あわただしい週末

三澤洋史 

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六本木男声合唱団の練習
 もう20年前にもなるけれど、六本木男声合唱団の練習に足繁く通っていた。2007年にはモナコのモンテカルロ歌劇場でふたつのコンサートの指揮もしている。その様子は2007年5月13日の記事に詳しく載っているので、時間のある方はご覧になって下さい。その時は「レクィエム」やカンタータ「天涯」がメインのプログラムとなった。

 さて、今回久し振りに、その六本木男声合唱団から依頼されたのは、スペインのバルセロナでの演奏会。三枝成彰さん作曲の「最後の手紙」という組曲である。そのコンサートのために僕は、11月25日火曜日の東響コーラスの第九練習が21時に終わると、その足で羽田空港に行き、ぎりぎり翌日の0時5分発のエミレーツ航空に乗って、ドバイ経由で同日の12時50分にバルセロナ・エル・プラット空港に着く。

 そしてオーケストラ練習、六本木男声合唱団も交えたオーケストラ合わせなどを経て、11月30日に演奏会を指揮する。

 帰りは、12月1日にバルセロナを発ち、今度はアブダビ空港経由で12月2日11時40分に成田空港に着いて、実はその晩、18時からの二期会「ファウストの劫罰」マエストロ稽古(指揮者マキシム・パスカル)に出席しなければならない。

 組曲「最後の手紙」の目次のページをめくると、フランス・日本・アメリカ・ブルガリア・ポーランド・イタリア・中国・イギリス・朝鮮・ソビエト・ドイツ・トルコ、そして再び日本と、12の国が並んでいる。それぞれの国の兵士達が、出陣の前に、妻をはじめとする遺族に書き記した手紙で、その後みんな亡くなっているので「最後の手紙」と名付けられているわけだ。
 さらに、その終曲はDona Nobis Pacem(我らに平和を与えたまえ)というタイトルで、様々な言語で「我らに平和を与えたまえ」という歌詞が歌われる。三枝成彰さんの最大傑作のうちのひとつである。

 六本木男声合唱団にはしばらく行ってなかったし、高齢者も多かったので、僕の不在の間には、親しくしていた何人もの団員がすでに亡くなられていた。その代わりに、もっと若い新入団員達が多くいて、随分雰囲気も変わっていたようなので、僕は初谷敬史君の指導する練習に何度か“見学”に行った。そして先日の17日水曜日、始めての練習指導を行った。
 中にプロのエキストラも混じっている、ということもあって、昔とは段違いといってもいいほど声がしっかり出ている。ただ、いろんな発声法で溶け合わないまま出しているので、その晩の練習では、
「このシチュエーションではこういう音色、この感情を表現するためにはこういう声の出し方を・・・」
という風に声や表現を整えていったら、かなり良くなってきた。

 スペインは、マジョルカ島に行っただけで、本土には足を踏み入れたことがないので、とても楽しみになってきたけれど、スペイン語については、新国立劇場にスペイン人の演出家が来る度に、毎回決心して勉強するのだけれど、そうするとイタリア語やフランス語と混ざって頭の中がこんがらがって、どうも毎回挫折してしまって今日に至っている。
 モナコにいった時には、なんとか頑張ってフランス語でオケの練習を付けたけれど、今回はどうしようかな?音楽用語はイタリア語なので、イタリア語を混ぜた英語で誤魔化そうかな・・・それにしても日常会話くらいはスペイン語で頑張ろうか・・・いろいろ迷っているところです。

ノット氏の「マタイ受難曲」
 9月13日土曜日の晩に、指揮者ジョナサン・ノット氏とホテルで打ち合わせした件は述べた。9月20日土曜日には、18時30分から21時30分までの3時間の東響コーラスの集中稽古が行われたが、直前に、マエストロからは譜面のコピーにいろいろ書き込まれた注意書きが届いた。確かに、例の打ち合わせ時には、まだ開示がなかったいくつかの曲についてもこの一週間の内に、彼は解釈を決定し、統一の取れた見解の元、全体をまとめて譜面に書き込んで僕に送ってくれたのだ。

 それはそれでありがたいのであるが、マエストロ自身が来てくれるのならともかく、僕としては、本当はこの3時間を使って、東響コーラスに対し、何度も反復練習を行って、「団員達の頭に曲を嫌というほど叩き込んで」あげてからマエストロに渡そうと思っていたのだ。つまりほとんど暗譜している状態でマエストロと向かい合わせてあげたかったのである。
 ところが、いきなり届いた注意書きを、僕自身でさえ、やや未消化のまま団員達に説明している内に、時間がどんどん過ぎてしまうのは、ちょっと残念であった。まあ、勿論、それによって、今日(22日月曜日)19時からのマエストロ稽古が能率良く運ぶならば、合唱指揮者とすれば役に立ったことを喜ぶべきなんだろうな。

