リング4年目にして完結

三澤洋史 

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今日この頃
 気が付いたら8月も後半に入っている。長い夏にも先が見えてきた。今この原稿を書いているのは、本来の「今日この頃」の原稿更新日から1日遅れて、8月20日火曜日。

 18日日曜日。愛知祝祭管弦楽団の「神々の黄昏」公演が終わって、打ち上げ会場を10時半に追い出された後、僕たち夫婦は、親友の角皆優人夫妻と、元モーグル選手で大のマーラー・ファンである松山さんの5人で、栄のワインバーに入った。そこでナチュラル・チーズをつまみながら親密で落ち着いたひとときを楽しんだ。
 僕と妻は白ワインを飲み、角皆君と松山さんは赤ワイン、美穂さんはパイナップル・ジュースを飲んだ。12時頃にお開きにして彼らと別れ、ホテルに戻って床についたのが約1時。角皆君なんか、普段は9時過ぎに寝て4時に起きる人だから、日常にない時間だろうね。

 19日月曜日早朝6時半。僕は、栄にある東京第一ホテル錦のベッドから出て、隣のベッドで寝ている妻を起こし、
「あのね、7時に朝食バイキングに行って、ホテル出発はどんなに遅くても8時にしようよ」
と言った。
「なんで?」
「一度国立の家に帰って荷物を置いてから、午後の新国立劇場の練習に行きたい!」
 今日のことは、実はなんにも決めていなかった。14時から新国立劇場では「エウゲニ・オネーギン」、18時から「ドン・パスクァール」の合唱練習が詰まっているが、もしかしたら、疲れ切って起きれないだろうから、ギリギリまで寝ていて、そのまま練習に直行、となるのかなと思っていたのだ。
 でもね、体は妙に元気で、6時に目が覚めちゃったんだ。だから、いつものようにお散歩に出ようかなと思ったけれど、それならいっそのこと一度自宅に帰って、ゴロゴロを置いて着替えてリフレッシュしてから、仕事に行きたいと思い始めたのだ。
「ええ?分かったわ。じゃあ、シャワーを浴びてからお化粧しなくっちゃ!」

 名古屋駅8時32分発「のぞみ」に乗る。今晩から始まる「ドン・パスクァーレ」のボーカル・スコアを開き、iPod touchを聴きながら勉強をするが、昨日まで集中的に勉強していて今でも頭の中に鳴り響いているワーグナーの音楽から見たらあまりに単純なので、思わず笑ってしまった。でも同時に、とっても大切なことに気が付いた。
 テレビも映画もない時代。これこそが最大の娯楽だったのだ。この屈託のない物語。肩の凝らない音楽。それでいてベルカント・オペラ特有の、歌手の名人芸の披露。いいではないか!世の中、ワーグナーのようにシリアスな楽劇だけだったら息が詰まってしまうものね。

 このようにして僕の今週がまた始まった。新国立劇場での練習を月火水とやった後、今週末には、ガトーフェスタ・ハラダ主催のコンサートがある。このコンサートでのスピーチを、そろそろ考えなければ・・・。8月の3大イベントもいよいよ最後の催し。長い夏もいつかは終わる。

Missa pro Pace世界初演
 8月11日日曜日。池袋の東京芸術劇場大ホール。Dona nobis Pacemの最後の音が消え入るように終わると、会場中に静寂が訪れた。この瞬間は、これまでの人生の中で、僕の魂にとって最もしあわせなひとときだったかも知れない。いつまでも味わっていたかった。

 それから僕はゆっくりと指揮棒を持つ手を降ろした。大きな拍手が来た。不思議なことに、それはまるで人ごとのようであった。どこか遠くで何かの催し物が終わったのかな?などのようにぼんやり考えていたのを思い出して可笑しくなる。僕の全身は、至高なる存在の御手に包まれていて、意識はまるでドームのようなものに覆われていた。そしてドームの中ではまだ、曲が終わった瞬間の静寂が続いていた。

