マイルス・デイビス・コーナー

三澤洋史 

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ジャック・ジョンソン
マイルスと人種差別

 マイルス・デイビスから遠ざかっていた。というかここのところジャズという音楽をあまり聴こうという気になれなかった。ある時ふと中古CD屋さんで見つけた「ジャック・ジョンソン」というアルバムに久し振りに興奮した。

「ビッチェズ・ブリュー」で終わったマイルス
 僕はマイルスが大好きなどころか、はっきし言ってバリバリのマイルスおたくだ。ある時代までのCDに限っていうと、市販されているものは全て持っているし、海賊版もそれなりに集めている。でも実を言うと(多くのマイルス・ファンから見れば意外に思われるかも知れないが)「ビッチェズ・ブリュー」以降のロック・マイルスはあまり好きではない。だからCDもあまり持っていないのだ。反対に「ビッチェズ・ブリュー」直前の一作ごとに作風の全く異なる試行錯誤の時代のはとても好きなのだけれどね。「ビッチェズ・ブリュー」で「落ち着いちゃった」のがつまらない。
 つまらない理由は、本当は「落ち着いちゃった」ことにあるのではない。簡単に言うと、ロックという硬直した柔軟性に欠けるリズムの上に、全曲ワン・コードしか使わないという単調さに耐えられないということだ。全曲ワン・コードというのはね、和声学的には、何も事件が起きない物語のようで、
「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました、おしまい。昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました、おしまい。昔々あるところに・・・・・・」
と延々と繰り返されるのと同じだ。
 その延々と続くワン・コードに乗って演奏されるソロが楽しければよいのだけれど、この単調さから飛翔して、自分で起承転結をつけて説得力のある演奏を行えるのは、とどのつまりはマイルスだけであり、サイドメンの演奏を面白いと思う瞬間が少なすぎるというのが致命的だ。ベーシストなんか、かつての4ビートの超絶技巧プレイから比べると、同じフレーズの繰り返しで、真面目に練習する気にもならないんじゃないか。僕にだって弾けそうだもの。
 確かに「ビッチェズ・ブリュー」が傑作であることは明白だけれど(これについては、いつか時間のある時にじっくり語りたい)、ここにおいてマイルスのアイデアは全て出し切っているので、僕としてはこれひとつあればいい。これ以降の全てのアルバムは、形を変え品を変えていても、結局は全て「ビッチェズ・ブリュー」のアイデアの練り直しであり延長に過ぎないのだ。

 それにしてもだよ、あれだけ進歩的だったマイルスが、これ以降死ぬまで「ビッチェズ・ブリュー」の域から出なかったというのが、僕が彼に感じる唯一で最大の失望なのだ。バラードの美しさもなくなり、プログレッシヴ・ジャズのスリルもなくなって、気が抜けた演奏を繰り返したまま彼は死んでしまった。マイルスよ、お前は本当にそれで満足だったのかい?え?
 マイルスの死は、すでに長い間危篤状態であったジャズの死と重なっている。ビ・バップ、クール、モード、フリーを通って辿り着いてしまったエレクトリック・ロックという袋小路で、マイルスはこの音楽と心中したのかも知れない。ジャズを愛していたから。

「ジャック・ジョンソン」のいきさつと内容
 さて「ジャック・ジョンソン」の話に戻ろう。ジャック・ジョンソンとは、1908年にヘビーウェイト級世界チャンピオンになった黒人ボクサーの名前だ。20世紀初頭だから、当時はまだ人種差別が激しく、ジャック・ジョンソン自身も様々な妨害や脅しの中でチャンピオンの座を守り続けたという。そのジャック・ジョンソンをテーマに1970年に作られた2本の映画にマイルスの音楽が使われており、そのサウンド・トラックがこのアルバムである。
 とはいえ、このアルバムで聴かれる音楽は、いわゆる「映画用に演奏」されたものではない。たとえば「死刑台のエレベーター」では、マイルスはフィルムを見ながら、それに合った音楽を演奏していったが、「ジャック・ジョンソン」においては、マイルス本人からの映画への関与は全くない。ここではスタジオ内におけるジャム・セッション的状態で自由に演奏された音素材を、プロデューサーであるテオ・マセロが勝手に編集して映画用に使ったのである。さらにサウンド・トラック・アルバムの制作に関しては、テオ・マセロが単独で再編集したのである。

