・ウィルス感染が拡大し、その演奏会は結局延期になってしまった。

 その時の講演会の後、僕は大津に行き、びわ湖ホールでの「神々の黄昏」の合唱指揮ために滞在していた。次々に伝わってくる感染拡大の知らせと、様々な団体の演奏会や催し物のキャンセルの知らせを聞きながら、不安な毎日を過ごしていた。
 僕は、スキー板を宅配便でホテルに送っており、練習が基本的に午後からだったので、午前中毎回板を担いで、湖西線志賀駅まで行き、びわ湖畔の高台にある「びわ湖バレエ」という人工雪のスキー場で、スキーを滑っていた。

 3月2日に大津で更新した「65歳の誕生日と僕の使命」のブログでは、「あと一週間考えて(ヨハネ受難曲演奏会を)やるかどうかを決めます」と書いているが、次の週の3月9日「無観客Youtube配信の神々の黄昏」の記事を読んで思い出されるのは、3月4日にTBSの団員達が集まって「予定通り行うか中止にするか決める会議」が開かれるというので、僕は、まさに自分の誕生日の3月3日に自分から中止を決心したのだ。
 3月3日の抜けるような青空と、それを映し出しながら眼下に広がる圧倒的なびわ湖の眺めの中でスキーを滑りながら、胸の中は失望で溢れていた。その意向をただちにTBSの団長にメールで送ったことが昨日のことのように想い出される。

 「ヨハネ受難曲」は、2年後の2022年にようやく公演にたどり着いたけれども、そのための講演会は開かなかったので、樋口氏とはそれ以来の5年ぶりの再会である。5年は長い。樋口氏は来年80歳になるというし、かくいう僕も、前回の講演会の時には65歳になろうとしていたが、今回は3月3日の誕生日が来ると満70歳となる。

 講演会の議題は「マタイ受難曲」に関するものであったが、むしろ今回の樋口氏のお話は、彼の経歴と、これまでのバッハに関する軌跡の部分が長く、特に新バッハ全集校訂に参加するといったお話が僕にはとても興味深かった。
 106番「神の時はいと良き時」や131番「深き淵より、我汝に呼ぶ、主よ」という初期カンタータの大傑作を含む8曲の作品の校訂を、バッハ研究の第一人者である、ゲオルク・フォン・ダーデルセンやアルフレート・デュルの指導の元に樋口氏が行ったという事は、我が国の誇りと言ってもいいであろう。
 何をどのように行ったのかという事を僕は彼に質問して、詳しく訊いたが、沢山の写本やソースから、これが決定版だというのを選び込んでいく作業には並々ならぬ苦労があったことだろう。でもそのお陰で、最もオーセンティックだという評価が与えられている新バッハ全集があるわけだから、樋口氏達の功績は計り知れないと思う。

 貴重なお話しの後は、TBS幹事と共に樋口氏を交えての懇親会であった。美味しい中華料理を食べながら、楽しい会話はとても盛り上がった。

高崎の「椿姫」合唱練習
 2月16日日曜日は高崎に行って「椿姫」合唱練習を行った。そこは演出をする木澤譲さんのバレエスタジオで行われ、指揮者の山島達夫さんも出席していた。
 よく、
「あれっ?三澤さんが指揮するんじゃないのですか?」
と訊かれるが、僕はあえて今回は縁の下の力持ちに回っている。今後、合唱指揮者だけでなく、独唱者達のアンサンブル稽古もつけることになっている。

 考えてみると、新国立劇場合唱指揮者に就任する前は、東京藝術大学大学院オペラ科で、学生達に音楽稽古を付けたりしていて、イタリア語の意味を考えながら、どういう表現が相応しいかなどを学生達に教えたり、あるいは彼らと一緒に考えて一番相応しい道を一緒に決めたりしていたのだ。こういうことに結構楽しみを見出していた事を最近想い出して、むしろ懐かしく思うのだ。
 今は、僕を合唱指揮者としてしか見ない人が多いけれど、新国立劇場で今やっている「カルメン」のプロダクションが終わると、少しオペラの合唱から離れることもあり、今後は合唱に特化するよりも、もっと幅広い活動をしたいなと思っている。そこで、この「椿姫」でも、自分から申し出て、合唱だけでなくソリスト達の音楽稽古にも携わらせてもらうことにしたのだ。

 さて、16日日曜日の合唱練習も、同じ路線で稽古を行った。音符だけ見ていると、どうとでも表現できるように見えるが、歌詞の意味を深く探っていくと、むしろ歌では、「これしかないね」という処に落ち着くことが多い。前半は第2幕第2場のジプシー女声合唱と闘牛士男声合唱の場面を重点的にやり、後半は、第2幕終わりまでの合唱個所を丁寧に指導した。とても楽しい!

2025. 2.17



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