 自分が書いた音楽に迷いはなかったけれど、このラテン音楽のミサ曲が、聴衆にどんな風に受け容れられるのだろう、といった心配は皆無ではなかった。特に、熱心なカトリック信者の中には、
「こんなふざけたミサ曲を書きやがって」
と怒る人も出てくるのではないか、とも思っていた。
 でも、終演後、楽屋に訪れてきた人達の中に、「キリストの平和」という聖歌を作詞作曲した塩田泉神父がいらしたが、
「私は熱心なカトリックの神父ですが、この曲は素晴らしいと思います」
と言ってくれたので、ほっと胸をなで下ろした。

 僕の国立音楽大学声楽科時代の恩師、テノール歌手の中村健先生が、車椅子に乗って楽屋に来てくれたが、ずっと泣きっぱなしで、周りの人達の涙も誘った。
「自分の弟子がこんなに立派になって、嬉しいよ。本当に嬉しいよ!」
と言っては泣き、またひとこと喋っては泣いた。
 僕が、大学3年の時に、指揮者になりたいと決心し、それから和声学の権威である島岡譲先生や作曲科の教授であった増田宏三先生など、指揮や作曲の勉強に忙しくなり、肝心の声楽の勉強が全然出来なくなった時も、事情を理解し、むしろ応援してくれたのが健先生であった。
 そこで、レッスンに顔を出して近況を知らせるだけで出席としてくれて、学年末試験と卒業試験を歌うだけで、なんとか声楽科を卒業できたのである。さらに僕が二期会に入って副指揮者として仕事をしている時も、いろいろアドバイスを与えてくださった。とても愛情溢れる先生である。
 そうであるから、健先生の弟子には、いろんな風変わりな人がいる。かつて我が国のオペラ界で一世を風靡した粟国安彦さんも、なんと健先生の弟子である。粟国安彦さんは、現在我が国でナンバーワンの演出家、粟国淳(あぐに じゅん)さんのお父様である。また、合唱指揮者の重鎮である及川貢(おいかわ みつぐ)さんも健先生の弟子である。

隠された作曲に関わる物語
 これまで、この紙面ではあえて書かなかったが、このミサ曲の作曲には、あるクリスチャンの夫婦の物語が深く関わっている。その物語と、曲目の解説は、長くなるので、ここからリンクを貼った別のページでお読み下さい。ちなみにこれは、演奏会用プログラムの原稿と同じです。

アンコールをやるかどうか?
 公演が終わってから、その夫婦を舞台上にお呼びし、それからアンコールとして再びFesta di Credoをノリノリで演奏した。このアンコールをやるかやらないかで、ちょっと試行錯誤があった。

 実は、団内指揮者の酒井雅弘さんから、ある時こうした提案を切り出された。
「実は、アンコールでFesta di Credoをやろうという話があるんですが、どう思いますか?」
僕は即座に、
「ダメダメ、こちらだけ盛り上がってお客さんがシラけていたら目も当てられないからね」
と断った。
 理由はふたつあった。ひとつは、酒井さんが提案した時点では、まだアカデミカ・コールのおじさま達はFesta di Credoのリズムに全然ついていけていなかったこと。だって仕方ないよな。宴会では、拍の頭で手拍子を取りながら演歌や民謡などを歌っている世代(失礼!)なんだから。この、アップビート&シンコーペーション続きのこの曲のリズムはきっと果てしないほど難しいに違いない。
 ふたつめは、先ほども書いたけれど、そうでなくとも、コンガなどを使って浮かれて書いたように感じられるミサ曲全体を、果たしてクリスチャン達がどのように受容するのだろうという不安があった。
 それでも、最後のDona nobis Pacemでは、一応真面目な音楽で、しかも静かに瞑想的に終わるから、それまで否定的に捉えていた人も溜飲を下げて、最後がよかったから、この余韻に浸って帰ろうと思ってくれるのではないかと思っていたのだ。ところが、その後で、またサンバのFesta di Credoなんかやったら、「ま、いっか」と思っていたクリスチャン達の怒りが復活してくる可能性があるじゃないか。