 このアルバムの前半の「ライト・オフ」Right Offという曲にはいきさつがある。録音の日、マイルスがスタジオに入ると、すでにギタリストのジョン・マクラフリンを初めとするバンド・メンバー達はウォーミングアップ演奏を始めていたという。当然これは、キーもモードもモチーフもマイルスからの指示のない完全なジャム・セッションであった。
 最初マイルスはそれに関心を示さず、コントロール・ルームでダベっていたというが、演奏が白熱してきたのを感じるといきなりトランペットを持ってスタジオに入り、そのまま演奏に加わって、なんと20分間も吹き続けたというのだ。
 そのウォーミングアップから続いていた演奏を、どのようにテオ・マセロが録音及び編集したのか分からないが、そんなわけでここでは普段なかなか聴けないような、めちゃめちゃ挑戦的でアグレッシブな演奏が聴かれるってわけだ。それが結果的にジャック・ジョンソンというボクサーのキャラクターとつながり、映画に採用されたということだな。

 僕も今回初めてきちんと「ジャック・ジョンソン」を聴いて、「ビッチェズ・ブリュー」と並んで「ジャック・ジョンソン」を愛聴版に加えてもいいなと思った。このアルバムの最大の魅力は、ギタリストのジョン・マクラフリン。彼のギター、本当にヤバイぜ!また「ライト・オフ」の中程で聴かれるディレイの効いたリリカルなマイルスのプレイは、50年代のバラードを彷彿とさせてとても美しい。ディレイによって響く残響音とメロディーが組み合わさって、たゆたうような和音を作り出す。なるほど、こうすれば伴奏なんかいらないじゃないの。ただ背景の騒音ははっきり言って邪魔以外の何物でもない。取ってくれ、こんなもの!
 続く「イエスターナウ」Yesternowのベースラインとマイルスのソロも独創的。でも途中でモンタージュされる別のCD「イン・ア・サイレント・ウェイ」のそんまんまの音楽は蛇足ではねえかい?ここで一気に興ざめしてしまった。
 人は、マスター・テープを自由に切り貼りするテオ・マセロを天才とあがめるが、うーん、紙一重だね。冒涜に一歩足を踏み入れているようにも思える。要は、さっき言ったように、ワンコードの単調さをテオ・マセロも感じていて、モンタージュによってごまかそうとしたのではないか? モンタージュは善意で行った処置であるだろうが、そのテクニックは演奏のクォリティの高さに比べて実に稚拙。まあ、その時代ではその程度でもごまかせたのだろうね。まあ、それらのことは、初めての人にはあまり気にならないことかも知れない。僕は「ビッチェズ・ブリュー」直前の最大の愛聴版が「イン・ア・サイレント・ウェイ」で、いつも聴いているので、かえってそれが中途半端にモンタージュされていることに我慢がならないのだけれどね。

マイルスの生き方と被差別意識
 マイルスは、自分自身が映画に直接関与しなかったとはいえ、この音楽がジャック・ジョンソンのために使われたことについてはとても喜んでいる。彼はもとよりジャック・ジョンソンという人物をとても尊敬していた。というより、むしろマイルス自身がジャック・ジョンソンを意識して、彼と同じように生きたともいえる。
 すなわち、彼の行動のモチベーションに黒人としての被差別意識があり、それの裏返しとして白人への挑発的行動がある。嫉妬する白人を横目で見ながら、人気実力共に頂点にまで登りつめ、派手な車に乗り、沢山のとびきり美人な白人女達と付き合い、高いワインやシャンパンを飲み(マイルスはあまり酒は飲めなかったそうだが)、黒人でもここまで出来るんだということを、(白人にはざまあ見ろという気持ちで、黒人には俺に続けという気持ちで)見せつけて生きたのだ。

 ジャズがあの時代にアメリカで生まれたということは、一種の奇蹟のような出来事だと思える。アメリカにとってはそれはいわば時代の生み出したあだ花のようなものなのだ。ジャズは、白人が同じ人間とは認めていなかった者達、つまり自分たちの家畜や奴隷だと思っていた者達が、人間であることを主張し始めた手段であった。
 しかも彼等は、クラシック音楽のための楽器を、とんでもない奏法で扱い始めた。コントラバスはピッツィカートでしか弾かないし、ノンビブラートで吹くべき上品なクラリネットにあんなに嫌らしいビブラートをつける。トロンボーンはポルタメントを乱用するし、ピアノは調律をしないまま、まるで打楽器のようにぶっ叩く。しかも最初から最後まで下品なタイコが止まることなく伴奏する。「ああ、テリブル!」と眉をしかめた白人達の顔が目に見えるようだ。
 でも気がついてみたら、その独創的な新しい音楽に黒人だけでなく白人も惹きつけられ、急速に世界に広まっていった。なんといまいましいことかと白人達は思っただろう。