 マエストロの注意書きを見ながら合唱団の歌い方を直している内に、あることを思った。マエストロの音型の処理の仕方は、例えば4つ並んだ16分音符の内、3つをレガートで結び、4つめだけを切るとか、あるいは2つめの16分音符だけにアクセントをつけるとかいう方法だが、これは主としてロマン派以降のやり方だ。
 つまり、バロック音楽では、まだそういった音符処理は発達していないので、バロック音楽のスタイルにこだわる僕とか鈴木雅明さんなんかは、自分からは絶対やらないと思うのだ。
 ところがね、ノット氏の指示に従って合唱団にやらせてみて思ったのは、このようなロマン派的アプローチをあえてするのも、現代では逆にアリかも知れないなという事。
 もうオリジナル楽器も珍しくなくなり、“バロック時代の音符処理だけが全て”という硬直した常識も緩み、「21世紀に入ってから4分の1世紀も過ぎ去った」今となっては、ノット氏の解釈は、意外と聴衆には新鮮に受け取られるかも知れない。ノット氏は、オケに対しても、そうした処理を要求するだろうから、彼なりの個性的な「マタイ受難曲」が仕上がっていくに違いない。

 「マタイ受難曲」演奏会は、今週末の9月27日土曜日に、サントリー・ホールにおいて東京交響楽団第734回定期演奏会として(18:00開演)、28日日曜日には、ミューザ川崎において第102回川崎定期演奏会として(14:00開演)、ジョナサン・ノット指揮によって行われる。
 バリトン・ソロは萩原潤さん、バス・ソロには加藤宏隆さん。共に3月30日に僕のマタイ受難曲演奏会でソロとイエスを歌ってくれたソリスト達も加わる。

マーラーに浸る一日
 東響コーラスの練習が、森下文化センターという東京の東のはずれで午後9時半まであって、次の日には名古屋で愛知MFオーケストラの練習が10時からあるとなれば、東京の西のはずれの自宅に帰るのも馬鹿らしいので、その晩は新横浜駅の近くのホテルに泊まった。
 午後に前もってホテルにチェックインして、そこからあらためて新横浜~森下を往復したが、今は電車がいろんな所で繋がっていて、行きは新横浜~市ヶ谷~森下で、帰りは森下~神保町~新横浜と、両方とも1回乗り換えだけで済んだ。とても便利になったが、その反面、「駅スパート」でいちいち検索して、乗り換えだけ確認したら、それからどのルートを通っているのか良く分からないまま言いなりになっているという、従属性がなんか気にくわない。
 
 ホテルもネットで検索した。世の中みんな物価高騰という話をしているけれど、あらためてホテル代って最近急に上がったことを知った。びっくりして駅近くのリーズナブルなホテルに泊まったが、ほとんど寝るだけだったので問題なかった。

 ということで、9月21日日曜日10時金山音楽プラザ合奏場。その日は、マーラー作曲交響曲第5番だけではなくて、リュッケルトによる5つの歌曲で三輪陽子さんとの初めてのオケ合わせだった。しかも音楽プラザは4時半完全退出なので、時間がとてもタイトだった。
 こんな時僕は、「重要なところはきちんと反復しながら、どうやったら能率良く練習を行うか?」ということに命を賭ける。マーラー5番は、技術的にはとても難しいので、本当は何度も止めたいけれど、本番の10月12日の一週間前の5日にもう一度練習があるので、今どうしても直しておきたいという個所のみを優先して練習した。

 僕はだいたい、
「今、この曲が一番好き!」
というタイプで、その都度関わっている曲を大好きになるが、それにしても第5交響曲は、気分が良いときも悪いときも変わりなく楽しめる曲だね。何より、マーラー自身が安定した心境の中で楽しんで書いているのが伝わってくる。自由でいながら緻密でしかも大胆!

 その一方で、リュッケルトによる5つ歌曲の三輪さんとのオケ合わせは、いろいろ苦労した。三輪さんとは事前に僕のピアノで2度ほど合わせをしているので、彼女との間には何の問題もないのだけれど、問題は主としてオケと歌とのバランス。
 たとえばUm Mitternacht「真夜中に」の編成は、弦楽器を伴わない要するにブラスバンドだ。なので、放っておくとどうしても音量が大きくなって、三輪さんの声を覆ってしまう。
 反対にたとえばIch atmet' einen linden Duft「私はかぐわしい香りをかいだ」などは、弱音器を付けた弦楽器を大きめに弾かせないと、サウンドとして成立しない。以前にも書いたが、マーラーのオーケストレーションが独創的なだけに、細かく配慮しないとバランスが本当に難しいのだ。

 金山プラザが4時半完全撤収なので早く終わって、名古屋に着いたら、思ったより早かったので、EXのネット予約を変更して30分以上早い新幹線に乗った。新横浜に着いて、改札を抜けたら、ふと崎陽軒の焼売の店が眼に入った。
「あ、今日は家族がみんないる日だ。しかも夕飯に間に合う。しゅうまい買っていこうかな・・・・」
とも思ったけれど、ちょっと並んでもいたので、ま、いっか家に早く帰らないと夕飯に間に合わない、と思って通り過ごした。

 家に帰ってテーブルの上を見たら、なんと焼売が並んでいた。長女の志保が珍しく仕事が休みなので料理をしたのだ。ああよかった。崎陽軒のことは黙っておいた。
「ふうっ、忙しい週末が終わった」
と、志保の手作りの焼売を口に入れながら安堵の気持ちに浸った。

2025. 9.22



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