 というので、即座に却下した僕ではあったが、最後の週の練習に行って、僕は、
「あれ?」
と思ったのだ。酒井さんの忍耐強い薫陶の甲斐あって、おじさま達のノリが良くなってきたのだ。
 こうなったら、むしろ程度問題かも知れない。つまり、中途半端はいけないけれど、本当にノリノリで出来たら、かえってもうひとつ清々しい効果で聴衆がこの会場を後に出来るかも知れない・・・と。

 また僕は、例の夫婦を終演後、舞台に登場させたいなあとも思うようになっていた。だって、これは最近気が付いたのだけれど、彼女が発病したのが2年前のまさに8月11日。そして1年前の東京六大学OB合唱連盟演奏会での部分初演も8月11日。そこに彼らも聴衆で来てくれた。そして今回の全曲初演も8月11日。この会場取りは、僕の力ではどうにもなるものではないから、この8.11の不思議な符合を、聴衆には是非知らせたかったのである。
 そこで彼らに話したら、最初恥ずかしがって躊躇していたのだが、さすが、筋金入りのクリスチャン!彼女の方が、
「それがもし、来てくれた方々に対して、信仰の証(あかし)となるのなら、私は恥ずかしがっている場合ではないと思います」
ということで、夫婦で快諾してくれたのである。

 さて、そうなったら、彼らが登場した後、そのままお開きというわけにはいかない。そんじゃ、いっちょやるか!Festa di Credoをアンコールで、となった。
 それでFesta de Credoを演奏した。そしたら、酒井さんをはじめ、何人かのメンバーが、このサンバの曲を暗譜で歌っていたのは、驚き、そしてとても嬉しかった。それでますます調子に乗って、お客様に手拍子を促したら、会場中が一体感に包まれた気がした。

 その時に思ったんだ。信仰にタブーなんてない。静かに瞑想的に祈るのも勿論必要だが、こうやって心を解放して、みんなでノリノリになるのだって信仰の力!祈りのパワー!

こうしてMissa pro Paceは、2019年8月11日、全世界に向けて発信された!
関わってくれた、全てのみなさん、ありがとう!

 

リング4年目にして完結!
 きっと、とっても興奮しながら演奏するんだろうなあ、全曲演奏し終わったときには、身も心も精根尽き果てて、立っていられないほどになるのかなあ?あるいは、4年間の集大成であるこのプロジェクトの完結する瞬間を思って、感極まって涙と汗でぐしょぐしょになるのかなあ?と、事前にはいろいろ考えていた。

 ところが演奏が始まってみたら全然違った。そこには、とっても冷静な自分がいて驚いた。それよりも、まるで宇宙飛行士のパイロットのように、
「はい、エンジン全開、出発・・・順調に進んでいます・・・間もなく第1ロケット切り離し・・・はい、切り離し成功・・・あと5分で大気圏外に出ます・・・」
と、スコア通りに曲がつつがなく進んでいくか確認しながら指揮をしている。それを外側から見ている自分がいる。その外側の自分は、このミッションをとってもエンジョイしている。ワクワクし、楽しくて仕方がない。

 指揮の運動にも無駄がなかった。これは本当に水泳とスキーのお陰。つまりは、マラソンランナーがあの40数キロ走るのにふさわしいフォームから決して逸脱しないのと一緒で、僕は、基本的体幹と、今使っている筋肉がどこなのかを把握していて、ブレることはなかった。
 当日朝の舞台上練習では、本番に備えて無駄な動きを一切省いていたので、肉体的にはなんの負担も感じなかったが、内心では、
「本番は、なんてったって本番だから、こうはいかないんだろうなあ」
と思っていた。

(事務局注 2021リニューアル時に追加:以下同様)

 ところが、予想外のことが起こった。それは、本番になったらオーケストラのメンバーがいつも以上の音を出してきたので、僕はむしろ歌手の声や言葉が潜ってしまわないように、抑える方に回っていて、
「もっと、もっと!」
と力む必要など、まったくなくなったのである。
 それに加えてホールの問題があった。いろんな人達が、
「去年は、あの響かない御園座で大変だったね」
と言うけれど、僕にとっては、ストーリーテリングをするという観点から言ったら、むしろ御園座の方がずっとやり易かった。