 マイルス自身もさまざまないわれなき差別に出遭ったが、「黒人が南部で綿花を摘んでいたからああいう音楽が生まれた」というステレオ・タイプの言い方には大きな抵抗を示す。でも彼は、ラジオを聴いていても、黒人の演奏か白人の演奏かはすぐ分かるとよく言っていた。それは僕にも分かる。特にマイルス自身のトランペットには独特の憂愁が宿っていて、街角や喫茶店などで彼の音楽が流れると、1秒後には認識する。
「あっ、マイルスだ!」
と。マイルス以外の誰にも、あんなブルーな音楽は出来ない。そのブルーという概念が、まさに黒人的フィーリング以外の何物でもないのだ。

 中学生の頃からジャズを聴き始めて今日に至っている僕だが、あの頃からすでに僕は差別を受けている黒人に対し、頑張れとエールを送っている自分を感じていた。特に黒人の演奏に感じる独特のリズム感は、白人がどう追いつこうとやっきになっても決して到達できないものであることを感じていた。
 僕も他の人にないリズム感を持っている。こう言うと生意気なようだけれど、自分のリズム感は特別で、世界をリズムで感じることが出来る。僕のリズム感は黒人のそれに近いと思う。だから、クラシックでも白人のリズム感を常日頃物足りなく思っている。その僕がどう逆立ちしたってかなわないなあと匙を投げているのが、マイルスの持つリズム感だ。当時、マイルスを聴きながら僕は、黒人の立場に自分を置いて、白人のリズム感を揶揄していたものだ。そして、
「悔しかったらマイルスのように演奏してみな」
と痛快な気持ちでいたものだった。その感情は、若者らしい粗野で未熟なものだったけれど、少なくともマイノリティに対するシンパシーという点では、今の自分と全く変わっていないのだ。だから僕にとってジャズというのは大切な音楽だし、その中でもマイルスは一種の崇拝の対象で別格なのだ。

僕は差別を憎悪する
 僕は、人間が人間に対して抱くあらゆる差別感情を激しく憎悪する。特にそれが行動に現れ、いわれなき差別行為が公然と行われることは、どんな時代のどんな地域で、どんな価値観が横行しようとも決して許されることではないと思っている。人間は常にその存在の根底において平等でなければならないと思うし、全ての行動において自由でなければならないと信じている。
 それを否定するあらゆる理論を信じない。もしそれが一見正しいような宗教であっても、差別を促すか容認するとしたら、それは教義が間違っているか、あるいは最初の教えが著しく曲げられてしまったからだと思う。

 一方、それに反するようだが、だからこそ人間は各自の個別性において違っていて当然であり、その違いは良くも悪くも正当に評価されなければならないとも思う。徒競走で順位をつけないなどというのは、反対の意味で差別だ。才能のある者はそれを発揮できるステージに上げられるべきであり、人格者は人格者として尊敬を受けるべきであり、エキスパートはその分野で最高の業績を上げるべく持ち分を任されるべきである。
 こうしたフェアーな世の中こそ、真のユートピアにつながると僕は信じている。ユートピアでも競争は存在するし、試験に落ちることもある。だからこそ勝者が尊いのだ。勿論、勝つことだけが尊いのではない。でも、評価の過程において純粋にフェアーであるならば、負けた者も勝者を純粋に讃えることが出来る。
 差別を乗り越えてチャンピオンにのし上がったジャック・ジョンソンは、虐げられていた人達に勇気を与えたし、マイルスが誰にも出来ない音楽を作り上げたことは、世界に希望を与えたのだ。

 「ジャック・ジョンソン」を聴きながら思う。世界のどこかにまだ差別を受けている人がいる限り、僕自身も真に幸福にはなれない。でも、僕はその為におとなしく聖堂の中で祈るだけではない。その代わり「ジャック・ジョンソン」を聴く。そして心の中で叫ぶのだ。
「頑張れ!負けるな、立ち上がれ!そして未来を自らの手でつかみ取れ!ジャック・ジョンソンやマイルスに続け!」


2010.10.4



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