 愛知芸術劇場コンサート・ホールは素晴らしいホールである。残響が長く響きが良いので、すべてが溶け合い、通常のコンサートをやるのには理想的である。しかしながら、オケの響きがホール全体に響き渡るということは、我々の演奏会のように、歌手達がオケの後ろで歌う場合、必ずしも理想的というわけではないのだ。
 歌唱は、オケの響きに溶け合いすぎて、声そのものは聞こえても、言葉のニュアンスはむしろ消されてしまうのだ。その点では、御園座は、オケの響きがデッドで、それぞれの楽器もそのまんま聞こえ、そして当然のごとく、歌手の声も発音も、そのまんま聴衆に届いたのである。
 いや、むしろ、“語りの声が届く”という意味では、さすが、そのように特化して作られた歌舞伎座だけのことはあるのである。これが、楽劇の神髄を追求する僕にとっては驚きであった。

 また、本番になったら、聴衆が響きを吸ってくれるだろうという期待も裏切られた。もしかしたら、コンサート・ホールは、改修工事でその点でも改善されたのかも知れない。練習時のガラガラの会場と満員の会場では、ほとんど響きの差がなかったのだ。

 残念なのは、ジークフリート役の大久保亮さんやグンター役の初鹿野剛さん、あるいはアルベリヒ役の大森いちえいさんなどの、特筆に値するドイツ語の発音とドイツ語的表現が、もっともっと聴衆にクリアに届いて欲しかったのだ。
 特に、大久保さんは、現代に蔓延している「声だけ大きくてニュアンスも何もない」ジークフリート像に一石を投じる意味で起用したのだが、それを、単に、
「なんで、こんなジークフリートに向かない声の人に歌わせたのだ。オケを突き抜けないじゃないか」
と聴衆に思われてしまったら、とても大久保さんに気の毒だし、僕も残念だ。こんな繊細な感情表現が出来るジークフリートはいないのに・・・・。

 そんなわけで、僕はむしろ興奮するオケを抑える側に回ったので、僕の指揮の運動は過剰になることはなかったのである。ただし、「ジークフリートのライン旅」とか「ジークフリートの葬送行進曲」などのオケだけの部分では、もちろんそれなりに気合いを入れて振りましたよ。
 それにしても、振っていながら思ったね。これが実は指揮者としては理想的なあり方なんだって。バイロイト祝祭管弦楽団もそうだけれど、ドイツなんかのオケでは、指揮者が煽ったりしなくても、オケが自主的にどんどん音を出してくるので、指揮者はある意味交通整理すればいいのだ。
 ところが日本のプロオケだと、指揮者は、よく左手を揺らせながら「もっと、もっと」という仕草をする。そうしないと音出してくれないのだ。指揮者は、本来、けしかける人でもなければ、パフォーマンスする人でもない。「みんなから出てくるパッションをまとめる人」なのだ。その意味でも、愛知祝祭管弦楽団と僕のあり方は「バイロイト的」といえるのかも知れない。

合唱、ソリスト達の健闘
 第2幕冒頭の弦楽器のリズムは「ニーベルングの破壊工作」のライトモチーフから導き出されたもの。このリズムを出さないと意味がない。しかしながら、これをいろんな生演奏で聴いてもCDで聴いても、管楽器ばかり聞こえて、弦楽器のリズムが際立った演奏はひとつもない。みんな、なんにも考えていないで演奏しているんだなあ。
 僕は、練習初日から、
「第2幕は、ニーベルング族の負の想念が現実に炸裂する大事な幕。その開始は、この『ニーベルングの破壊工作』のリズムで表現される。だからこの3連符も混じるリズムは、何があってもクッキリと出すこと」
と言って、8分音符で振ることから初めて、何度もしつこく練習した。
 そのリズムは、ギービッヒ家の家臣達の歌にも受け継がれ、戦闘態勢に入って駆けつける者達の歌のリズムになっている。この場面は、素晴らしい男声合唱のお陰で、めちゃめちゃ盛り上がりましたなあ。合唱団のみなさん、本当にありがとう!また、その合唱団の親分でもある成田眞さん!素晴らしいハーゲンを演じてくれたね。いっぱい練習した甲斐があったね。


 ソリスト達は、みんなその持てる力を存分に出し切ったと思う。特に、基村昌代さんの「ブリュンヒルデの自己犠牲」は圧巻。あまりに彼女が役に入り込んでいるので、僕は全て彼女を信頼し、彼女に合わせてあげた。弱音を駆使して自分の中に沈潜していく場面では、オーケストラを最大限に抑えてあげた。この場面での基村さんから出ていたオーラはハンパではなかった。ジークフリートの死によって、皮肉にも神聖を取り戻したブリュンヒルデは、今や神々しく輝いていた。
 実は、そうした沈潜した音楽は、すでに第1幕でヴァルトラウテによって歌われていた。ブリュンヒルデの音楽は、すでにヴァルトラウテの警告として、ヴォータンの絶望の描写で三輪陽子さんが歌っていた。その三輪さんの音楽性も、こうしたじっくり語る音楽にはピッタリ。彼女も優れた音楽家である。
 その他、グートルーネの大須賀園枝さんの、艶やかさの中にしたたかさを表現した歌唱など、キャストの誰を取っても充実していた。また、先ほどのバランスの所で述べたように、男性陣はみんな粒が揃っていて、それぞれが的確なキャラクターを濃厚に出してくれていたのは嬉しかった。


 その中でとりわけ、僕が密かに発見した掘り出し物の人材がいた。それは、第3のノルンとヴォークリンデを演じたソプラノの本田美香さんである。初めて合わせ稽古をした時に、おやっと思った。そして、次の瞬間、確信した。この人は、きっとバッハをとっても上手に歌えるに違いない・・・と。
 キリッとした音の立ち上がり。クリアなメロディーラインとアーティキュレーション。知的な音楽的アプローチと表情豊かなディクション。僕は、本当は今すぐにでも彼女の歌うバッハを聴いてみたい!しかも僕の指揮で・・・こんな風に思ったのは久し振りだなあ。テノールの畑儀文を聴いた時以来かなあ。まあ、あわてることはない。いつかそれは叶うに違いない。全ては御心のままに・・・。

もう終わり?
 僕は、常にオケと歌手とのバランスに留意しながら、各シーンのドラマを描き分けていった。ワーグナーの音楽によってストーリーテリングを行っていく喜びというのは、何ものにも代え難いワクワクする世界なんだということを、この4年間のリング体験で本当に学んだ。

 そうやって描き続けて、気が付いたらもうラストの「愛による救済」の数小節を残すばかりのゲネラルパウゼの時を迎えてしまった。
「え?もう終わり?」
 そこで僕は、この過ぎ去る時を惜しむように、思いっ切りゆっくりなテンポで、最後のフレーズを描いた。描きながらハッと思った。
「今描いているのは、この世の欲望や陰謀に満ちた世界のはるか上で、時間もなく空間をも超えて存在し続けている、悠久なる愛そのものなのだ。世界の滅亡の果てに愛が訪れるのではなく、愛はこれまでにも在って在るものなのだ。大宇宙はすなわち愛そのものなのだ」

 そして最後の変ニ長調の和音を静かに切った。僕の全身は、エネルギーに充ち満ちていて、もう一回最初から通してもいいほどであった。不思議と「終わった」とは思わなかった。


「とうとうここまで来たか」
(画像クリックでプログラム原稿表示)

 NHK連続テレビ小説「なつぞら」で、花嫁姿のなつがじいちゃんに、
「じいちゃん、あたしを育ててくれてありがとう!」
と言ったのに対し、草刈正雄の演じる泰樹が、
「お前によって、わしも育ててもらった。わしこそ、ありがとう!」
というシーンがあって涙を誘ったが、僕も、愛知祝祭管弦楽団に同じことを言いたい。
「僕も、愛知祝祭管弦楽団によって自分のワーグナーへの愛と見識を育てて頂きました。本当に、みんな、ありがとう!」

 もっともっと書きたいけれど、今日はここまでにします。書き足りないことがたまるだろうから、来週あたりまた書くに違いありません。

愛知祝祭管弦楽団 「神々の黄昏」紹介ページへのリンク
(事務局注 2021リニューアル時に追加)



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